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NO.909            Ryo Onishi              10/13/2013

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雑貨屋のひとり言

コインパーキングが街中にできています。前から気になっていたのが看板に書かれている『24時間最大○○○円』の駐車料金です。普通に考えたら2日間駐車したら○○○円の2倍になると思いますが、適用されるのは初めの24時間だけで、それを過ぎたら正規の1時間×××円で請求されるようです。知らずに駐車した人がものすごい料金を請求されビックリするケースが続出しているようです。
よーく見れば説明されているようですが請求されるまで気がつかないのですからフェアじゃないと思います。おまけに相手が機械なので文句も言えません。利用の際は気をつけてくださいね。≪R.O≫

 

東京オリンピックの感動
     〜1964年オリンピックの頃と私(4)

1961年(昭和36年)4月に初めての社会人として23歳の私は東京の実家を離れて長野県、諏訪市の諏訪精工舎に入社し、独身寮生活をスタートさせました。私にとって信州諏訪の地はそれまで何の縁もないところでした。新宿駅から中央東線の列車で行ったのですが、当時はまだ特急、急行列車がなく準急列車しかない時代でした。

その準急列車に乗車するためには準急券(確か百円だった)を買い求めねばならず、準急券代金が惜しくて普通(鈍行)列車に乗ったので、新宿から上諏訪まで6時間くらい要したと記憶しています。途中、列車は急な傾斜にかかると後退と前進を繰り返し(スイッチバック)あえぎながら進むのに驚いたものでした。

就職に当たって諏訪へ送った荷物は布団袋ひとつ。手荷物はボストンバックと通勤用の鞄だけでした。布団袋には寝具布団(上下)と衣類、それにラジオ1台と書籍少々だったと記憶しています。テレビは持っていませんでした。洗面道具や下着などは手荷物の鞄で運びました。

記憶に残る買い物としては、最初の諏訪の冬にスケート靴を上諏訪駅前の運動具店で購入しました。最初にこの店に出向いた時、店主のおやじさんから「お前はどこで働いているんだ」と聞かれ「諏訪精工舎です」と答えたところ、「スワセイコーシャってどこのことだ」と聞き返されました。

当時、この会社は諏訪の現地では“大和(だいわ)工業”という名前で知られており、“諏訪精工舎”という社名はまだ普及していなかった時代でした。あわてて「あのう大和工業です」 といい直したところ、店主のおやじに「デーワ(大和)のやつにはツケでは売らない!買いたかったら現金をもってこい。」と一喝されました。我々の先輩たちがツケで買って支払わず、この店が迷惑をこうむっているようでした。私はやむを得ず友人から借金をして現金でスケート靴を購入し、冬の諏訪湖を滑りました。

入社3年後の1964年10月、待望の東京オリンピックが華やかに始まりました。私は諏訪でこの時を迎えていました。前にも書いたとおり、我々の会社が主体的に開発したクオーツ式の電子時計でオリンピックの計測を全面的に担当し、精度の飛躍的向上とトラブル・ゼロを実現し、世界的な信頼を勝ち取ることになった出来事でした。

当時の日本は東海道新幹線、東京モノレールが開業し、首都高速道路、名神高速道路、地下鉄の整備、東京国際空港のターミナルビル増築・滑走路拡張など多くのインフラ整備がなされ活気に満ちました。

テレビはこの頃になるとある程度普及しており、一般市民である私たちもテレビを所持できるようになっていました。とはいうものの、まだ高価なものであり、特にカラー・テレビは若い私には高嶺の花であり、どうしてもオリンピックをテレビ観戦したかった私は白黒テレビを購入しました。これが私が購入したテレビ第1号でした。開会式の模様は日本ではNHKをはじめとするテレビ・ラジオで生中継され、海外へも通信衛星を利用して全世界に生中継されました。

競技の様子も実況中継で流されました。会社の仕事を早々に切り上げ、独身寮に戻って連日テレビ画面にくぎ付けになっていました。重量挙げの三宅義信、男子体操の遠藤幸雄、山下治広などの選手の様子がいまだに目に浮かびます。

中でも強烈だったのが「東洋の魔女」と称された日本女子バレーボール・チームでしょう。決勝では対戦相手のソ連と白熱の戦いの末、見事優勝し、金メダルを獲得したとき、私は感動のあまりその夜は寝付かれないほどでした。また、最後の男子マラソンではトップでスタジアムに戻ってきたアベベ・ビキラ(エチオピア)に続いて戻ってきた円谷幸吉でしたが、その後抜かれましたが3位でゴールし銅メダルでしたが日本中が沸きました。

先日、10月3日、「東洋の魔女」の主将だった中村(旧姓、河西)昌枝さんの訃報が報じられました。あれから半世紀近い歳月を経て、魔女もひとりの人間として静かに旅立ってゆかれました。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


定位置に枕だけある子の寝相

ダイエットいつまで続く妻の箸

また皿を割ってる父の台所

ばあちゃんに野次馬という馬の足

ローン完済しみじみゼロの字を見詰め


( ニュースやぶにらみ )


「習主席、朴大統領と握手」

手が冷たかった −安倍首相

「見張る」

スズメよりTPP −かかし

「蛇行」

海洋汚染の抗議デモです −黒潮


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(300)(記念号)「置かれた場所で咲きなさい」(その2=拡大版)

300号――“よくもまあ、続いたものだ”――スポーツ選手や芸能人が、ある種の成績を上げた時や周年記念、引退などの節目を迎えた時など「ファンの皆様のご声援(後押し)のおかげ」という言葉をよく使う。それはそれで当人の偽らざる感謝の気持ちの表れだろう。
翁も“よくもまあ、続いたものだ”の背景に、読者各位のご声援(激励)があったればこそ、を実感する。心から感謝申し上げたい。

一方「自分をほめたい」と言ったスポーツ選手もいた。(有名なのは)1996年アトランタ五輪女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子が涙ながらに語った言葉「自分で自分をほめたいと思います」。その言葉はその年の“流行語大賞”に選ばれた。「自分をほめたい」はフォーク歌手・高石ともやの詩『自分をほめてやろう』の1部を引用したものだそうだ。
♪・・・練習のつらさ、負けた悔しさも、それでも走り続けた訳も
君だけが覚えている、今夜は自分をほめてやろう
だが『龍翁余話』は(詩のような)辛さや悔しさを乗り越えて走り続けた(書き続けた)訳ではないし、記録的・社会的価値を得られるものでもなく、ただ、独りよがりの自分史を綴っているだけのことだから(読者各位へ感謝こそすれ)「自分で自分をほめる」ほどのものではない、と(謙遜ではなく)そう思っている。

さて、先週号(299)に“300号記念にふさわしいテーマである“として紹介した(ノートルダム清心学園理事長)渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』については幾人かの読者から「意味深いブックタイトルだ」「今春読んだが、もう一度読み返したい」「龍翁さんが(この本を通して)“現在の自分の立ち位置と余生への心構え“をどのように考えるか、楽しみだ」などと概ね期待感をうかがわせるメール(読後感)を頂戴した。翁は文芸評論家(書評家)ではないから、この本の総体的論評をこころみることは出来ないが、翁自身が感銘を受けた(我が余生の指標としたい)文章にスポットを当て、筆を進めたい。とは言うものの、そもそも『置かれた場所で咲きなさい』は、我が亡き母の口癖「自分がいま置かれている環境の中で絵を描きなさい」に重なったことに驚きと喜びを感じての出会いだったから“感銘を受けた文章にスポットを当てる”なんてものではなく、この本の全編を流れる≪渡辺和子思想≫そのものが即ち“我が余生の指標”となるのである。それでも(スペースの都合で)特に高齢の翁を刺激したお言葉だけを頂戴することにする。

【どんな場所に置かれても花を咲かせる心を持ち続けよう】――「私は36歳で大学学長に任命された当初、“くれない族”でした。(学生が)挨拶をしてくれない、(教職員が)ねぎらってくれない、(皆が)分かってくれない・・・でも私は変わりました。与えられた場所(置かれた場所)で不平不満を持ち、他人の出方で不愉快な思いをしたのでは、私は環境の奴隷でしかない。人間はどんな場所に置かれても、そこで環境の主人となり、自分で自分の花を咲かせなければならない、と決心したのです。私から先に(学生に)挨拶し、微笑みかけ、教職員に(ちょっとしたことでも)お礼を言うことにしました。すると不思議なことに皆が明るく、優しくなってくれました」――翁は思う、誰かが自分に何かをしてくれるのを待つのではなく、自分から(自分や人の為に)何かをすることで自分なりの花を咲かせることが出来るのだと――では『花』とは何ぞや?年代や性別、置かれている場所(環境)によって花の種類は異なるかもしれないし、本の中では具体的には指摘されていないが、全篇の随所に漂う著者(渡辺和子女史)の理念から想像するに、それは、就寝時に明日への期待を抱き、明日を迎えることの喜びが感じられること。朝起きて自分に対しては心の中で、人(家族や他人)に対しては声を出して「おはよう」と笑顔で挨拶が出来ること。昼間(活動時)には、どんなに小さなことでも「人に必要とされ、自分の行為が人の役に立ち自分も楽しみを覚える。ああ、こうして活動出来るって、何と幸せなことだろう」が実感出来ること。そして再び就寝の前に「今日を元気で過ごせてよかった。明日もまた」それが“花のある一日一生”である、と翁は思うのである――著者は言う「(若い人も年配者もそれなりに)“現在”というかけがえのない時間を精一杯生きよう」――

【苦しい峠でも必ず下り坂になる】――この言葉は中国の諺“車到山前必有路”(いかなる困難に遭遇しようとも前に進めば必ず道は開ける)に重なる。この諺は2009年に放送されたNHKドラマ(中国残留孤児を描いた)『遥かなる絆』に使われたもので、類似した諺に“朝が来ない夜はない”“冬来たりなば春遠からじ”などがある。だが、翁は思う、もはや我には、辛抱・忍耐の修行時間は無い。されば“苦難”を苦にしない鷹揚さを気取るか、あるいは、苦難の峠を避ける知恵を働かすか――著者は言う「人は、どんなに険しい峠でも超える力を持っている。そして、苦しさを乗り越えた人ほど強くなれる――

【苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる】――“生死”という大きな問題ではなく、
翁はこの言葉を趣味のゴルフに置き換える。2度の大手術と高齢化により体力が衰え(と言うより、タバコを止めていやし食いが多くなり体重増加、出っ腹が邪魔して)スイングが鈍り、ボールの飛距離が落ちたこと、乱視でグリーン上の芝目やアンジュレーション(起伏)の読み違いが多くなりパッティングが極不調、などの理由で、近年、苦しいゴルフが続いている。そこで翁はゴルフ目標を変えた。スコア(成績数)にこだわるのではなく、下手になった技術を回復させるまで1つ1つ課題を決めて練習する。それは実に苦しいが、課題に多少の上達(回復)が見られた時の喜びは、まるで童心の如し。だから、またゴルフが楽しくなる。“苦しいけれど、もうちょっとやってみる“ことの大切さを(この年齢になっても)知る昨今である――著者は言う「生きることは大変だが、生きようと覚悟を決めれば自然と勇気と力が湧くものだ」――

【私たちの心の中に、善いことをすすめ、悪いことを制止してくれる“王様”がいる。悩んだ時、迷った時は、自分の良心の囁きに耳をすまそう】――だが、翁は思う、人間は時には“良心の物差し”を狂わせる時がある。人間の心の中に住んでいる“王様”は、時には、人間の我欲を制し切れない気弱さを持っている。その時はどうするか、やはり隣人の“王様”の囁きに耳を傾ける勇気と謙虚さが必要となろう――

【人に恥じない生き方、それは心を輝かせること】――「マザー・テレサが初来日された時“一番驚いたのは街並み・建物・服装など全てがきれいだった”と言われました。しかし、こうもおっしゃいました“きれいな家の中で、親子の会話、夫婦のいたわり、家族の微笑みが無いとしたら、インドの(汚い)小屋の中で仲睦まじく暮らす家族の方がよほど豊かで幸せです」――著者は言う「きれいさはお金で買えるが、心の美しさは(金では)買えない。心の美しさは自分の心との戦いによってのみ得られる」――

【いい出会いを育てよう】――この“出会い”については、翁、多少の持論がある。『龍翁余話』が始まって間もない11号に書いた「縁(えにし)」から抜粋しよう。「・・・中国語に“有縁没有縁”というのがある。縁が有るか無いか、を問う言葉だ。“有縁”とは、認知(出会い)→相互理解→相互信頼→相互協力→相互尊敬の継続を意味し、このどれかが欠ければ『没有縁』になる。これは、コミュニケーションの基調である人間関係(ヒューマンリレーションズ)の本質を表す言葉であり思想である。翁はその基本概念にもう1つ“恕(じょ)の精神”を加えたい。“恕”とは孔子の言葉で、他人の心を思いやること・・・」――著者は言う「出会っただけでは信頼関係は結べない。“ご縁を大切にしよう”という気持ちを育てよう」――

【美しく老いる】――八十半ばを過ぎた著者(渡辺和子先生)は言う「若い時には考えていなかった“一日の重さ”“今日も一日生かしていただくありがたさ”を身に沁みて感じ、かつて出来ていたことが出来なくなった自分を嘆き悲しむのではなく、他人に頭を下げる謙虚さを身につけるようになった」――翁の年齢になると、この言葉が重くのしかかる。まったく、同感である。但し、翁は男だから“美しく老いる”のではなく“逞しく生きたい”と思う――著者は言う「歳をとることは悲しいことではない。歳をとって気づくこと、歳なればこそ言えることも沢山ある。毎日を“私の一番若い日”として輝こう」――

“歳なればこそ言いたい放題”で書き続けた300号の節目に、渡辺和子先生の『置かれた場所で咲きなさい』に出会えたことは誠に幸運であった。この本の全編に流れる思想は【愛・感謝・祈り】である。翁の“立ち位置と余生への心構え”に十分なヒントをいただいた。翁の気力・体力が続く限り(渡辺先生の教えを忘れず)『余話』の配信回数を重ねたい。読者各位の一層の叱咤激励をお願いして・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

今週はお休みです。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

インナーフォーンで音楽を聴いている人が多いですが、中には音漏れの酷い人がいます。周りがうるさいと感じるのですから、相当な音量だと思います。特に若い人に多いです。あの調子でずーっと聴いていたら耳が難聴になってしまうでしょう。気がついていないのでしょうね。
今週はローマ生まれの3人組でバランスのとれたトリオのアルバムです。アメリカ、イタリアのスタンダード曲で、なかなか聴き応えのあるアルバムです。

"L'appuntamento" Roma Trio
01-My Favorite Things
02-Will You Still Be Mine_
03-Estate
04-Stablemates
05-Song For Hara
06-Cherokee
07-Tune Up
08-Come Prima
09-Easy To Love
10-Invitation
11-L'Aappuntamento

Luca Mannutza ルカ・マヌッツァ(piano)
Gianluca Renzi ジャンルカ・レンツィ(bass)
Nicola Angelucci ニコラ・アンジェルッチ(drums)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

台風が来るたびに蒸し暑くなり、先週は夏に逆戻りしたかのような気温と湿度でした。10月でこんなに暑いのはあまり記憶にないですね。昨夜から急に冷え込んできました。爽やかな秋を楽しみたいのですが、異常な気候に振り回されます。今年の秋は短いのでしょうか?

関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

雑貨屋ニュースウィークリーの配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

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雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.909

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com