雑貨屋ウィークリー1485号

雑貨屋のひとり言「太陽フレアとアマチュア無線」

最近、太陽活動が活発化しています。太陽の表面で起きる巨大な大爆発(太陽フレア)により、電気を帯びた大量の粒子が地球に飛んできています。この影響で、GPSや短波の無線通信が乱れる可能性があります。
GPSの誤差は困りますが、アマチュア無線家にとっては嬉しいこともあります。私が10代でアマチュア無線を始めた頃、太陽活動の影響で電離層が乱れ、短波帯の電波が乱反射して小さなパワーで遠くの無線局と交信できました。この経験がきっかけで、もっと英語を話せるようになりたいと強く思い、駐在員として北米に渡る道を選ぶことになります。カナダでアマチュア無線を開局したときは、太陽フレアの影響で世界中の無線局と英語で話す夢が叶いました。太陽フレアは、私にとって幸運の女神です。《R.O.》

結婚50周年旅行「日光・鬼怒川温泉②」

10月11日、足の痙攣もなくスッキリと目覚め、足腰も快調でした。最上階の部屋のバルコニーからは、鬼怒川温泉街と盾岩を結ぶ鬼怒盾岩大吊橋(全長140メートル)が見渡せました。紅葉の季節ではなかったのが残念でしたが、それでも圧巻の景色でした。
露天風呂に入り、さっぱりした気持ちで豪華な朝食を楽しみながら、昨夜の話の続きをしました。日光駅14時発の電車まで時間があったので、周辺を散策することにしました。鬼怒盾岩大吊橋の上(高さ40メートル)から急流下りの船を見ていると、その急流の激しさがよくわかりました。橋を渡ると、右手に盾岩鬼怒姫神社と展望台、左手に古釜の滝があり、みんなでにぎやかにおしゃべりをしながら歩きました。秋を感じられる心地よい空気を楽しみました。
温泉街に戻りお土産を見ていると、ハンバーガーのお肉を焼いているいい匂いがしてきました。その店で昼食をとることにし、栃木ビーフを使ったハンバーガーを堪能しました。トロントにも美味しいハンバーガーショップがありましたが、みんなの意見が一致したのは、ここのハンバーガーがそれ以上に美味しいということでした。日光・鬼怒川温泉で食べた料理の中で一番印象に残ったのがこのハンバーガーでした。

(左上)鬼怒楯岩大吊橋 (上中央)バックの白い建物が宿泊したホテル (右上)古釜の滝 (左下)盾岩鬼怒姫神社、そこを登ったところが展望台 (中央下)鬼怒川温泉駅、SLが来るので待っていたのですが浅草行きの列車が出発してしまいしっかり見れませんでした。

こうして楽しいトロント友人会が終わり、それぞれが帰途につきました。1994年の熱海・伊豆での再会に始まり、今回は6回目の再会旅行でした。たった1日半でしたが、中身の濃い記念の旅行になりました。1987年トロントの補習校で出会った夫婦三組が、同年同月に結婚し、子供たち(上と下)が同級生という偶然が重なり、家族ぐるみのお付き合いが始まりました。幸運なことに結婚生活が50年も続き、この度の記念旅行となりました。これは頑張ったからではなく、人生を楽しんだ結果だと思います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川柳)

止まらないおしゃべりといるピーナッツ

サシスセソそれとは別の娘の料理

たい焼きの自負国産の大豆です

手づくりの母の団子の国訛

ワイン蔵賞味期限を黙らせる

(ニュースひとりよがり)

「公約」

10月バカもあるんだね ー 4月バカ

「株式上場」

地上に出た ー 東京メトロ

「6億6千円で落札」

6-6もすごい ー 大谷の50-50

河合成近

龍翁余話(857)「神楽」

もう11月――11月の別名に「子月」(ねづき)、「霜降月」(しもふりづき)、「雪待月」(ゆきまちづき)、「神帰月」(かみきづき)などのほか「神楽月」(かぐらづき)と言うのがある。翁はこの「神楽月」と言う別称が好きだ。何故なら「御神楽が好き」だから――

『御神楽』(おかぐら・みかぐら)とは、神を祀るために演じる神事芸能のこと。古くは、神座(かむくら=神霊を招いて安置する場所)を設けて神々をお招きし鎮魂(ちんこん・たましずめ)と言う神事を行なっていた。ある民族学者の説によると「神座」(かむくら)が『神楽』(かぐら)に変化したとのこと。この『神楽』の起源は「古事記や「日本書紀」によると、天照大神(あまてらすおおみかみ)の「天岩戸(あまのいわと)伝説」に遡る。実は翁、若い時、宮崎県高千穂の『天岩戸神社』を取材したことがある。親切な神職さんの説明と案内で「天照大神伝説」と「天岩戸伝説」を知ることが出来た。その記憶を辿りながら筆を進める――

『天岩戸神社』は、「岩戸川」を挟んで(聖地・天岩戸を祀る社の)「西本宮」と(天照大神を祀る社の)「東本宮」の2つの社からなる。「天岩戸」を拝観するには「西本宮」の遥拝所を訪ね神職の案内を請わねばならない。「西本宮」から岩戸川に沿って数分歩いた所に「天安河原」(あまのやすかわら)があり、その一角に「仰暮窟(ぎょうぼがいわや)」と言う大洞窟がある。天照大神の弟神・須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴狼藉を怒り嘆いて天照大神が岩戸にお隠れになった。天照大神は太陽の神様であるから、その神様が天岩戸(洞窟)に隠れた途端に世界は闇に閉ざされ、病気や犯罪などさまざまな禍が発生した。それを憂えた八百万(やおよろず)の神々が集まり打開策を話し合った。その場所が「天安河原」の一角にある「仰暮窟」であると伝えられている。

「天安河原」の「仰暮窟」(左)と「天岩戸」(右)(いずれもインターネットより)

「仰暮窟」に集まった八百万の神々は、何とかして天照大神に洞窟(天岩戸)からお出まし願おうといろいろ議論を重ねた結果、「岩戸の前で様々な儀式(祭り)を催そう」と言うことになった。その1つが天鈿女命(あまのうずめ)による“天岩戸前の踊り”である。
この天鈿女命が後に“日本最古の踊り子”と言われたり「芸能の女神」と呼ばれるようになった(中には“ストリップの始祖”と言う人もいる)。そして、この“天岩戸前の踊り”(翁は“天安河原の踊り”と呼んでいる)が実は「神楽の始まり」と言われている。古い話だが1959年(昭和34年)に東宝映画で『日本誕生』と言う映画があった。三船敏郎・司葉子・原節子・田中絹代・乙羽信子・杉村春子・鶴田浩二・小林桂樹・三木のり平・有島一郎・エノケンなど有名俳優が総出演。乙羽信子が天鈿女命を演じ、(天岩戸を開けた)怪力の神様・天之手力男神(あめのたぢからおのかみ)を演じた第46代横綱・朝潮の出演も話題になった。65年も前の作品だか、日本初の大スペクタクル映画だったと記憶する。

さて、本論に戻ろう――『神楽』には、宮中で行なわれる「御神楽」(みかぐら)と、民間で行なわれる「里神楽」(さとかぐら)の2つがある。「御神楽」は、神々を畏れ敬い、祈りや感謝とともに歌や舞いを捧げる歌舞の原点であり、今も宮中や神社で行なわれている「御神楽の儀」は、神事の歌や踊りの中でも特に神聖な歌舞とされている。「里神楽」は、日本国民の身近に最も長く寄り添って来た(神と豊作への感謝と祈りを捧げる)伝統芸能である。神話をもとに演劇化され、舞・謡・太鼓・笛・衣装など伝統の真髄が凝縮され庶民に分かり易く演じられる歌舞である。なお、「里神楽」には、「巫女神楽」、「出雲神楽」、「伊勢神楽」「奉納神事舞」、「獅子神楽」などあるが、その舞振りや衣装、道具などはそれぞれの『神楽』によって異なるそうだ。更に「里神楽」には、その地方名で「○○神楽」と呼ばれる『神楽』があり、その地域の特色や歴史を反映した内容のものが演じられる。

ところで『神楽』と名の付く施設・神事道具(楽器や衣装、面)・町名があることは知っているが『神楽』の名がつく魚(全長8mの「神楽鮫」)がいるとは驚きだ。施設では「神楽殿」(「神楽堂」「能楽堂」とも言われる)が有名。『神楽』を舞う時、素面で舞う場合と面を被って舞う場合があり、舞う人を「舞手」だとか「神楽面」(かぐらおもて)と言うそうだが、一般的には「神楽師」と呼ぶ。「神楽面」と言えば「能面」や「狂言面」と同じように神・般若(鬼)・翁・小面・獅子口・大黒天・天狗・神猿などのお面を想像する。そして『神楽』に欠かせないのが笙(ふえ)・篳篥(ひちりき=管楽器)・琵琶・和琴・太鼓(数種)などのいわゆる「雅楽器」だ。町名では東京・神楽坂のほか福井県・三重県・岐阜県、それに翁が中学・高校時代に過ごした神戸市長田区にも「神楽町」がある。

東京都内では現在、間宮社中(品川区)、若山社中(台東区)、松本社中(荒川区)、山本社中(稲城市)の4カ所で「里神楽」が継承されている(いずれも国の重要無形民俗文化財)。国の“重文”と言えば、800年以上の歴史を持つ神話の里・高千穂(宮崎県)の「夜神楽」が有名だ。毎年11月中旬から翌年2月上旬にかけて町内約20の集落で奉納されるそうだ。11月は「神楽月」――子どもの頃、恐々しながら神楽殿の縁にへばりついて観た『御神楽』が懐かしく想い出される秋の夜長である・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「久しぶりのLA」

LAに久しぶりに戻ってきて、あっという間に10日が過ぎた。今月中に終わらせなければならない書類がいくつもあり事務能力の無い私には事務能力に長けた友人がテネシーからFaceTimで助けてくれた。それでも政府機関のオンラインがスーパームーンの影響で壊れていた?とかで17日の真夜中まで使えない上、もう一つの書類も、この10月11日から新しい書類に変わっていて、そちらは郵送しなければならず、めんどくさく複雑な書類に変わっていた。その為、当初プリントして用意したものは役に立たなかった。アメリカはドラスティックに法律でも何でも急に変わる。

ところで今回、ご報告したい事はたくさんあり過ぎて何からお伝えしようか迷うところだ。まず、マーケットやドラックストアーに行った感想。店の棚がガラガラになっている所が多く品揃えが悪い。店員もお客も以前に比べたら少なく活気が無い。商品の事を聞いても仕事経験の無い不慣れな人が多い。レジもとろくモタモタしている人が多い。出来る人たちは、何処に行ってしまったのだろうか、、、と言う感じだ。それに、このサウスベイあたりだけでも白人がだいぶいなくなった。代わりにヒスパニック系、アジア系が黒人が増えている。

車で走ると空きスペースが目立ち店も事務所も出ていったままの状態になっていてガランとしている。そして次の借り手がいないまま時間が経過したようで埃っぽいような感じだった。昨日もトーランスにあったドイツ村に行ってみたら閉鎖になっていた。時々、パンやソーセージを買いに行っていた所だったので残念だった。デパートも、かつての賑わいや活気がなくなっていてこれでクリスマス商戦は大丈夫なのだろうか、、、客足は戻るのだろうかと思ってしまうくらいだ。車のガソリンも今は1ガロン4ドル以上、こんな高かったかな〜と思う。フリーウェイの下にもホームレスのテントが目立つ様になってきた。

日本は雑貨屋が発信されるこの日曜日が選挙。アメリカはサマータイムが終わりウィンタータイムになる11月3日が大統領選挙だ。

運命の日、私たちの暮らしが良くなる政治家がまともな選挙で選ばれる事を祈る、、、

スパイス研究家 茶子

逃げ場のない国   震災余話 井出半句

第二十二話 茨城・福島便り

2011年7月12日 

北関東も梅雨明けとなり、連日うだるような暑さです。

さて、余震余話シリーズ以来御無沙汰しまあした。久々に「茨城・福島便り」として現状を報告します。

茨城の復興状況は、津波を受けた海岸部はまだまだですが、大洗・苫小牧間のフェリーが3カ月ぶりに復帰するなど徐々に回復しつつあります。一方で、至る所で見られる屋根瓦破損を覆うブルーシートは一向に無くなりません。悪徳業者にお金だけをだまし取られたり、いい加減な修理でドロンされたという話もあちこちで聞きます。予想通り2年くらいはかかりそうです。

茨城はそんな状況ですが、福島原発は始末が悪いです。先日、実家に行ってきました。どこの畑も田んぼも作物はなし。兄家族は緊急避難準備区域なのでそこに住んでいますが、甥家族は茨城県日立市に避難したままで、甥は福島農協に単身赴任中。(原発のひざ元にある双葉農協から福島市の本部にコンバートされた模様)。彼の家族は5年、10年単位の問題です。三流政治家の押しつける何兆円もする米仏製の装置などを使わずに日本製の装置を使えば循環冷却も早いのに、予想通り故障続き。

そんな中で川内村に行ったついでに岩魚釣りをしてきました。生涯初となる巨大岩魚を釣りあげました。(36cm。通常は20cm前後)放射能のせいで異常発育したかとも思いましたが、砂防ダムの下流だったので上流に行けないで長年住んでいる所に運悪く私に巡り会ってしまったようです。

