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NO.910            Ryo Onishi              10/20/2013

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雑貨屋のひとり言

日本列島に次から次に台風がやって来て大きな被害が発生しています。想像のつかない自然の脅威の前に人間はなんて無力なのだろうと思います。台風26号の犠牲者のご冥福と、行方不明者が一刻も早く見つかることをお祈りしています。台風が過ぎて冷たい空気が流れ込み、一気に秋になりました。でもまた次の大型台風27号が日本に接近しているのが心配です。≪R.O≫

 

東京オリンピックの感動
     〜1964年オリンピックの頃と私(5)

2020東京オリンピック、パラリンピックの開催決定の感動を、私はこの雑貨屋と地元日系紙(羅府新報、磁針コラム)に寄稿しました。雑貨屋、羅府新報双方の読者から反響があり、日本人、日系人の関心の高さを改めて知らされた思いです。

受信したコメントのすべてが前回(1949年)の時の様子や思い出話であり、中には当時、サンフランシスコの日系新聞社に勤務していた方(ご婦人)が、「日本でのオリンピック開催が決まった時、日系社会に於いて一同涙を流して感動したものでした」とありました。

海外在住の日本人や日系人にとっても、祖国が国際社会の一員として認められた感激は日本にいる日本人に勝るとも劣らないものがあったようです。特に在米日本人、日系人は戦時中から戦後にかけて米国内では敵国人扱いされ、“ジャップ”と蔑まれ、米国籍を持っていた日系人ですら強制収容所へ隔離され差別的扱いを受けていました。これらの日系人にとって人間として対等に扱ってもらえる社会が悲願だったのです。

私の手許に1冊の文庫本があります。『祖国へ、熱き心を』(高杉良著、講談社文庫)副題が「東京にオリンピックを呼んだ男」という本です。この本の主人公はフレッド・ワダ(和田勇)というロサンゼルス在住の日系二世です。彼は戦後、青果商としてスーパーの経営に成功した実業家ですが、1949年の東京オリンピック招致では中南米諸国の支持を集めるために奔走しました。

フレッド・ワダはそれより前の1949年、日本がまだ戦後の米軍の占領下にあり、日本がオリンピックなど、国際競技への参加が認められなかった時に、ロサンゼルスで開催された全米水泳選手権に招待された古橋(広之進)、橋爪(四郎)などの選手に自宅を提供し、面倒をみたことでも有名です。この時、古橋選手は千五百メートル自由形で世界記録を塗り替え、“フジヤマのトビウオ”と呼ばれました。また、この大記録を契機にそれまで“ジャップ”と蔑まれていた日本人、日系人が“ジャパニーズ”と正当な呼ばれ方をするようになったという逸話まで残っています。

東京オリンピック招致のときもフレッド・ワダは夫人とともに、身銭を切ってメキシコ、ヴェネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、パナマ、戒厳令下のキューバなどラテンアメリカ諸国を駆け回り、各国のIOC委員の支持を得るために力を尽くしました。

今回の2020年東京招致にあたって、永年にわたり多くの関係者が積み重ねてきた努力が良い結果に結びついたのでしょうが、前回の時もこのフレッド・ワダのような目立たぬ影の貢献者が何人もいたことを忘れてはならないと思います。

ところでフレッド・ワダ(和田勇)さんは私がロサンゼルスへ日本企業の駐在員として赴任した1985年当時はまだ矍鑠(かくしゃく)としてご存命中でした。日系社会のために貢献を続けられていました。私自身は残念ながら和田さんに直接お目にかかったことはありませんでしたが、和田さんを知る人とは何人も知り合い、氏の偉大さを聞いていました。和田さんは2001年2月に病気のため逝かれました。

和田さんが生きておられたら、今回の2020年東京五輪招致成功のニュースを誰よりも喜ばれ感激されたことだと思います。合掌。今の日本と日本人に足りないもの、それは“明日への夢、希望、目標”だと思います。たかが「世界の運動会」といえばそれまでですが、私たちは7年後の“夢と希望と目標”を定めるチャンスを得たのですから、これを有効に活用したいものです。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


よくここに入りますねと車庫言われ

多機能というスイッチを持て余し

息抜きの碁も定石の几帳面

検査漬けポリープ一つ取っただけ

留守電にしてオレオレを迎え撃つ


( ニュースやぶにらみ )


「靖国参拝」

秘密保護法案成立後に −安倍首相

「清涼飲料、増税転嫁カルテル」

スカッとしない −愛飲家

「飲み過ぎ規制法案」

お互いに税金を払ってるのになあ −たばこ


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(301)「“八重の桜”と“熊本バンド”出身の学生たち」

NHK大河ドラマ『八重の桜』が終盤に入った。翁の個人的評価としては昨年の『平清盛』の愚作に比べ『八重の桜』は毎週が楽しみだった。会津藩砲術指南・山本権八(高島流砲術家)の3女に生まれ、幼少期から”裁縫より鉄砲“という男勝りだった八重は、会津藩校・日新館の什の掟(じゅうのおきて=7つの藩訓)【ならぬことはならぬ】を座右の銘として会津魂をはぐくみ、会津戦争(戊辰戦争)時には断髪・男装で鶴ヶ城に立て籠もり、自らスペンサー銃と刀を持って長州軍・薩摩軍と戦った。結局は戦いに敗れたが、八重は眼差しを下に向けることなく「諦めてはならぬ、勇気をもって未来を信じなければならぬ、どんな苦境にあっても人は幸せにならなければならぬ」の精神で激動の中を真っ直ぐに進もうとした。その八重の姿は、日本人、特に復旧・復興を目指す東日本被災地の人たちに、どんなにか力強いメッセージとなったことだろう。しかし、それも“会津編”までで、ドラマの賞味期限が切れた。翁の印象としては、“京都編”になってからの“八重の桜“は“葉桜”になってしまった。新島襄(同志社英学校、のちの同志社大学の創設者)との出会いから、八重は主役から脇役に追いやられ、ストーリーの展開は(新島襄を中心とする)“同志社英学校設立物語”に転じた。同志社大学関係者は大喜びだろうが、ストーリーに贅肉(蛇足)が付き過ぎて(具体的指摘は省略)、肝心の八重の存在が影を潜め出した。

同志社英学校に入学して来た第1期生(熊本バンド)の学生たちの行儀の悪さ(品格欠如)が、いっそう翁の興を削いだ。そもそも“熊本バンド”なるものの説明も不十分で、翁には、クリスチャンかぶれの屁理屈な若造集団としか映らなかった。しかし、調べてみると“熊本バンド”とは“札幌バンド”“横浜バンド”と並んで明治のプロテスタント派の源流の1つ。プロテスタントとは、16世紀にローマカトリック教会に反抗し分離したキリスト教各派とその信徒の総称。日本でのプロテスタント元年は1859年(安政6年)とされているが、本格的な日本プロテスタント教会の誕生は1872年(明治5年)と言われている。つまり札幌・横浜・熊本の3バンドが日本プロテスタント派普及の拠点となったわけだ。

礼儀をわきまえない、おまけに薄汚い“熊本バンド”の連中の登場に不快感を覚えた翁は数週間『八重の桜』から離れた。ところが(知らない、ということは恐ろしいものだ)、その薄汚い礼儀知らずの“熊本バンド”の中に(後年)明治・大正・昭和の3代に亘りジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家としてその名を馳せた徳富蘇峰(とくとみそほう=1863年、文久3年〜1957年、昭和32年)、蘇峰の弟で、『不如帰(ほととぎす)』、『思出の記』、『黒潮』などの著者として有名な文豪・徳富蘆花(とくとみろか、1866年、明治元年〜1927年、昭和2年)、更に、熊本藩士で幕末の儒学者・政治家・維新の十傑として名高い横井小楠(よこいしょうなん)の長男・横井時雄(よこいときお=1857年、安政4年〜1927年、昭和2年、牧師・ジャーナリスト・逓信官僚・衆議院議員・同志社大学第3代総長)らがいたのだ。横井時雄は、八重の兄・山本覚馬(1828年、文政11年〜1892年、明治25年、会津藩士、砲術家、維新後政治家として京都府政を指導した。新島襄の協力者)の娘みねと結婚。蛇足だが、時雄の母と蘇峰・蘆花の母が姉妹だったので、時雄と蘇峰・蘆花兄弟は従弟同士になる。

翁は学生時代(日本人として初めてロシアの文豪トルストイと会見した)徳富蘆花に憧れていた。当時、翁は東京・京王線の明大前駅の近くに下宿していたので“蘆花ワールド”に浸りたくて(明大前に近い)芦花公園(正式名称『蘆花恒春園』)に度々足を運んだ。実のところ、田舎育ちの翁にとって自然豊かな芦花公園は、お金をかけないで故郷が偲ばれる恰好の散歩場所だったのと同公園の草叢に寝そべって、神田の古本屋で買った『不如帰』や『自然と人生』を読み耽るのが好きだった。へ難しい文語体で綴られたそれらの本を解読出来た時、少しばかり蘆花に近づけたかな?という微かな満足感を味わったものだ。『蘆花記念館』の入り口に掛けられている蘆花先生の遺影にご挨拶したり、蘆花・愛子夫妻の旧宅(母屋)に上り込んで、まるで自分が文豪になったような気分に浸ったり、夫妻の墓所を参拝したり・・・つい先日、何十年ぶりかで芦花公園を訪ねた。ほとんど昔のままの佇まいに“我が青春時代”を回想して感慨ひとしお・・・ 

Tokutomi Roka.jpg

さて『八重の桜』を再び視るようになったのは、前述の通り“熊本バンド”の顔ぶれを知ってからのことだった。蘆花とその兄・蘇峰、そして横井時雄ら“熊本バンド”OBたちは、次第に新島襄と夫人・八重の人柄に魅かれ、襄からはキリストの教えを、八重からは不屈の精神(【ならぬことはならぬ】)を学んで(同志社英学校第1期卒業生として)それぞれの道へ羽ばたいて行く、これからの(物語の)展開とフィナーレが楽しみになって来た。ドラマを先取りすれば、新島襄は1889年(明治22年)神奈川県大磯の旅館で死去(死因は急性腹膜炎、享年47)。襄の死の翌年、八重は日本赤十字社の正社員となり看護婦の資格を取得して従軍看護婦、看護婦教育、地位向上に努力した。その功績で日清戦争(1894年、明治27年)の時、勲七等宝冠章を、日露戦争(1904年、明治37年)時、勲六等宝冠章が授与された。また1928年(昭和3年)昭和天皇の即位大礼の際に銀杯が下賜され、1932年(昭和7年)満86歳で波乱の人生の幕を閉じた。幕末・明治・大正・昭和の激動の時代を生き抜いた“会津の女傑”八重さんは翁が生まれる4年前までは生きていたのだ。故にこの八重さんは翁にとってごく身近な、親友のような存在に思えてならない。いずれかの機会に、翁流“八重の足跡”を訪ねたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

日本の食品

毎回、日本に帰るたびデパ地下の食料品売り場やマーケットに行くと驚いてしまう。必ず新しい食品が登場していてパッケージも綺麗で珍しいものや美味しいものが発見出来る。その中でも健康に特化した食品の進化にはもっと驚かされる。先日、母がお世話になっていた栄養士の方からのアドバイスであまり食事が取れなかった場合はバランスを考えておやつの時に栄養価の高いデザートで補うといいと聞いた。早速母が美味しかったというプリンをオーダーしてみる事にした。ついでにその会社で出している食品のカタログも何冊か送ってもらった。
見ると米国に進出している日本の食品会社で私も仕事では、お世話になった食品会社の製品がたくさん出ていた。一般の人向けの食品だけでなく介護食品や高栄養の食品それにタンパク質や塩分の制限がある人、カロリーや砂糖の制限のある人の食品まで細かく分けられていてその豊富なメニューと工夫に感心してしまった。数年前に噛む事が難しい高齢者の人の為に開発されたおせち料理がTVで紹介されていた。見た目は全く変わらないりっぱなおせち料理なのだが根菜の煮物も黒豆もかまぼこも食べると口の中で柔らかくほぐれ歯茎や舌でも潰せる固さなのだ。それに風味も味も同じなのだそうだ。栄養を摂るのに栄養剤やビタミン剤といったものは味気ないが一般の人と同じように普通に食事を楽しみながら健康管理が出来るというのが素晴らしいと思う。いくら栄養があっても体にいいものであっても、まずければ続かない。美味しいと思わなければ体が逆にストレスを感じてしまう。栄養を付ける為に、たくさん食べろと言われても少量しか食べられない人もいる。そういう人に少量でも栄養が取れて見た目にも食欲をそそるような食品がたくさんあるのだ。
カタログを見ていたら私まで食べたくなってしまうような彩が綺麗な盛り付けの冷凍保存が出来るお弁当もあった。
会社を辞める少し前にお客様の会社をご挨拶がてら回っていた時、ある会社のエンジニアの人が “人を幸せにするのは、どうしたらいいと思いますか? ” と突然の質問に一瞬、沈黙してしまった私に “ 美味しいものを食べた時、人は幸福な気持ちになりますよね ” そう言って、その人はにっこり笑った。
とてもシンプルな事だけど人間、美味しいものを食べるとすぐに幸せな気持ちになる。即効性があっていい。日本に帰ってきて食事を作る度に母が “ 美味しい ” と言ってくれる言葉が励みになっていろいろな料理を試しに作っている。
今回栄養補給の為に取り寄せてみた食品会社のカタログに “ 御客様の美味しい “ の一言がパワーの源です ”と書いてあった。どんな風にしたら、どんなものを提供したら喜んでいただけるのかそういう熱い想いが先にあって会社は創業1951年以来、順調に伸びてきたようだ。これから益々こういった介護食品のニーズは増えていくのだろうと思うし日本の食品の加工技術や味付けは今後世界でも活躍する場がたくさんあると思う。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

探してもなかなか見つからないのにある日突然、目の前に現れることがあります。
このアーティストのアルバムもその一つです。このアーティストのアルバムは雑貨屋ウィークリー740号で紹介した、"Round Midnight"の一枚しかなかったのですが、あべの橋のTSUTAYAで2枚目が見つかりました。"Round Midnight"に比べると静かでしっとりしたアルバムです。

"El Noche De Espana" Claude Williamson

01-Senor Blues
02-Poinciana
03-Estrellita
04-Barbados
05-El Noche De Espana
06-Besame Mucho
07-Smoke Gets In Your Eyes
08-Estate
09-I Heard You Cried Last Night
10-Nightingale In Berkeley Square


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

私たち夫婦が通っているスポーツジムは中高年のメンバーでいつも賑わっています。皆さんとても元気で、たくさんのレッスンをこなしています。中には朝から夕方まで弁当持参で参加している70歳代の方もいます。文部科学省の調査で70歳代の体力が12年で5歳若返ったと発表されていましたが、十分うなずけます。

雑貨屋ニュースウィークリーの配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.910

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com