龍翁余話(204)「品川花海道から鈴が森刑場跡へ」
小春日和の某日、品川駅から京浜急行で5つ目の立会川駅に、1年8ヶ月ぶりに降りた。前回は『若き日の龍馬を偲ぶ〜品川・立会川』の散策であった。その探訪記『龍翁余話』(116)の中に≪幕末、立会川沖に黒船が停泊、幕府に開国を迫る。この地にあった土佐藩下屋敷では藩を挙げて立会川河口堰に砲台(浜川砲台)を建設、剣術修行のため江戸に来ていた龍馬は、一時期この下屋敷内の宿舎に住み、北辰一刀流の千葉定吉道場(現在の東京駅南口・八重洲ブックセンター付近?)に通うかたわら、藩命で浜川砲台の警備に当たっていたと伝えられる。龍馬が、海外に思いを馳せる雄大な思想を創り出す原点となったのが、ここ立会川浜川砲台と言われている≫の一文がある。2度目の今回も駅の直ぐ傍(立会川商店街の入口、北浜川児童公園入口)に建つ台座込み3mの威風堂々たる龍馬像が翁を迎えてくれた。熱烈な龍馬ファンの翁、懐かしさがこみ上げ(龍馬像に)目礼。
『若き日の龍馬を偲ぶ・・・』では“これからも立会川を再三訪ね、龍馬の息遣いを感じながら彼の人間性・志向性・行動性を再学習してみたい”と結んだが、今回の立会川再訪は“龍馬”ではない。ガラにもなく”運河のコスモス畑“を見に来たのだ。立会川商店街を抜け(前記)立会川河口堰に保存されている浜川砲台跡の場所から運河(勝島運河)になる。延長約1km、沿岸には屋形船や釣り船の船溜が数箇所、そして土手一面にコスモスが咲き誇っている。地元の人はこの場所を『品川花海道』と呼
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ぶ。10年前「勝島運河の土手に花畑を作ろうとの気運が高まり、地元の住民や商店街が始めたもので、今では地元・鮫浜小学校の生徒も参加、春は菜の花、秋はコスモスの種まきをして“花海道”作りに協力している」と立て札(説明板)に書かれている。出かける前に『品川花海道プロジェクト』の事務局に電話して咲き具合を問い合わせたら「今が一番の見頃、ご満足いただけますよ」。その返事に誇張はなく、黄・ピンク・白・赤など、いずれも満開のコスモスが翁の目を楽しませてくれた。運河からの涼風も心地よかった。
ところで、根っからの歴史好きな翁、立会川商店街を横断する旧東海道が立会 川を渡る所に“涙橋”(泪橋)と言う名の短い橋が架かっているが、それが気になって仕方ない。それで約1kmの“花海道”をUターンして“涙橋”(現在名は浜川橋)まで戻った。橋の袂の立て札(説明板)によると「罪人達が(立会川の近くにある)鈴が森の刑場に行くにはこの橋を通らなければならず、罪人にとって現世との最後の別れの場、家族との今生の別れの場。お互いにこの橋の上で涙を流したことから“涙橋”と名付けられた」とある。『鈴が森刑場跡』は、立会川の次の駅・大森海岸駅の近くにある。ここから歩いても15分くらい。“涙橋”の由来を知り、橋の上でしばし罪人の“今生の分かれの気分”を推し量りながら、ここまで来たらいっそのこと刑場まで行こう、と、旧東海道から途中で第一京浜(国道)に出て『鈴が森刑場跡』を目指す。さっき、美しいコスモスによって心を癒されたばかりだというのに、何を好んで冥府(めいふ=死後の世界・地獄・閻魔)の入り口を見に行こうとするのか、一貫性のないチグハグ散策に可笑しさを覚えながら、歩いた。
慶安4年(1651年)に東海道沿いの江戸の入口に設けられた『鈴が森刑場』は、開設当時は間口74m、奥行き16mあったそうだが今は縮小され狭いスペースの中に磔(はりつけ)の木柱や火炙り(ひあぶり)の鉄柱を立てた礎石(台)(写真:中の2枚)、首洗い井戸(写真:右)などが残されている。明治4年(1871年)の閉鎖までの220年間に20万人もの罪人が処刑されたそうだが、はっきりした記録はなく、相当数の冤罪があったと言われている。なお、この場所で処刑された有名人(?)は、丸橋忠弥(『鈴が森刑場』が開設された年に起きた慶安の変=由比正雪の乱の首謀者の一人、同刑場の最初の処刑者)。平井権八(鳥取藩士、父親を殺害、江戸に逐電して吉原の遊女・小柴と馴染となり、金銭に困って浅草日本堤で辻斬り、磔の刑)。天一坊(山伏、「自分は8代将軍吉宗公のご落胤だ」という触れ込みで天下を騒がせ、磔の刑)。八百屋お七(江戸本郷・八百屋の娘、激しい恋慕の末、放火の罪で火炙りの刑)。鼠小僧次郎吉(講談でお馴染みの怪盗?打ち首)ら。
『品川花海道』では、心地いい運河の風に吹かれ、コスモスに和まされ天にも昇る“羽化登仙”(うかとうせん)の心境であったのに、『鈴が森刑場跡』では見渡す限り何とも物哀しく重苦しい“満目蕭条”(まんもくしょうじょう)の気分に陥った。読者各位も読後に暗い気持ちになられたのではあるまいか?だとしたら、翁の独りよがりの歴史好きが招いた拙文(愚構成)、心からお詫びする。ともあれ翁、受刑者之碑と無縁仏供養塔に水を供え合掌しながら呟いた“世に天国と地獄あり、いずれの道を往かんか、人それぞれの生き様次第、我、余命の日々を如何に正(ただ)さん”・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
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