龍翁余話(377)「皇后さまの“ねむの木の庭”」
「天皇皇后両陛下が(5月23日」皇后さまのご実家だった旧正田邸跡(品川区東五反田)に造られた区立公園『ねむの木の庭』を訪問された」との新聞記事を読み、両陛下がオレンジ色のバラ“プリンセス・ミチコ”をご覧になっておられるお写真を拝見して翁もそのバラの花を観たいと思い(3日後の26日)再訪した。
再訪、つまり2度目の訪問である。1度目の時は、ちょっとした嬉しい出会いがあった――それは2009年8月の癌手術の1か月後、歩くのにまだ杖を必要としていたが快復が著しく、そろそろ動き回りたくてうずうずしている時期だった。何かで『ねむの木の庭』のことを知った翁、インターネットでアクセスを調べたら我が家から歩いて30〜40分くらいの所。
“リハビリにしては、ちょっとキツイかな?”と危惧しながら、いまだ残暑の厳しい9月半ばの午後(ゴルフの時に持ち歩く水筒をバッグに入れ、ゴルフ帽をかぶって)家を出たのだが、案の定、10分と経たないうちに歩く気力も体力も消え失せた。でも、せっかく思い立ったのだから、と、タクシーを拾った。中年の運転手君、杖をついている翁を見て、運転席からわざわざ降りて来て翁を後部座席へ。「ありがとう」「いえ、大丈夫ですか?どちらの病院まで?」「いや、病院ではない。旧正田邸の『ねむの木の庭』へ行って下さい」「あ、失礼しました。そこなら私もよく知っています。ご案内します」「ありがとう。ついでに、帰りもまた、こちらの方へ送って貰いたいが・・・」「承知しました、ありがとうございます」それから運転手君の『ねむの木の庭』談義を聞いているうち、ほどなく現地到着。「お待ちしていますから、ごゆっくりどうぞ」・・・“ごゆっくり”するほど広くはない。(写真でしか見たことがなかったが)皇后美智子さまの生家、元日清製粉社長・正田英三郎氏邸は、昭和初期に建築された趣のある豪邸だった。1999年に英三郎氏逝去の後、2002年に解体され、2004年に品川区立公園『ねむの木の庭』として開園、翁が2009年9月に初めて訪問した時「あの、写真で見た豪邸は、こんなに狭かったのか」と意外に思ったほど、それは児童公園並みのこじんまりした庭園であった。
10分そこそこで“杖つき散歩”を終え、タクシーに戻ったら運転手君「この先に『池田山公園』という日本庭園があります。よろしかったら回りましょうか?」「うん、それは是非、頼む」ということで『ねむの木の庭』から目と鼻の先の『池田山公園』に向かった。「江戸時代、岡山城主・池田氏の下屋敷があった所で付近一帯の高台は池田山と呼ばれていました。ゆえに『池田山公園』(品川区立)という名称になったと聞いています」この運転手君、なかなかの知識人だ。よく整備された回遊式庭園を(5分ほど)眺め、いい気分で帰路についた。翁のマンション前でタクシーを降りる時、「少しばかりだが、釣銭はタバコ代にして下さい」「ありがとうございます」運転手君、恐縮しながら運転席を離れ、また、翁を降ろしてくれた。そして「どうぞお大事に」と挨拶してくれた。短時間ではあったが、病み上がりの翁にとっては何とも嬉しい出会いであった――そんな6年前の“嬉しい出会い”を思い出しながら五反田駅から歩いた。うろ覚えだったので途中で(地元の人?に)道順を尋ねた。五反田駅から10分ほどで(東五反田・高級住宅街の一角に在る)『ねむの木の庭』に着いた。
初老の夫婦や数組の女性グループの先客がいた。皆さん(翁同様に)“プリンセスミチコ”を楽しみに来園したようだったが、すでに花の姿は無かった。「たった3日で散ったのかしら?」「両陛下がお出でになった時は、もう盛りを過ぎていたそうよ」そんな囁きが聞こえた。“プリンセスミチコ”の代わりにゲラニウム(上の写真中)、ルピナス(上の写真右)が美しく咲いていた。そして翁がしばし足を止めたのは『天皇皇后両陛下の傘寿記念植樹“タラヨウ”(モチノキ科)』(下の写真左)の前だった。【両陛下が和歌を愛されることから、古くより葉の裏に文字を書いて“葉書の木”として使われてきた“タラヨウ”を植樹する。平成26年7月2日】の説明板を読んで、翁、初めて“タラヨウの木”を知る。そして庭園のシンボル、高さ10mに及ぶ“ねむの木”(下の写真右)の下で、改めて和名“合歓(ねむ)”の意味を考えた。
“合歓の木”は、夜になると葉が閉じること(就眠運動)に由来するそうだが、文字から受ける感じは「歓び合う」がピッタリだ。“夫婦愛和”の意味もあると思う。そして『ねむの木の庭』は、皇后さまが高校時代にお作りになった『ねむの木の子守唄』に因んで命名されたと聞く。“ねむの木”を仰ぎながら翁が、両陛下のご健勝と皇室の弥栄(いやさか)を祈ったことは言うまでもない・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |