龍翁余話(155)「寅さん記念館」
秋晴れの某日、1年ぶりに会った友人と一緒に『寅さん記念館』 へ行った。 まずは柴又駅(京成電鉄金町線)構内の“寅さん像”に挨拶。体は駅に向かっているが、顔は帝釈天参道(商店街)にある団子屋『とらや』に向いている。愛する妹・さくらとの名残りを惜しんでいるかのよう。その『とらや』に立ち寄る。1887年(明治20年)に『柴又屋』として創業、1969年(昭和44年)、第1作目の『男はつらいよ』から第4作目まで“寅さんの実家”として撮影に使われた。老朽化のため平成元年に建て替えられたが、店構えも店内も往時を偲ばせる雰囲気が残されている。名物“草団子”を買う。ヨモギ団子に小豆餡をまぶして食べるのだが、近年、饅頭やぜんざいなどの餡子物は甘味を抑えているので、甘党の翁には少し物足りないのでは?後刻いただくが、ヨモギは漢方薬としても使われるほどの薬効、栄養価が高いので“健康食”ではある。
「私、生まれも育ちも葛飾柴又
帝釈天で産湯を使い・・」の口上で有名な帝釈天へ。御前様(住職:笠智衆)や寺男(源公:佐藤蛾次郎)も懐かしい。帝釈天から江戸川方面へ約800mの所に『虎さん記念館』。撮影で使った“くるまや”の内部や帝釈天参道(模型)などが保存され、“寅さんメモリアルコーナー”(作品集)へと続く。
『男はつらいよ』は、もともと1968年(昭和43年)にフジテレビが制作、放送した。松竹が映画化(シリーズ化)したのは翌年1969年(昭和44年)から、主演の渥美清が亡くなる1996年(平成8年)までの27年間、全48作(1997年に特別編1本)が製作、上映された。全作品がヒットして松竹のドル箱シリーズとなり、30作を超えた時点で世界最長の映画シリーズとしてギネスブック(国際版)にも認定されたことはご承知の通りである。
主演の渥美清(1928年3月10日〜1996年8月4日)は東京・台東区上野の生まれ。『男はつらいよ』では“フウテンの寅”こと車寅次郎を演じ数々の賞(キネマ旬報主演男優賞)、毎日映画コンクール男優主演賞、ブルーリボン賞主演男優賞、紫綬褒章などを受章、(没後)国民栄誉賞が贈られた。
ところで『寅さん記念館』の中で“言葉は心”という掛け軸を見た。1つの言葉で喧嘩して、
1つの言葉で仲直り、1つの言葉で頭が下がり、1つの言葉で笑いあい、1つ の言葉で泣かされる・・・とある。中国のある僧侶の遺訓らしいが、これは多分“言葉の前に心あり、言葉の後に行動あり”、つまり心(誠心)をもって言葉を発し、その後に言葉(約束)通りのことを実行せよ、という教訓ではあるまいか。だとすると、今の中国人(特に政府)は言葉をもてあそび(詭弁を弄し)、他に責任を転嫁することで無理やり自論を正当化しようとする“心無い言葉”の外交が頻発し過ぎている。これでは“仁・智・徳・礼・義”の儒教の歴史が泣こうというもの。一方、日本(政治家)もまた“心ある言葉”、“言葉の重み”を忘れ、国内外の信頼を失っている。
さて『寅さん記念館』のすぐ近くに江戸川の土手。明治時代の小説家・伊藤左千夫の『野菊の墓』で、というより、細川たかしや、ちあきなおみ、瀬川瑛子らが歌う『矢切の渡し』で有名になった渡し舟場がある。ここは『男はつらいよ』の映画の中でも、たびたび登場した。渡し舟は江戸時代の交通手段として各地にあったが、現在では当時の風景を観ることが出来る場所は、ここ『矢切の渡し』しかないそうだ。写真は手前が東京・柴又、向こう岸が千葉県松戸市の矢切。小説の舞台はとなったのは松戸(矢切)付近、政夫と民子の最後の別れの場となった所。歌は葛飾・柴又側が舞台のようだ。歌詞(2番)に♪・・・柴又捨てて 舟にまかせるさだめです・・・というのがある。
友人と一緒に、渡し舟(発着場)近くのベンチに腰をおろし『とらや』の草団子をほおばる。心地いい江戸川の秋風を受けながら、それぞれの思いに耽る。翁、もう一度『言葉の重み』を考えてみる。言葉は、人類が築き上げた文明の象徴であり、人間関係を円滑にするコミュニケーション・ツールである一方、心無い言葉が、時として他人を傷つけたり怒らせてしまう危険な場面を生む道具でもある。翁もこれまでに、(自分では気づかないうちに)不用意、軽率な発言で他人に不愉快な思いをさせてしまったこと、多々あると思うと汗顔の至り。いま改めて寅さんの“決めセリフ”「それを言っちゃ、おしまいよ」を肝に銘じることにする・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |