龍翁余話(436)「鎮魂と祈り」(その2)<哀れ!九人の乙女たち>
翁が北海道の最東端・根室の納沙布(ノサップ)岬に立ったのは32歳の時だった。それは総理府(現・内閣府)の仕事(番組取材)で、テーマは「操業中にソ連(現・ロシア)艦船に不当拿捕(だほ)され樺太(サハリン)の刑務所に拘留されている根室漁民家族の怒りと悲しみ」と「ソ連が(国際法を無視して)占拠している北方4島は日本固有の領土」であった。「日本固有の領土・北方4島」とは、(これまでに数回『余話』で取り上げたが)根室半島の目と鼻の先にある歯舞(ハボマイ)群島、色丹(シコタン)島、国後(クナシリ)島、択捉(エトロフ)島のことである。北方4島には、ソ連が不法占拠するまで約17,000人の日本人が住んでいた。翁が“北方領土の歴史”を学んだのは、この時(根室取材の時)だった。それ以来、翁はソ連(ロシア)政府を“ロスケの泥棒猫”と蔑み、これまで機会あるごとに『北方領土返還キャンペーン』を張って来た。
1945年(昭和20年)8月8日、ソ連は『日ソ中立条約』(日ソ不可侵条約)を一方的に破棄し日本に対し宣戦を布告、翌9日早々に軍事行動を開始した。その頃(当時、日本が統治していた)満州・朝鮮・樺太などの現地日本軍は、すでに武器・兵士ともに不足して戦闘能力は皆無に等しかった。ひきかえ、ソ連軍は160万人の兵、火砲・砲撃砲26,000門、戦車・自走砲5,600両、航空機3,500機という圧倒的な軍事力を持って満州・朝鮮・樺太の日本統治領を侵攻。8月15日に日本が世界に向けて“玉音放送”(天皇のお言葉による敗戦宣告)を行なった後も、ソ連軍の猛攻は止むことがなかった。「北海道を占領せよ」とのスターリンの命令でソ連軍は、日本固有の領土である北方4島までも攻略した。米国からの「日本はポツダム宣言を受諾した。直ちに戦闘を中止せよ」との勧告も聞かずに・・・
ソ連兵が(第2次世界大戦で)ドイツとの交戦時にしでかした(一般市民への)残虐行為(強盗・強姦・殺戮)は、世界中から「戦史上、最悪の鬼畜行為だ」と非難を浴びせられたが、満州・朝鮮・樺太、それに北方4島でも同じような極非道・残忍行為が行なわれたことはウイリアム・ニンモ(米国の戦史研究者)著『検証・シベリアの抑留』(加藤隆訳、時事通信社、1991年発行)に詳しく記述されている。15日の“玉音放送”以後、武装解除し戦闘能力を失った各地の日本兵は殺されたり自決したり捕虜になったり。また鬼畜ソ連兵に蹂躙(じゅうりん)された民間人(特に婦女子)の多くは自決した。その数(日本兵・民間人死者の合計)は10万人を超えると言われている。
さて“根室取材”のあと、翁たち取材班は日本最北端・宗谷岬に向かった。晴れた日には樺太の南端が見える。まず 稚内市役所の広報マンに案内されたのが稚内公園“氷雪の門“の脇に建立されている『九人の乙女の像』だった。15日の“玉音放送“後(8月20日)にソ連軍の攻撃を受け集団自決した樺太・真岡(まおか)郵便電信局・九人の電話交換手たちの慰霊碑である。その慰霊碑の前で広報マンは静かに事件の概要を語ってくれた。そのことは、2008年8月10日配信の『龍翁余話』(43)「哀し!九人の乙女」に詳しく書いた。その1部を抜粋する。
――南樺太の西海岸に位置する真岡町に“真岡郵便電信局”があった。そこでの電話交換手は全員が乙女。戦時下における電話交換業務は国防上、極めて重要な任務。ソ連の不法侵攻という非常事態に(日本政府は)老人、子ども、女性、病人を優先して本土帰還や疎開などの緊急命令を出したが、重要な業務への使命感に燃えていた真岡の電話交換手たちは健気(けなげ)にも職場に踏みとどまり業務を遂行した。8月20日、濃霧の中、銃器を構えた無数のソ連兵が電信局に迫り来るのを交換手たちは確認した。その瞬間、電信局の建物に雨あられの砲弾が浴びせられた。“もはや、これまで“・・・かねてより覚悟していた九人の乙女たちは互いに目と目で最後の挨拶を交わし、用意していた青酸カリを飲んだ。そして息絶え絶えに「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」と発信した。九人の乙女たち全員が白い上着にモンペ姿、いささかの乱れもなく交換台の前にうつ伏せになっていたという。「崇高なる使命感のもとに職務を全うし、鬼畜ソ連兵の魔手を逃れるため彼女たちは自ら短い花の命を散らしたのです」・・・そう語る広報マンの目に涙、翁もスタッフも皆、泣いた。そして(慰霊碑に)深々と頭を下げ、彼女たちに慰霊と感謝の誠を捧げた「御霊よ、安らかなれ」と――(写真はインターネットより。碑には「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」と刻まれている)
1968年(昭和43年)9月昭和天皇・皇后両陛下が稚内市を行幸された時『九人の乙女像』の前で深く頭(こうべ)を垂れ、乙女たちの冥福を祈られたそうだ。後日、両陛下は、その時のご感銘を歌に託された。
天皇陛下御製「樺太に 命を捨てしたをやめの 心を思へば胸せまりくる」
皇后陛下御歌「樺太に 露と消えたる乙女らの みやま安らかなれと ただ祈りぬる」
終戦直後、旧ソ連軍の残虐行為によって人間の尊厳を傷つけられた邦人女性の集団自決事件は、ほかにも『敦化(とんか)事件』『葛根廟(かっこんびょう)事件』など沢山ある。これらの悲話は、歳月の流れと共に次第に歴史の隅に追いやられている。翁、旧ソ連軍の蛮行を世界に知らしめたいのだが、その残忍ぶりは筆舌に尽くし難く、いかな翁でも記述する勇気が持てない。故にせめて『鎮魂と祈り』の月は、非業の最期を遂げられた方々の御霊に哀悼の誠を捧げ、世の平安を祈りたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |