私の日本の実家(東京都墨田区押上)のすぐ近くで建設中の「東京スカイツリー」は3月18日、目標とする高さ634(むさし)メートルに到達しました。タワー本体から突き出ているアンテナ取り付け用の「ゲイン塔」を引き上げる作業が行われ、ゲイン塔の頂点にある避雷針が634メートルに達したわけです。3月11日の大震災の揺れにもビクともせず、しっかりと立っていたようです。一般公開まで300日を切り、カウントダウンが始まっています。東京下町に誕生する新名所は一般公開が始まったら多くの見物客で賑わうことでしょう。
しかし、この巨大電波塔の出現は私の大好きだった東京・下町の伝統文化や風情を確実に破壊することは目に見えています。私が一番直近に工事現場を訪ねたのは昨年11月の日本訪問時でしたが、工事現場付近の雑踏や付属施設の建設で一時的に混乱するのはやむを得ないとしても、工事の進捗状況を見学に集まってくる若者を中心とする人々のマナーは決して誉められたものではありませんでした。服装について言う気はありませんが、信号無視、通行の妨害、進入禁止区域への立ち入りなど、どう見ても「世界の観光地」へのマナーは準備不足です。
本来、日本人のメンタリティはお互いの心を察し、気配りし、なにげなく相手を気持ちよくさせるところだったはずです。特に東京・下町の情緒は思いやりの精神だと信じていますが、いまやそんな思いやり、心遣いなど、少なくとも表通りからは消えうせてしまっていました。それでもまだ、一歩狭い裏道に入れば鉢植えの花木を並べ、人情あふれるたたずまいもあり、また誰とでも気さくに言葉をかけられる雰囲気がただようところも残っていたのがせめてもの救いでした。
合理的に理屈が合わなくとも相手に対する心くばりを重視し、ご近所もひとつの家族として譲り合い、いたわりあうのが日本であり、特に東京下町の特徴です。お隣の子供が世間の常識に反することをしたら、実の親と同様に叱ってくれる気遣いと思いやりがあり、これこそ日本のよき風習のはずです。最近の個人中心の風潮の中でもう一度この日本的発想の文化を思い起こす必要があるのではないでしょうか。
日本的発想とは、欧米的な理詰めで分析・細分化していくのではなく、むしろその逆で、見えない又は表に現れていないものも含めて、全体を心とか感性で捉えようとする発想といえると思います。日本人は基本的に均質化した島国民族といわれ、お互いの常識にそれほど差がなく、従ってこまかく言わなくとも、互いに理解し合い、少ない言葉で多くを理解する為「気のきく」
「察しの良い」 人間が出来上がり、これまた 日本人の美点になっていると思います。
最近、日本でも 国際化の荒波の中、「人の開国論」 について 色々な議論がなされています。国際社会で、もはや
一国孤立主義は許されない日本ですから海外からの「モノ」は受け入れるが 「ヒト」は 受け入れないでは
済まされないのは当然ですが、そのために
日本的メンタリティが失われてしまうのはさびしい限りです。また日本人でも最近の教育・生活環境に慣れた若い人々は、しっかりした自分の意見や主義主張を持つようになっています。これはこれで結構なことですが、ただしその根底には所謂日本的発想もしっかり根付いたものであって欲しいものです。
多くを語らなくとも 互いに理解し、察しあえるという 素晴らしい日本古来の美点も、一旦 海外に出ると、今度は
それが大変な誤解の根源になり、「あの日本人は何を考えているのだ」と非難されたり、ひどい時は「完全無視」され、泣きたい思いの経験をさせられます。日本的発想の美点は残しつつ、国際社会の中で尊敬され生き続けるにはどうすればよいか、日本がこれから生き続けるための
私達に与えられたテーマのような気がしてなりません。
河合将介(skawai@earthlink.net) |