龍翁余話(378)「5年ぶりの歌舞伎観劇」
『龍翁余話』で“歌舞伎座”を取り上げるのは4回目である。1回目の2010年2月21日配信の『余話』(118)「歌舞伎座」では、歌舞伎の起源=1603年出雲阿国(いずものおくに)伝説。歌舞伎座の沿革=1889年(明治22年)開設から火災、戦災に遭遇、1951年(昭和26年)現在の建物(註・改築前)が完成。建て替え計画=老朽化や不便性を理由に今年(註・2010年)5月から取り壊し(建て替え)工事開始。現在の(註・改築前の)和風桃山様式建築が登録有形文化財であることから建て替え後も外観は変わらないし、瓦屋根や欄干なども現在の具材を再利用する。内部も基本的には大きな変更はないが、女性トイレの不足解消、客席の改善、バリアフリー化、そして耐震・防災・経済性の充実を図る。更に1等地を有効活用するため、劇場の後方に29階建てのオフィスビルを建てる。完成は2013年春予定・・・などを書いた。
2回目の、2010年4月18日配信の『余話』(126)「歌舞伎座さよなら公演」では『寺子屋(てらこや)』(出演・片岡仁左衛門、中村勘三郎、松本幸四郎、坂東玉三郎ほか)、『三人吉三巴白波(さんにんきちさともえのしらなみ)』(出演・尾上菊五郎、中村梅枝、中村吉右衛門、市川團十郎ほか)、『藤娘』(坂田藤十郎)の観劇記を書いた。
|
|
解体直前の歌舞伎座(2010年4月) |
新装・歌舞伎座(2013年4月)後ろに29階建てのビル |
3回目の、2013年4月7日配信の『余話』(273)「125年目の春、新装なった銀座・歌舞伎座」では、題名通りの“新装・歌舞伎座”を書いた。その概要は【翁、早速(開場の前日)4月1日に新装なった歌舞伎座(建物)見物に出かけた。劇場の外観は3年前までの建物とほとんど同じ桃山様式のデザインだ・・・(中略)残念ながら翁はまだ劇場内に入っていないので、この目で確かめた訳ではないが(歌舞伎座の資料によると)舞台、廻り舞台、花道の広さ、長さなども前歌舞伎座の規模を踏襲している。ただ、バリアフリー化や災害時の避難拠点となるための工夫が施されていることや、客席数を60席減らして(1808席)座席の幅を3cm広くしたり前列との間隔も6cm広めて、ゆったりと芝居を楽しむことが出来るようになったことや、フロアーに勾配をつけて後方からも見やすくした、などの改良点が随所に見られるとのこと。更に従来のイヤホーンによるガイドに加え、前の座席の背に掛けるポータブルタイプの(数カ国語の)“字幕ガイド”の貸し出しも予定されているとか、これなら外国人ばかりでなく、あの難しい歌舞伎独特の台詞回しも理解されて若い層の歌舞伎ファンが見込めるのでは、と歌舞伎座では期待を膨らませているとのこと】そして、4回目の今号は「5年ぶりの歌舞伎観劇」(六月大歌舞伎)――
翁が観た演目は(夜の部)『新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)』(上の写真中)。陰謀に巻き込まれた若い男女を救うために命懸けで立ち向かう父親たちの姿(片岡仁左衛門、松本幸四郎ほか)や、刀鍛冶(正宗)の秘伝をめぐる父子(中村歌六、中村吉右衛門、中村橋之助ほか)の葛藤を描いた時代物の名作。もう1つは歌舞伎舞踊『夕顔棚(ゆうがおだな)』(尾上菊五郎、市川左団次ほか)。申し訳ないが(スペースの都合で)物語の説明は割愛させていただき歌舞伎座の中の模様(設備など)の紹介にとどめたい――東京メトロ日比谷線・都営浅草線「東銀座」駅から直接つながる歌舞伎座ビル地下2階は、店舗や切符売り場などが並ぶ『木挽町(こびきちょう)広場』(下の写真左)。ここは、非常時には約3000人の帰宅難民が3日間待機出来る広さと食料などの提供機能を持っているとか。
地下から1階へはエスカレーターかエレベーターで。正面玄関の、真っ赤な色彩の空間・ホワイエ(エントランスからホールまでの広い空間)(下の写真中)に足を踏み入れた途端、観劇への期待感・昂揚感がいっそう高まる。4時半開演までの間、場内のあちこちを歩き、カメラに収めた。『余話』[273]「125年目の春・新装なった銀座歌舞伎座」で述べた通り、座席の幅を3cm広くし、前列との間隔も6cm離して、ゆったりと芝居を楽しむことが出来るようになったことや、フロアーに勾配をつけて後方からも見やすくした(上の写真右)、などの改良点が随所に見られる。そして翁が、しばし足を止めたのは3階廊下に展示されている故人となった名優たちの遺影の前(下の写真右)。中村勘三郎、市川團十郎、坂東三津五郎らの顔が懐かしい。故人たちは歌舞伎界の名言「芸は、心あれば観ていて覚えよ」を今も語りかけているようだ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |