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No.492          Ryo Onishi               10/16/2005   

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雑貨屋のひとり言

■ワイフの入院がきっかけで、家族の行動に変化が出てきました。一番大きいのは私自身だと思います。買物、食器洗い、洗濯、風呂掃除、食事の支度(手伝いを含め)など、ずいぶんやるようになりました。主婦の仕事がいかに大変かよくわかるようになりました。
■さわやかな涼しい風が吹いて、気持ちのいい季節になりました。ようやく秋になったなあと思います。でも紅葉は毎年、遅くなってきているみたいですね。(R.O.)

遠 隔 授 業

 先週末、私は日本の大学院生を相手にインターネットを媒体とする「遠隔授業」の講師体験をさせてもらいました。この体験は昨年7月に続いて二度目の経験でしたが、知人のT氏からの依頼でした。

T氏は当地在住の日本人で、ビジネスとしては米国へ進出する日本企業のトータル・サポートや企業提携コーディネーションなどを手広く展開しながら、同時に日本の若者たちのために国際的に通用するビジネス・パーソンつくりにも熱心に取り組んでいます。彼のこの熱意はいつの日にか「松下政経塾」や「稲盛実践経営塾」と並び称される「T塾」になるのではと、私は密かに期待していまるところです。

T氏の説明によると、彼がある国際会議をインターネットでサポートした縁で数年前から日本の金沢工業大学大学院の非常勤講師として招聘され、NBAコースの大学院生を対象に「国際ビジネス実践論」を担当しているとのこと。定期的に日本へ行き、また時にはインターネット経由で米国から遠隔授業をしているとのことです。

このインターネット遠隔授業にゲスト講師として不肖私に声をかけていただいたということです。

日本の午前10時半からの授業であるため、こちらは午後6時半から指定の場所(I.T.ビジネスM社オフィスの一室)に集まり、T氏との対談(質疑応答)形式で、私の海外ビジネス体験談を中心に「日米ビジネス環境の相違」、「日本企業の国際化と現地化」、「海外ビジネス展開での留意点」などを語らせていただきました。

私の体験談など、どれほどこれからの人々に対して役立つかは別として、日本企業(特に製造業)の海外進出のさきがけ時代ともいえる1960年代から海外(私の場合はシンガポール、一時日本帰国、その後米国ロサンゼルス)で経験した私の珍談・奇談は多少とも聴講生の興味をひいたのではと思っています。

1万キロも離れた日本の金沢とロサンゼルスが直接インターネットで繋がり、日米双方がお互い顔を見ながら講義を受けたり質疑をしたりと、今更ながらI.T.時代を実感させられたひと時でした。

遠隔講義終了後、聴講生の一人からT氏に「・・もしよろしければ、今日の授業で河合さんが用意されていた資料の詳しいものをいただくことは可能でしょうか?」との問い合わせがあったそうで、早速T氏宛てに私の講義用資料をE-メールに添付し送付しました。これらすべてが瞬時に通じ合い実行されるのですから、便利な世の中(コンピュータ時代)になったものです。
 
これからコンピュータはどこまで新しい分野まで進展するのでしょう。ある意味では末恐ろしい感じさえします。

これまでの歴史でも数多くの新しい製品、技術が開発・発明されてきました。しかし、これまでは何か必要や要求を感じ、そのため新しい発明がなされてきました。例えば、空を飛びたい=飛行機、遠くまで早く行きたい=自動車、冷たい状態で保存したい=冷蔵庫、映像を保存したい=カメラ・・、といった具合です。

ところがコンピュータに到っては、特定の必要、要求を実現するために開発されたというより「コンピュータが出来た」が先で、「さあ何に使おうか?」が後から追いかけている感じです。

日本語では当初コンピュータを「電子計算機」と呼んだ時代がありました。今では計算機機能はほんの一部であり、いま時コンピュータを電子計算機と呼ぶ人はまずいません。(中国語では「電脳」と呼ぶそうですが、これのほうが正鵠を射ているようです)

Yahoo Japan の辞書検索で「コンピュータ」と打ち込んで見ましたら以下のような説明が記載されていました。

《電子回路を用い、与えられた方法・手順に従って、データの貯蔵・検索・加工などを高速度で行う装置。科学計算・事務管理・自動制御から言語や画像の情報処理に至るまで広範囲に用いられている》

今では上記の解釈では説明しきれない働きもコンピュータはしているのではないでしょうか。コンピュータが「こんなことが出来るよ」「あんなことも出来るよ」と教えてくれるようです。

これまであった「必要は発明の母」という諺も「コンピュータは発明の母」に置き変わる時代が来つつあるようです。
                                             河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「 海の月 」

