雑貨屋ウィークリー1527号

雑貨屋のひとり言「スーパー銭湯」

市内にあるスーパー銭湯に行きました。このスーパー銭湯は飲食店が集まったモールの一角にあります。ところが今月でこのモールの全店が、閉鎖されてしまうことになりました。モールの跡地をどうするのかわかりませんが、もしかしたら住宅を建設するのではないかと噂されています。閉店する前に行こうということでこのスーパー銭湯に長女家族と行くことにしました。この銭湯はY君が先日亡くなったパパとよく来たところで、Y君はよく知っていて案内してくれました。とても良くできた銭湯でジャグジー付きのお風呂や露天風呂、サウナなどがあり、とても癒やされました。近所の人だけでなく市民に親しまれた銭湯だということがわかります。家族連れでお風呂に来て、風呂から上がったあとにそこでご飯を食べれるというのが人気だと思います。盆休みであることや閉館を惜しむ人で結構混んでいました。このスーパー銭湯を愛する近所の人に惜しまれながらまた街から銭湯が消えます。とても残念なことだと思います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

三連休ですと8月15日

年号が変われど8月15日

不平言うまい今日は8月15日

もったいない死語に8月15日

これみんな捨てていいのかゴミ袋

(ニュースひとりよがり)

「被爆80年」

まだ安らかに眠れません ― 原爆慰霊碑

「肝試し」

米ロ首脳怪談 ― ゼレンスキー

「アメリカンファースト」

出場停止令が出そう ― 大谷翔平

河合成近

龍翁余話)(897)「御嶽神楽の里・大分県清川町」

実は『神楽』については昨年の11月に『龍翁余話』(857)に書いたばかり。その1部を抜粋すると――【神楽は、日本古来より伝わる民俗芸能で「神座(かみくら)」に神々を降ろし、そこで人が神懸かりとなって舞うことで神の意志を引き出したり啓示(けいじ)や祓(はら)いを受けたりするために行なわれる芸能とされている。『古事記』や『日本書紀』には「天照大神が弟神・スサノオノミコトの乱暴を怒り“天岩戸”にお隠れになったため世の中が暗闇に・・・何とか天照大神に(岩戸から)お出ましいただこうと神々が相談し(岩戸の前の広場で)アメノウズメノミコト(女神)が笛や太鼓に乗って踊り始めた。「何が始まったのか」と天照大神がそっと岩戸を開けた時、間髪入れず力持ちのアメノタヂカラオノミコトが岩戸をこじ開け、天照大神を引っ張り出した。そこで世の中が再び明るくなった。その際のアメノウズメノミコトの踊りが「神楽」の始まりである】――

『神楽』には、宮中で行なわれる「御神楽」(みかぐら)と、民間で行なわれる「里神楽」(さとかぐら)の2つがある。「御神楽」は、神々を畏れ敬い、祈りや感謝とともに歌や舞いを捧げる歌舞の原点であり、今も宮中や神社で行なわれている「御神楽の儀」は、神事の歌や踊りの中でも特に神聖な歌舞とされている。「里神楽」は、日本国民の身近に最も長く寄り添って来た(神と豊作への感謝と祈りを捧げる)伝統芸能である。神話をもとに演劇化され、舞・謡・太鼓・笛・衣装など伝統の真髄が凝縮され庶民に分かり易く演じられる歌舞である。なお、「里神楽」には、「巫女神楽」、「出雲神楽」、「伊勢神楽」「奉納神事舞」、「獅子神楽」などあるが、更に「里神楽」には、その地方名で「○○神楽」と呼ばれる『神楽』があり、その地域の特色や歴史を反映した内容のものが演じられる。翁はその「里神楽」の1つに『御嶽神楽(おんだけかぐら)』があることを知り、この8月に(大分県へ)帰省の際、『御嶽神楽の里』大分県豊後大野市清川町を訪ねた。

豊後大野市は、大分市や竹田市に隣接し大分県南部に位置する人口約3万1000人の市。
かつては大分市のベッドタウンとして人口が増加していた時代もあった影響で、市の中心部はロードサイド店が建ち並び大型ショッピングセンターが建設されている。その市の中心部からかなり奥地に在る清川町は旧大野郡清川村。2005年に市制施行で大野郡が豊後大野市になった時、清川村は他の町村と合併して「清川町」となった(人口約1,620人)。翁の車は「飯田高原」(玖珠郡九重町)から久住高原を抜け、竹田市の“道の駅”から国道502号線を豊後大野市方面へ下る。カーナビを頼りにしているが延々と続く林間道を走っていると目的地が分からなくなり、2,3カ所で道を尋ねる。しばらくしてやっと「道の駅きよかわ」へ。目当ての『神楽会館』は、その「道の駅」の敷地内に在る。

『神楽会館』に入ると右手に事務所――女性スタッフに「清川村(現・清川町)が“御嶽神楽の里”となった歴史を知りたい」と質問したところ、代わりに中年の男性職員が応対してくれることになった。係長の深田文彦(あやひこ)と言う御仁だ。実に丁寧な説明に、翁、メモを取り忘れるほど聴き入った。以下、深田さんのお話――この地方(豊後大野市)には鎌倉時代(1192年~1336年)から『神楽』があった、と言われているが、実際に行なわれたことが確認されたのは江戸時代から。現在の「出雲の里神楽」の影響を受けて発祥したもので「大野系岩戸神楽」と呼ばれている。この「神楽」、江戸時代の後期には派手な衣装を着けて舞っていたので藩(竹田藩)の“質素倹約令”で一時禁止されたが、当時の御嶽神社の神主・加藤長古(ながふる)によって新たな“岩戸神楽”が創始された(1760年頃)。それが現在の『御嶽神楽』の発祥、とされている。『御嶽神楽』の演目は『古事記』を参考にした「天岩戸開き」を中心に神話で構成されているのが特徴だとか。なお、現在、豊後大野市の神楽の流派は、この「御嶽神楽」のほか「浅草流神楽」、「深山流神楽」の3つあり、それぞれの流派によって毎月ここ「神楽会館ホール」で公演が行なわれる。さて、お話してくれた深田さん、おもむろに「特別な場所へご案内しましょう」――そこは(前述の)「神楽」を始め、各種の文化イベントが催される「神楽会館ホール」であった。

失礼な言い方だが“この小さな村”にしては何と立派なホールだろう”が翁の率直な第1印象であった。2009年に出来たそうだが、見た目はまだ真新しい。客席数288席、舞台は間口14m、奥行き7,7m、面積107㎡・・・舞台には、この9月21日に公演が予定されている「戸開き」の“岩戸”がすでにセットされている(写真中。右の写真は「戸開き」の1場面、“岩戸”前でのアメノタヂカラオノミコトの踊りか?「神楽会館」提供)。

深田さんに感謝し「神楽会館」を去り、帰路の車窓から見る清川は“町”と言うより“村”の呼び名が相応しい『御嶽神楽の里』であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「お盆祭り」

今月8月初めの週末、ガーデナの仏教会の寺院内では出店が出て夕方からその隣の ストリートで盆踊り大会が行われた。
数年前、クライアントさんを連れてお盆祭りに来たのは武漢肺炎が起きる前の事だからあれからだいぶ時間が経った。
車椅子でお盆祭りを楽しむ帰米2世のその方は昔を懐かしむように本当に楽しそうに 見ていた。その娘さんは仏教会のハッピを着てジーンズにパンプスで踊っていて母親の近くに来ると母親も上半身を揺らせ音楽に合わせて踊っていた。 ”早くお母さんを連れてこないと死んじゃうよ“そう言ったのは、このお盆祭りが大好きなクライアントさんだった。
娘さんはお母さんがいなくなったら旦那さんが来たオーストラリアに移住すると言っていたので今はもう、LAにいないのだろう、、、

それにしても日本では最後に盆踊りに行ったのはいつだったろうか、、、中学生の頃に櫓の上で踊った記憶しかない。 そのくらい日本では日本の伝統文化に触れる機会がなかった。だから米国に住むようになって日系人の人達がお正月には、お節料理を作りお餅を食べ3月にはひな祭り5月には端午の節句を祝いお墓参りや、七夕祭り、お盆祭りを大事にしている姿を見て驚いた。

日本人が、かつて大事にして来たものを1世2世の方々は確実に受け継いでこられた。 それが3世4世になると伝わっていないケースも多々あるものの、今後またこの伝統文化は見直されていくと思う。
戦前、戦後世界に散らばって行った日本人の方々。それぞれの国で根を張りその地域で共生しながら相手国のや文化を尊重しながらも自分のルーツも知り伝統文化を繋いでいこうとする姿勢に感動する。

今年のガーデナのお盆祭りは賑やかだった。いろんな地域から来た踊るグループの人も参加して盛り上げていてくれた。 母もその様子に驚き感心していた。その踊り手の中で1人の女性と目が合った。そして私の所に駆け寄って来た。その女性は私がかつて食事作りのお手伝いをしていた方の妹さんだった。 数年前に姉が亡くなった事、昨年は母親が亡くなった事を告げられた。その亡くなられたクライアントさんは、まだ70代前半で若かった。頭が切れユーモアのセンスのある温かい人で私も大好きな人だった。 お父様は442部隊(ここでは説明を省きます)の功績を称えた集まりを1年に1回模様されていた中心的な方でその組織を作られた方だそうだ。残念ながらそのお父様はすでに他界されてお会い出来なかったけれど、その娘さんでありクライアントさんだった方から2度ほど422部隊のパーティーにご招待された事があった。

お盆祭りで踊っている人々の姿を見ながら今まで関わって来た沢山の日系人の方が 思い出されて懐かしい気持ちになった。

スパイス研究家 茶子

小春の気ままな生活 第三十三話「健康でいる条件・ミトコンドリアは冷却システム」

今週のテネシーは先週より気温が低くなったため、少し過ごしやすかったです。そう思ったら、ご近所さんに「来週は暑くなるわよ。」と警告されました。

個人的に嬉しかった事は、アーミッシュマーケットで「かぼちゃ」を発見した事でした。最初の週は、日本のかぼちゃと同じ形ですが、オレンジ色のかぼちゃでした。それでかぼちゃの煮付けを作ってみました。甘みが若干足りなかったものの、立派にかぼちゃでした。次の週に行くと、緑色の日本のかぼちゃがありました。まずは一つ買って帰り、切ってみたら正真正銘のかぼちゃでした。とりあえず、切り分けた残りのかぼちゃは腐らせたくなかったのでロースト用と煮付け用に切りジップロックに入れ冷凍保存しました。翌日、マーケットに行き、五つ程買って来ました。これは週末に切り冷凍保存したいと思います。

さて、健康の話の続きです。

ミトコンドリアは冷却機と先々週お話しました。問題は、脳で生産されるメラトニンではなく、血液供給や核のミトコンドリアの中で作られるメラトニンでこれは強力な酸化防止剤であり、酸化ストレスを予防してくれます。Scott ZimmermanとRussel Writerは赤外線で放射線が体に入ってくるとメラトニンや他の様々な要因でメラトニンが上方制御(分子、細胞または全身レベルでの生理学的プロセスに対する正の調節作用。 たとえば、刺激への反応を高めるために、細胞が特定のホルモンまたは神経伝達物質に対応する受容体の数を増やすプロセスなどのことである。)し冷却され改善される。

<日光とウイルス・COVID19への影響>

Dr. Seheultは救急医として、二つの気がかりな事を経験したと言います。

一つ目は、SARS KV2ウイルスが体に入ってくるとA2受容体(コロナウイルスのスパイク)にくっつきます。そうすると、A2受容体は酸化ストレスを緩和する事ができるそうです。別の言い方で言うと、ミトコンドリアの冷却機になるもう一つの核になり得ると言う事です。

例えば、様々な人が別々のエンジンがかかっていて温度もバラバラであるとします。ある人は、慢性疾患を持っていて、エンジンは熱い。健康で元気な人のエンジンは冷たくいい温度で全く問題はない。そこでCOVIDになり、皆んながSARS KV2に掛かってしまったら、みんなのA2受容体は倒され(熱を下げる役割なのに)エンジンは熱くなってしまう。車を運転していて、急な坂がありCOVD19という大きな山を越えなければいけなくなったとします。誰が越えられて、誰が越えられないのか?冷却システムがある人が越えられ、エンジンが暑い人は越えられない。

当初、肺の弱い人がICUに運ばれてくるだろうと予想されていたが、認知症・腎臓病などの慢性疾患の人々がICUに運ばれて来ました。

続きはまた来週。

小春

ジャズライフ Bill Charlap “All Through The Night”

Bill Charlapの『All Through the Night』は、彼のトリオ(ピーター・ワシントン(b)、ケニー・ワシントン(ds))による1998年作品で、選曲のセンスと楽曲への深い歌心が光るアルバムです。このアルバムは、派手さはなくとも“聴くたび新鮮さや発見がある”珠玉の一枚です。ピアノの美しい流れを楽しめます。《R.O.》

01-All Through The Night 8:50
02-Roundabout 5:19
03-Put On A Happy Face 4:27
04-It’s So Peaceful In The Country 5:14
05-The Best Thing For You Would Be Me 4:12
06-Pure Imagination 3:15
07-Nobody’s Heart 3:50
08-Dance Only With Me / Dream Dancing 6:21
09-I’ve Just Seen Her 5:29

編集後記

大阪・関西万博の会場内にあるオフィシャルストアで、レアなミャクミャクグッズを万引きした大学生6名が逮捕されました。彼らは入手したグッズを高額で転売しようとしていたようです。
ここまでなら「なんと愚かなことを」と思うだけで済むかもしれません。ところが、彼らが行っていたのはそれだけではありません。東京から大阪まで新幹線を利用しながら、全行程を無賃乗車していたのです。さらに警備の厳しい新大阪駅ではなく、比較的チェックの緩い新神戸駅で下車するという、計画的な犯行でした。
彼らは撮り鉄仲間だったとされ、逮捕後には「無賃乗車は撮り鉄の間では当たり前」などと平然と語ったといいます。確かに一部の撮り鉄マナー違反が報道されることはありますが、大多数の真面目に活動しているファンにとっては大迷惑であり、世間に余計な悪印象を与える発言だと言えるでしょう。
さらにこの6人は20〜22歳でありながら、14〜17歳の「中人」と偽り、万博の入場料を不正に免れていました。ここまで重なると、その悪質性は明らかであり、ほかにも余罪がある可能性すら感じさせます。
本来であれば社会に巣立ち、活躍を始める年代です。しかし自らの将来を軽率な行為で台無しにしてしまったことを思うと、ただただ情けない限りです。《R.O.》

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