東松山の焼き鳥や
日本には、たくさんの焼き鳥屋がある。埼玉県の東松山にある焼き鳥屋はトリでなく豚のカシラ肉を使った味噌ダレが有名な場所だ。子供の頃に父に車で連れて行ってもらったのを今でも懐かしく覚えている。ガラガラと開きドアを開けて入ると15人ぐらい座れるカウンターがあってモクモク煙が立ち込めるその向こうで、ご夫婦2人が忙しそうに串に刺した肉を炭火で焼いていた。父はビール、私も弟もサイダーかジュースを飲みながら焼トンを頬張った。イスに座ると女将が“タレは辛いのがいい?それとも甘いのがいいの?”と聞いてくれる。子供ながら“辛いのがいい”と大人たちと同じように辛い味噌ダレを注文した。この東松山の味噌ダレはニンニクや唐辛子やみそなど秘伝のスパイスが調合されているらしくその味噌ダレが美味しくて評判が広がっていったらしい。その元祖ともいう店がその店だったのだ。肉の間に挟まっている大きなネギも甘くて香ばしかったのを覚えている。時々頼む甘いタレの方は大きなツボに入っていて毎回、そのタレを継ぎ足ししながら年月をかけて熟成されていった貴重なタレだった。子供ながらもその大きなカメツボの中のタレは特別なタレでひときわ存在感があったのを覚えている。いつか、またその店に行ってみたいと思っていたが名前も住所もわからないし大昔の事なので店も存続している可能性も低いと思って諦めていた。ところがある日、TVで酒場放浪記という番組で東松山の焼き鳥屋のお店が紹介されていたのを知った。昔の記憶を辿って母にも聞いてみるとその店は信号機を越して、ゆるやかにカーブした道沿いに店があったと言う。その立地条件からしてその店に間違いないと思った。ちょうど森林公園から一つ東京に戻った駅が東松山なのだと言う事がわかってサイクリングの後に友人と夕方寄ってみる事にした。
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焼き鳥マップ |
東松山の駅に着くと焼き鳥マップなるものが置いてあり見ると駅の周辺には何と50件もの焼き鳥屋さんが紹介されていた。目的の店は駅から歩いて10分ほど、4時の開店と同時に入ると正面に長いカウンターがあった。昔より長いカウンターになっていて店の厨房もだいぶ大きくなっていた。私達と同時に入ってきた一人のお客さんが私の隣に座った。その人が“ここのお母さんは有名人ですよ。もう、僕が小学生の頃、35年前におやじに連れられてこの店に来ていたその頃からずっと現役です。すごいですよ“と説明してくれた。店は何回か建て直して今では5回目だとか。車で遠方から来る人が多くなってきて駐車場を作るために店は沿道からだんだん奥に引っ込んでいったという。テキパキと目の前で炭をおこし準備を始めた女将に聞くと店を始めてもう50年以上になると言う。焼き鳥一筋でやってきたと言う。
隣のお客さんと同じように私も子供の頃にこの女将さんに確かに会っていたのだ。そして今は亡き父もこの女将さんに会っていたのだ。何だか不思議な気がした。女将さんの旦那様も数年前に亡くなって今は娘さんが店を手伝っている。また、隣に座った人が話しかけてきた。“時々この店が懐かしくて来るんですよ。俺が子供の頃はサイダーを飲んで親父はビールを飲みながら、このカシラを一緒に食べたもんです。親父はもう亡くなりましたけどね。” と言った。何だか似たような体験をしたのだな〜と聞いていた。 隣の人が“そう言えば、あの頃、親父はビールを飲んだ後、車を運転して帰ったな〜今だったら飲酒運転で捕まっちまうよな〜”と笑いながら言った。そう言えば自分の父親もいつも車だった。昔の田舎道は今ほど飲酒運転が厳しくなかったのだろうか…女将は酔っ払いが嫌いなので4時から昔は7時までしか店を開けなかったらしい。今は8時まで営業しているそうだがこの店では飲んだくれるほど飲む人はいなかったらしい。隣の人は2杯目の焼酎を飲み終わるとタクシーを呼んでもらって帰っていった。
半世紀の間、どれだけの人がこの店の、のれんをくぐったのだろう…焼き鳥屋に人生をかけて今では焼き鳥御殿と言われる家も建ったと笑いながら話してくれた女将は今でも現役の83歳。
また女将が元気なうちにチャンスがあれば訪れてみよう、そう思い懐かしいその店を後にした。
茶子 スパイス研究家 |