龍翁余話(347)「♪汽笛一声新橋を」
10月14日は『鉄道の日』。新橋〜横浜(桜木町)間を日本で初めて蒸気汽車が走ったのが1872年(明治5年)10月14日。『♪汽笛一声新橋を』の新橋駅は、現在のJR新橋駅から東へ300mの“旧汐留駅舎”にあった。先日、新橋で友人たちとのランチ・ミーティングのあと、爽やかな秋風に誘われて『旧新橋駅舎(旧汐留停車場跡)』へ、ぶらり行ってみた。ここに来たのは5年ぶり。同じ題名で『余話』に取り上げるのも(2009年10月配信の101号に次いで)2度目である。
歩いて丸1日かかった新橋〜横浜間を、蒸気汽車は時速34キロ、約55分で走ったのだから当時の人の驚きはいかばかりだったか。
1日9往復、線路脇は毎日、黒山の見物人で溢れたそうだ。乗客といえば、外国人のほか、いずれも上流階級や金持ち商人たちばかりで庶民には高嶺の花、それもそのはず、汽車賃がべらぼうに高かった。上等(1等)は1円12銭5厘(現在価約11,250円)、中等(2等)は75銭、下等(3等)は37銭5厘、下等運賃でも米が5升半(約10kg)買えたほどの高額であったから、庶民はせいぜい停車場見物で“文明開化”を味わったのではあるまいか。下の錦絵は3代目歌川広重(1842年〜1894年、江戸末期〜明治時代の浮世絵師)の画。
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東京汐留鉄道開業祭 |
新橋汐留駅と停車中の蒸気汽車 |
新橋汐留駅待合所 |
残されていた設計図に基づき2003年(平成15年)に開業当時の駅舎をほぼ正確に再現したのがプラットホームと駅舎(奥の建物)。建物の向こう側に『鉄道歴史資料室』がある。資料室の展示物は少ないが、鉄道開業の歴史的な経緯や往時の新橋停車場、汐留の活気ある様子を伝える映像は大いに楽しめる。何より入館料無料が嬉しい。
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再現プラットホーム(奥が駅舎) |
当時のままのレール |
当時と同じ場所に『0哩標』 |
ホームの横に当時のレールが数メートル敷設されている。そのレールの上を最初に走った機関車は、イギリスから輸入した蒸気機関車150形であった(国の重要文化財として現在、さいたま市大宮の『鉄道博物館』に展示されている)。国産の機関車の登場はそれから40年後、大正に入って本格的な国産蒸気機関車860形や960形が完成したことで以後の蒸気機関車は全て国産でまかなわれることになった。これらの蒸気機関車は、世界レベル以上の安全性、耐久性を備え、1976年(昭和51年)まで各地で活躍した。なお、レールの起点には、鉄道発祥の証である『0哩標識(ゼロマイルポスト)』が復元され、当時と同じ場所に設置されている。
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英国から輸入した150形(左)と日本初の国産蒸気機関車860形(インターネットより) |
鉄道唱歌『汽笛一声新橋を』(大和田建樹作詞、多梅雅作曲)は1900年(明治33年)に作られた長い歌詞、第1集(鎌倉・近江八景・京都・大阪・神戸)だけでも66番まである。その後、第2集(厳島・関門海峡・太宰府天満宮・熊本・長崎)、第3集(日光・仙台)第4集(新潟・佐渡島・金沢)、第5集(伊勢・吉野山・和歌山)、第6集(函館港・小樽・札幌)、と追加された。全374番までを続けて歌うと、1時間30分以上もかかるそうだが、1度は翁の好きなボニージャックスのコーラスで(全部を)聴いてみたい。
今年の『鉄道の日』は、その『汽笛一声新橋を』から142年、東海道新幹線開通から50年。
先日、NHK・BSで『島家三代の物語』を視た(平成23年2月放送の再放送)。明治から平成の今日まで、日本の鉄道の発展に深く関わって来た島家三代(安次郎・秀雄・隆)のドキュメンタリードラマ。明治・大正・昭和にかけての鉄道技術者・安次郎(1870年〜1946年)は1939年に鉄道大臣の諮問機関”鉄道新線調査会“の委員長に任命され”弾丸列車計画“を推進するも戦局の悪化で計画は頓挫、しかし安次郎の夢は息子・秀雄(1901年〜1998年)に受け継がれ”夢の超特急・東海道新幹線“が実現する。更に安次郎の孫(秀雄の息子)隆(1931年〜)は世界の高速列車の最高技術を誇る“新幹線”を海外に普及、特に台湾新幹線指導で高い評価を得た。俳優・緒方直人が安次郎・秀雄・隆の3役を好演。
直人もまた父親(緒方拳)の“役者魂”を受け継ぎ、いい俳優に成長している。翁、いつか『俳優緒方家二代の物語』を書きたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |