龍翁余話(206)「自転車狂走曲」
翁が初めてヨーロッパ(7カ国)を歴訪したのは1969年(昭和44年)、1ドル360円時代が終わる頃だった。東大学生による安田講堂占拠事件(東大闘争)の年。また、世相としてはジーンズ定着、パンタロン流行、冷凍食品時代到来など。その年のベストセラーは『天と地と』(海音寺潮五郎)、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(庄司薫)、『さみしい王様』(先日亡くなった北杜夫)など。そしてその年のヒット曲と言えば『白いブランコ』(ビリー・バンバン)、『長崎は今日も雨だった』(内山田洋とクールファイブ)、『いいじゃないの、幸せならば」(相良直美)などが記憶に残るが、実は、最近アメリカでリリースした由紀さおりのニューアルバム『1969』(由紀さおりのデビュー年)が今、iTunes
(アップル社製の音楽・動画の管理・再生ソフト)のジャズチャートで第1位を獲得し話題になっている。その中に収録されている『夜明けのスキャット』、『ブルー・ライト・ヨコハマ』なども、この年のヒット曲だ。そんな年に初めて渡欧し、ヨーロッパの国々の、古くて深い歴史や文化に触れて大いなるカルチャーショックを受けたものだった。その後、数回ヨーロッパ諸国を回ったが、やはり最初に受けた強烈な印象や感動は忘れることが出来ない。その中の1つにオランダの首都アムステルダムがある。
アムステルダムは、中央駅を中心に網の目状に広がる『運河』の街。その運河に沿って並ぶ『17世紀の豪商の邸宅』群、運河(水面)より低い位置にある(水圧を防ぐ強力なガラスで囲われた)『運河レストラン』群、『王宮』(17世紀中頃建築の旧市庁舎)、『飾り窓の女』(1階にはいかがわしい書籍やフィルム・写真=近年はDVDだろうか?=の売店が並び、2階のガラス窓には下着姿の売春婦たちが窓辺に腰掛けて観光客らに微笑みかける)、『アンネの日記』の著者『アンネ・フランクの家』などが印象的だったが、街を歩いて驚いたことは、雨天でも傘をささない市民(記憶に間違いがなければ、アムステルダム市内で傘屋は1軒しかない)、それと朝夕のラッシュ時は、街中、自転車の洪水だ。と言っても日本(特に東京や大阪などの大都市)のように、自転車が我が物顔で歩道を突っ走り、通行人への死傷事件を起こすような事象は殆んど無い。それは自転車利用者のルール、マナーがきちんと守られていることと車道と歩道の間に自転車専用道路が設けられているからだ。
世界の自転車普及率(人口100人当たりの保有台数)を調べたら、やはりオランダがトップ(1人1台以上の保有)、次いでドイツ、デンマーク、ノルウエー、スエーデンと続き、日本は100人中68台の第6位。3.11の東日本大震災以後、自転車の利便性が見直され、保有台数はもっと増えているかもしれない。それにしてもオランダやドイツ、デンマークなどに比べ、日本は何と“自転車文化水準”の低いことか――歩道を猛スピードで突っ走って歩行者(特に高齢者)に恐怖心を抱かせる若者(男女)、タバコをふかしながら、携帯電話を掛けながら、携帯メールを打ちながら、ヘッドフォンで音楽を聴きながら、などの“ながら運転”のこれも男女若者。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」(一茶)ならぬ「歩行者よ、そこのけそこのけ自転車が通る」の有り様だ。翁、メタボ解消のため時々、我が家からJR五反田駅までの片道20分を散歩するが、途中が緩やかな下り坂のせいか、爆走する自転車が多い。翁、これまでに何回「バカタレ!」と怒鳴りつけたことか。銀座でも新宿でも渋谷でも原宿でも、“自転車狂走曲”はますます激しさを増すばかり。
自転車は、これまで啓蒙活動や安全対策が徹底していなかったからか、あるいは自転車走行道路が整備されていないせいか、そして若年層や高齢者の利用が増えたからか、自転車の事故件数は増加の傾向にある(警察庁資料)。法的には自転車も車輌(軽車輌)であるのだが、運転免許も要らず事故の際の保護装置(シートベルトやエアバッグ)も無く、保険にも入っていない人が多い。だから、何か起きた時のリスクは自動車よりも自転車のほうが高いのだ。昨年4月『龍翁余話』(124号)「自転車の事故防止」で次のような判例を紹介した。
@道路右側を自転車で走行中、対向してきた主婦の自転車と接触、転倒した主婦は頭部打撲で死亡、賠償金3,000万円。A無灯火の自転車が、歩いていた高齢者と接触、高齢者は転倒して死亡、賠償金は同じく3,000万円。B女子高校生が夜、携帯電話をかけながら無灯火の自転車を走行中、電話に気をとられ、前方を歩行中のOLに背後から衝突、OLは歩行困難な後遺障害を負った。加害者の女子高校生に5,000万円の賠償命令が下る。C傘をさして自転車で走行中、交差点で他の自転車と衝突、相手は転倒して足を骨折、賠償金500万円(いずれも警察庁のデータ)。
平成20年6月から道交法が一部改正され、自転車に関する条項が一段と厳しくなった。例えば、自転車の歩道走行禁止(走行を可とする歩道以外は原則として車道の左側を走る)。
飲酒運転、指定自転車以外の二人乗り、並進、携帯電話・メール、夜間無灯火、などが禁止された。違反者には当然、罰則(罰金)が科せられる。例えば飲酒運転(5年以下の懲役、または100万円以下の罰金)、並進の禁止、二人乗りの禁止、信号無視、交差点での一時停止違反、児童・幼児のヘルメット使用違反(いずれも2万円以下の罰金)のほか夜間点灯、運転中の携帯電話の使用禁止、傘さし運転の禁止(いずれも5万円以下の罰金)など。
車道で自転車が走ると自動車の運転者は怖い思いをする。が“歩行者保護”の思想は優先されなければならない。アムステルダムのように自転車走行道路(専用道路)が整備されるまでは、自動車運転者も車道走行自転車に“道を譲る”しかあるまい。翁の恩師で交通工学の権威者だった故・宇留野藤雄博士の言葉「交通マナーはその国の国民の教養水準のバロメーター」を思い出す。『自転車狂曲』を鎮め、もうこれ以上、自転車を『走る凶器』にしてはならない・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
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