龍翁余話(205)「忍野八海」
富士五湖周辺に行くのは何年ぶりだろう。しかも、これまでに何回も、いや、何十回もドライブしたことがあるのに『忍野八海(おしのはっかい)』は初めてだ。4日、九州からの客人と一緒に出かけた。東名高速の御殿場ICをおりてR138を約15分走り須走ICから東富士五湖道路に乗る。そこから約10分で山中湖・忍野ICに着く。秋の行楽シーズン真っ只中、道路も山中湖もガラガラ。翁たちにとっては幸いだったが、こんなことで日本の経済は回復するのだろうか、と、ふと、余計な心配が頭をよぎる。人出も少なく湖面もガスっていて撮影意欲も湧かなかったので素通りし、目的地の忍野村へと急ぐ。山中湖(中心部)から約15分で『忍野八海資料館』に着く。ここはさすがに観光客で賑わっている。事務所の管理人に八海巡り(コース)順などを訊いたが、あまり親切な返事は返って来ない。ガイド図(チラシ)もない。直ぐ近くの土産店の駐車場に車を停めた。店の老主人に「駐車料は?」と訊いたら「無料ですが、お帰りの際、500円程度のお土産でも買っていただければありがたいです」観光地にしては何と良心的で鷹揚な構えだろう。観光客の多くはおおむね気分屋になる。翁もその典型だ。この店主の物腰が気に入ったので、よし、1000円以上の買い物をしよう、という気分になった(単純?)。で、店主手作りのガイド・チラシを借りて“八海巡り“を開始するのだが、その前に『忍野八海』とは何かを記しておこう。
資料によると――『忍野八海』は八つの湧水池から成っている。その昔、忍野村は『宇津湖』という湖だったが延暦19年(800年=平安時代)に富士山が 大噴火した時の溶岩流によって『宇津湖』は山中湖と忍野湖に分かれた。つまり忍野湖は富士五湖と関連する湖だったが、川の浸食や掘削排水などのため枯れてしまい、その時、残った富士山の伏流水の湧出口の池が、今日『忍野八海』と呼ばれる“池”である。富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水槽という溶岩の間で長い歳月をかけて濾過された澄みきった水。水質・水量・保全状況・景観の良さから、1985年(昭和60年)に、全国名水百選に選定され、また国の天然記念物にも指定された――とある。
“親切あるじの店”の前にある『湧池(わくいけ)』(写真)から歩き始める。説明板には“溶岩の間から湧き出た聖水。人々はこれを飲料水や水田に用いている”と書かれている。清水が湧き出ている池底の溶岩に手が届くほどの透明度。手を入れたり物(お金)を投げ入れたり、ペットを1m以内に近づけないように、との注意書き貼られている。第一、そんなことが出来ないほどの神秘な池だ。さて、次は、と、手作りガイド・チラシを眺めるのだが、初めての訪問者には、とんと方角が分からない。それに翁、時折、ドライブ散策に出かけるのだが、ほとんどの場所で不愉快になるのが“案内板(道標)”の不備。地元の人間が地元感覚でしか作らないので訪問客への配慮が足りない。同行の客人が「予算が無いのでしょう」と言ったので翁「知恵と親切心が無いのだ」と吐き捨てた。結局、地元の人に尋ねながら他の海(池)を回った。外国からの観光客(中国人、韓国人)もかなりいたが、彼らも片言の日本語で尋ね歩いていた。
『八海』とは『湧池』のほか『菖蒲池』(写真左)、『鏡池』、『お釜池』(写真中)、『銚子池』『濁池』、『底抜池』そして『出口池』(写真右)の8つの池。それぞれに伝説がある。いずれも神話の神様と村人たちとの関わり、富士山の霊力現象、池自体に起きた不思議現象などの言い伝えだ。資料を読んだだけでは“バカバカしい”と思うが、実際にこれらの神秘的な聖水池に立つと、それらの伝説が生々しく感じられるから不思議だ。ここ『八海』の湧水は、忍野地区を流れる桂川の最上流の水源地として遠くは相模湖まで通じ、京浜地方の大切な給水源として大きな役割を果たしているそうだ。翁たち東京人が毎日飲む水の源(の1つ)がこの地にあるとしたら『八海』を守り続ける忍野の人々には大いなる感謝。
翁たちは、更なる秋(紅葉)を求めて青木ケ原(樹海)を目指す。途中、真っ赤に色づいたドウダンツツジ(写真左)の美しさに魅かれ河口湖畔で休憩。河口湖は富士五湖の1つで山中湖に次ぐ2番目の大きさ。湖岸線は五湖の中で最も長いそうだ。河口湖に隣接する西湖(富士五湖の1つ)の南側を走ると『青木ケ原樹海入口』の看板、キャンプ場や遊歩道の案内板が目に付く。自殺の名所とか方位磁針が使えなくて迷子になってしまう、などの俗説もあるが、本来は、富士箱根伊豆国立公園に属し、国の天然記念物・特別保護区に指定されている観光地だ。翁たちは入林のつもりはなく、単に紅葉探しのドライブであったが、残念ながら時期尚早で道路端の樹木に微かな紅葉を見るにとどまった(写真中・右)が、それなりの“秋”を感じた。11月の季語は晩秋・向寒・初霜・初雪・落葉などだが、感覚的にはどれも当てはまらない。冠雪のない富士山なんてとんだ間抜け顔。晩秋はまだ先だろうと思える暖かさだが、農家の軒下の吊るし柿や干しトウモロコシは確実に冬への備えであった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
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