田水沸く常陸の国に雲立ちて

 「田水沸く」(たみずわく)は夏の季語で、梅雨が明けて田の水が熱せられ、湯が沸いているように見える有様。茨城のこの地区は写真の様な谷津田が多い。私は入道雲を見るのが子供の頃から大好きでした。ケンタッキーでは入道雲に追われながらゴルフをしたものです。

さくらんぼ成るがままなり浜通り

 背景の家は福島の実家です。さくらんぼは食べごろでしたが誰も採らずそのままでした。69歳の私は平気です。さくらんぼも岩魚も美味しかったです。

はまなすの棘隠れおり斗南の地

 先日訪れた青森県下北半島のむつ市(大湊)は、戊辰戦争で賊軍とされた会津藩が転封された所。斗南藩(となみはん)と称したその土地は、米などの作物がとれない荒れ地で生活に難渋した。記念碑の周りにはハマナスの花がさいていたが、枝は棘だらけであった。まさに会津藩士の行く末を物語っているようであった。

山背吹く会津藩士の墓に吹く

 会津藩士達が下北に着き、逗留したお寺に残る藩士とその末裔のお墓を住職の案内でお参りした。「山背」とは北海道・東北地方に吹く夏の冷たい北東の風。凶作風とよばれて恐れられている。

ちょっと最近は作風が暗いねえ・・・。

第二十三話につづく

ジャズライフ トッキーニョ&渡辺貞夫 “Made in Coracao”

もう50年以上前のことになります。ラジオでナベサダとジャズという番組があり、それでジャズを知りました。渡辺貞夫の軽快なジャズに刺激を受けました。公開番組にも何度か行ったことがあります。それと同時に資生堂のMG5という男性整髪料のコマーシャルが耳に残っています。今回紹介するのは渡辺貞夫がブラジルのギタリストと音楽を通じて深い友情とコラボレーションを築いてきたなかで1988年にリリースされたアルバム”Made in Coracao”です。トッキーニョのギターとヴォーカル、渡辺貞夫のサックスが美しく調和している作品です。《R.O.》

1-Made In Coração 4:09
2-Filho Meu 2:33
3-O Que Passou, Passou 4:11
4-Samba Da Volta 4:56
5-Inquieto Amor 3:23
6-Minha Profissão 3:30
7-Sentimentos Iguais 4:00
8-Bons Momentos 3:38
9-Carinhoso (Instrumental) 3:25
10-Saudade De Elis 4:44

東京観光③

鬼怒川温泉から東武鉄道で浅草に戻った私たちは、東京の最後のひとときを楽しむために浅草を訪れました。浅草は外国人観光客で賑わっており、テレビで見る光景そのものでした。着物姿で日本を楽しむ外国人の姿が多く見られ、彼らがSNSに投稿するために写真を撮っている様子が印象的でした。こうして日本の魅力が世界中に発信され、それを見た人々が日本を訪れるのだろうと感じました。

左端の写真だけは前日の朝8時過ぎにに撮影したもの

浅草観光を終えた後、東京メトロ銀座線で神田に向かい、東京駅に到着しました。スマートEXで予約していた新幹線について確認したいことがあったので広い東京駅構内で窓口を探し、ようやく見つけて親切に対応してもらいました。「このアプリはわかりづらいところがあり、私でさえ不便だと思う」という係の方の言葉を聞いてホッとしました。この方の親切な対応のおかげで、東京に対する印象が一段と良くなりました。上野では中條さんに上野駅周辺の名所を教えていただきました。東京には名所がたくさんあるので、また訪れてみたいと思いました。《R.O.》

編集後記「久しぶりの神戸」

近所の方が作品を出品されている個展を紹介していただいたので金曜日にワイフと二人で行ってきました。展示されている建物は神戸元町駅から歩いていける距離にありました。秋晴れの素晴らしい天気の中をちょっぴり汗を掻きながら歩きました。たくさんの作品が展示されていてどれも力作揃いでした。私には絵の才能がないのでキャンパスに絵を描き始めるときはどういう気持ちなんだろうかと思いながら観ていました。すぐ近くに今、話題になっている兵庫県庁舎があります。それらをゆっくり見ながら元町、三宮にある面白そうな店を観て回りました。久々の神戸で面白い店を見つけ夕方まで楽しみました。《R.O.》

個展の模様(左)  緑に囲まれた兵庫県庁舎(右)

コメント