隅田川の波の風にのって運ばれる甘い金木犀のかほりが漂う。一雨ごとに金色の花が地に落ちて、その芳香が薄くなる。秋の雨は憎らしい。今年10月15日の十三夜も、雨の東京に、月は姿を隠したままだった。そして今日も雨。明日17日は晴れて欲しいもの。だって、明晩の部分月食を拝見させて欲しいから。秋の空には月がつきモノ。ところで、海にも月があると知らされ驚いた。今や世を騒がせている巨大くらげ。そう、くらげは、いくつかの漢字の中に「海月」というのがある。フワフワ(ゆらゆら)と泳ぐ姿は、見ようによっては風流に見えるかもしれないが、さくらにとっては、どうも・・・

海で生れ育った私の幼き想い出には、海の自然にまつわる男の子顔負けの事件や話題がいっぱい。くらげといえば小学校6年生の夏季キャンプの時、大変な目にあったことを思い出す。今から泳ぎましょうという時、砂浜から水に入りながら先生が「は〜い、足を水につけてぇ〜、手先からだんだん腕の方へ水をかけてぇ〜、腰まで水に使ってぇ、はい次は首まで水につかってぇ〜」っと、言った。その瞬間、私の背中に電気が走った。くらげの侵入だった。乾いた水着の背中が下方から徐々に水を吸った空圧で身体から離れた一瞬の間に、私の背中と水着の間にくらげが入ったのだ。挟まれたくらげは自己防衛戦術で電気を放った。先生は続けて「は〜い、立ってみよう」と言った。さらにその瞬間、背中の電気は震源地を上から下に移動させながら強さを増した。先生の「立ってぇ〜」という合図で立ち上がった私の水着から水分が流れ出るのに伴い、水着は身体に密着した。その間に存在したくらげは、私の背中と水を吐く水着の間で真空パック状態となり、身体を粉々にしながらも勢力を弱めず、いやむしろ背中への未着度が電力の増強を高め、私の背中は大やけど状態になったわけである。この時私は、小学校6年生にして、世の中を、フラフラ・ユラユラと、流れに浮いて生きるモノの怖さを、電撃的に知らされたものだ、骨のない奴にろくなモノはないと。

ところで、日本列島を襲い漁民に打撃を与えている「エチゼンクラゲ」は、重さ150キログラム、頭(かさ)の部分が直径2メートルもある巨大くらげ。私を襲ったそれとは全く違うオオモノだ。その巨体を成すのが殆ど水分のため、魚群探知機にもなかなか映らず、水産庁も対応に苦しんでいるという。しかし一方で、この海のエイリアンことエチゼンクラゲをもっと食材として活用できないかと、研究に挑む料理家も増加している。そもそも古くから公家の世界では食材として使われていたくらげは、のちに奈良時代以降は天皇の食膳にも出されたとも言われる。中華料理などで私たちにも馴染みのある“きゅりとくらげの酢の物”、これは私の大好きな前菜だ。また、くらげから抽出されるコラーゲンには、美容や免疫力を高める効果もあるというから、一石二鳥。さらに、日本大学海洋環境科学の広海十郎教授によれば、「くらげには癒す力がある」とも。のんびり、ふわふわと漂う姿が、人にホッとした心地よさを感じさせ、ストレスを和らげてくれるのだそうだ。この浮遊感が、現代人を癒す力とでもいうべきか。これも貢献というならば、幼き頃、私に痛い思い出を刻んだ憎っくきくらげだが、いささか寛大にもなる。200を超える骨あり人間が、骨のないモノに脅かされたり、または逆に恩恵を受けるとは、不思議な関係だと、つくづく思う。“骨なし人間”より、はるかにましかも、と。

さて、くらげに直撃された小学校6年生の私は、電激痛にもだえながらくしゃくしゃになった顔で「くらげがぁ〜!・くらげぁ〜!」と叫んだが、周りは「くらげ音頭でも踊っているんだ」と、爆笑の大ウケ。泣いているのに笑っている、笑わせていると思われていた私が、父母たちの待つ海の家へ自力で到着。水着を脱いだ私の背中を見た女性担任も母も、私が歩いてきた、そして、しゃんとそこに立っていることが信じられないほどに、その損傷はひどかったそうだ。救急隊によって市民病院の救急へ行った私と母は、「普通なら失神しているか、ショック死しているところです」と言い渡され、処置を受けた。その後、私は病院から直接、みんなの待つキャンプ場へ戻った。その時、空に浮かんだ大きな月が、白浜の海の上にも浮かんでいた。そのふたつの月の間に、キャンプファイアーの炎と煙が行ったりきたりしていた。背中の傷の痛みより、みんなにまた会えたことのうれしさで、心が幸せいっぱいのこどもだった。その背中の傷は、私が二つ目の大学を卒業するまで消えなかった。「水母」、「水月」、「鏡虫」、「久良介」、「久羅下」そして「海月」、いずれも「くらげ」と読む。私は「海月」がいいと思う。痛い思い出もあるくらげだが、隅田川に浮かぶくらげに月を想うのも日本人だからこそ・・・っと、呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

気象地図病むエルニーニョ オゾン層

サッカーも円も実力この程度

文明の積み木を核に怯えつつ

九条に六十年の世の歪み

裏切られ裏切られなお不戦の碑

( ニュースやぶにらみ )

「酒税体系見直し」

旨みを増したい −政府、与党

「株上場案」

虎の子まで狙われている −阪神フアン

「テレビ各社殿」

視聴率アップのお手伝いを −楽天、村上ファンド

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

夫と私 連載
          こんな身体でハワイ旅行( 2 )

 急にハスキー・ヴォイスになった夫は、胃腸科のS医師を訪れた。驚いたのはS医師である。そりゃ大変だと、すぐさま耳鼻咽喉科のL医師に診てもらうように
といい、アポイトメントまで作ってくれた。
「CTスキャンを撮りましょう」
 L医師はいったが、夫は断わった。
 レントゲン検査で異常がなかったのだから癌ではない。ハワイ旅行でもして気分転換をすれは良くなるかもしれない。今年の風邪は声をやられる人が多いそうだし、友人も風邪でかすれ声になったが、一週間で元に戻ったから大丈夫。心配ないよ。
「自分の身体は自分が一番よくしっている。何かあったら、分る」
 夫は、CTスキャンを撮ってからハワイへ行こうという私の意見に耳を貸さなかった。そうまでしてハワイへ行きたい夫の理由は気晴らしもあったが、
 一つは、大学時代からの親友の娘さんがハワイで結婚式を挙げる。前々から結婚式には出ると約束していたこと。
 二つは、東京に住んでいる知人のじいさまは一時、ハワイ王朝最後のカラカウワ王のご典医をしたことがある。じいさまの家は代々医者でハンセン病の秘伝薬があり、カラカウワ王に招かれたというが、ビショッブ博物館に行けば日本とハワイとの関係についてになにか見つかるのではないか。それを探すためであった。

 柔らかい食べ物なら大丈夫というので、粥パックと高カロリーな飲み物エンシュワを用意した。飛行機の中では問題なかった。しかし、ハワイに到着してからは、レストランで注文したうどんを半分、一時間もかけて食べる。結婚式に出たあとはホテルで休む。ワイキキをぶらついてはホテルで休む。ろくな物しか食べていないので力が出ず、ビショッブ博物館へ行けるわけがない。帰る二日前には呼吸をするのさえ苦しいといいだした。すぐ帰ろうといえば、
「なんとか持ちそうだ」
 と、夫は意地をはった。
 ひとつ歯車が狂ってくると次から次と問題が起きた。
 帰る飛行機の時間を間違えた。搭乗手続きをしようとエヤー・チケットを出すと、
「この便は午後の二時、ロサンゼルスに向けて発ちました」
 航空の係員はこともなげにいった。
 そんなはずはない。出発は夜八時だ。なにかの間違いだと思った。が、しかし、チケットをよくみると確かに「2.00PM」である。夫は「20.00PM」と思い込んでしまったのだ。具合の悪い夫にすべてを任せきった私の無責任さが悔まれた。
「次の便は夜十時四十五分ですが、満席です。明日の便も満席ですねぇ。週末ですから、スタンドバイを待つしかないでしょう」
 そっけなくいう係員に、私は泣きついた。
「夫は食べ物が喉を通らなくなったのです。なんとかなりませんか。医者にいかなきゃいけないのです。ファースト・クラスに空きはありませんか」
 すると夫は「バカ! ファースト・クラスなんか高くて乗れるか」と怒る。だってしかたがないじゃない、と押し問答している私たちを見て、係員はこういった。
「なんとかしましょう。乗ってください」
 飛行機の搭乗口で待っているとアナウンスが流れた。
「今夜のホテル代と明日の飛行機は保証しますから、どなたか、この便のチケットを二枚ゆずって頂けませんか」
 初老の夫婦が手を挙げた。
 私たちはそのおかげで帰途に着くことができたのである。夫は疲れ、食べ物どころか水さえ喉を通りにくくなったという。ああ、こんな身体でハワイにくることはなかった。
                               つづく

 

 

 

編集後記

パリーグの優勝がそろそろ決まりそうですが、早くからセリーグの優勝を決めている阪神タイガースは待ち時間がが長すぎて、だいじょうぶかなと思ってしまいます。
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Zakkaya Weekly No.492

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com