以前、「ユーモアと言葉」というテーマで作家の故井上ひさし氏(2010年4月9日逝去)が講演をしたのを聴いたことがあります。井上氏はさすが言葉や文章を職業とする作家だけあって、言葉について造詣が深く、言葉や文章を大切にしていることが、氏の講演の端々から感じられ、感動をしたのを今でも覚えています。
以下は、その井上ひさし氏の講演録を参考にさせてもらい、「“ことば”に秘めたユーモア」について考察をしてみたものです。
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そもそも「ユーモア」とは何なのでしょうか。これは古来アリストテレス以来、いろいろな学者が研究したが、いまだに真の本質は解明されていない難問だといわれています。(もっとも井上氏によると、この問題を学者が研究するから、かえって難解にしてしまっているのだそうですが・・)
私は例によって手許の国語辞典で「ユーモア」と引いて調べてみました。
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*岩波書店、広辞苑(第二版):上品な洒落(しゃれ)・おかしみ。諧謔。(以下略)
*講談社、国語辞典(新版):品のよいしゃれ・こっけい。あたたかみのあるおもしろさ・おかしみ。
*三省堂、国語辞典(第二版):人間味のある、上品なおかしみ(しゃれ)。
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また、この言葉は明かに外来語であると思われるので、英単語の“humor ( humour
)”をあたってみると、「気質・気性、気分・気持・機嫌」などの意味に加えて、「おかしいこと、滑稽、上品なしゃれ・・」などという意味を見つけることが出来ます。
でも、上記程度の意味なら、何もこと改めて辞典をひいて調べなくとも、あたり前の常識として誰でも知っていることで、辞典を引いてその意味を知ってみても“ユーモア”の本質には少しも近づいていないことを私は改めて知りました。
こんなことで、わざわざ辞典を何冊も持ち出し、調べてみるなどというのは、まことに滑稽なことでした。――― でも、その時、私はひらめきました。―― あゝ、そうか。こんな滑稽なことをするのを“ユーモア”というのかも知れないナ。―― そうなんだ、私は今、“ユーモア”の世界に一歩踏み込んだんだ・・。―― 私は、その時、何か「薄皮」が一枚はがれるのを感じた気がしました。
以前の当Zakkaya Weekly (No.153,
4/18/99)に羅府の庄助として書きましたが(一口コラム、「逆転発想もまた楽し」)わかりきっている日本語を辞典(辞書、字引)で調べて見ると、思いがけないユーモア・発見があり、楽しいものです。
上記「一口コラム」へは、『男』、『女』、『ことば』について、各種国語辞典にどう説明しているかを書きましたが、『男』の意味を「人間の性別のひとつで女でない方」、『女』の意味を「人間の性別のひとつで男でない方」的な説明のし方、即ち、“右とは左でない方”、“左とは右でない方”のような無責任な説明をしている辞典もあれば、『男』とは「人間の生まれつきのはたらきとして、子供を生ませる力を持つ(ようになりうる)人」、『女』とは「人間の生まれつきのはたらきとして、子供を生む力を持つ(ようになりうる)人」などという、すごい定義をしている国語辞典もあります。【三省堂、国語辞典(第二版)】(尤も、井上ひさし氏によると、この『男・女』定義は、イギリスのオックスフォード大辞典の翻訳なのだそうですが)
――― 以下、次号へ続く ―――
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |