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NO.952           Ryo Onishi              8/10/2014

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雑貨屋のひとり言

日本列島は季節に関係なく大雨が降っていて雨による災害が全国各地で発生しています。近畿地方は梅雨のときは雨が降らず、梅雨明けが宣言されてから雨が多く、梅雨に逆戻りになったのかと思ってしまいます。それにしても大雨の被害は深刻です。これからも大雨による災害が起こる可能性はどこにいてもあるので油断せずに過ごしたいものです。≪R.O≫

 

 国際感覚について

ある日本の大学生から“世界で活躍するビジネスマンに必要なものは何か”というたいへんな難問をE-Mail で受けました。以下、彼からの質問メールに対する私の回答メールを記し、読者の皆さんのご意見をうかがいたく思います。

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普通、「 世界で活躍するビジネスマンに必要なもの 」 という質問をすると、多くの自称 「国際通」の人は 「国際感覚を身に付けること」 と返事をします。そんなことは当たり前で、その「国際感覚」とは何かが問題なのでしょう。

国際感覚とは外国語に堪能になったり、外国の風俗・習慣・マナーに詳しくなることばかりではありません。これらはもちろん重要ですが、枝葉末節なことであり、もっと基本とすべきものがある筈です。

私流に敢えてその基本をいうなら、それは「自分を知ること、日本を知ること。そして自分が日本人であり、日本人としての ID を明確にすること」だと言えると思います。

私達は自分や日本についてどれだけ良く理解しているでしょうか。「国際感覚」といっても、これが「国際感覚である」といった絶対的なものはない訳で、あくまでも何かと比較して初めて知り得るものです。その場合何と比較をするかというと、私達の場合は、日本または日本人としての自分ということではないでしょうか。

日本もナショナルの時代からインターナショナルの時代になっており、更に世界は トランスナショナル(ある意味のボーダレス)の時代に向かっています。

ナショナルとしての ID 無しに何でインターナショナルになり得ましょうか。インターナショナルをしっかり確立しないで何でトランスナショナル に移行できましょうか。

日本から駐在員がアメリカへ赴任してきた時、自分の子弟の教育について日本語を中心にするか、英語を中心にするかという問題は、親にとって重大事です。

きちんとした方針と信念の下に決めるのであればこの場合、どちらにしても間違いはありませんが、よく親によっては折角アメリカに来たのだから、子供はアメリカの現地校に通わせれば、国際語である英語が出来、国際感覚が身について良いだろうと 安易に考える親がいます。

こんな安易な考え方で現地校に入れられた子供は気の毒です。(尤も、この場合、現地校とその先生にとってはもっと迷惑な話ですが・・)

この場合、その子は国際人にもならなければ、多国籍人でもなく、ただの無国籍人 にしかなりません。

私が会社を引退する前、日本の親会社より赴任する人から 「3ヶ月後にアメリカへ赴任することが急に決まりましたので、私は妻と2人であわてて英会話学校へ通っています」という挨拶状が届いたので、私は 「今更、英会話の勉強をする暇があったら、もっと日本について勉強してきて下さい」と返事を出したことがありました。

一般的にいえるのは、どうも日本人は自分の ID ( 自分と言うモノサシ)が曖昧で、客観的に他のものを測るのが苦手のようです。

日本人の持っているモノサシは伸縮自在で曖昧な 「生ゴム」製ではないかとさえ思うことがあります。(これはこれで 日本人のよいところなのですが)

でも、これから海外へ出る人にとっては、最も重要なのは海外へ出てから見聞き・経験することをしっかりと見極められる自分の IDではないでしょうか。

極論を言えば、私はこれが「国際感覚を身につける」ということだと思っています。 そして その次にようやく個々の具体的な話が始まるのだと思います。

その具体的な話は また何時かお会いした時にいたしましょう。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

満州の曠野よ父の八月忌

平和っていいなりんごの唄が言う

安らかに眠れませんと原爆碑

昭和生きぬいた証の反戦記

ライバルの訃報昭和が遠くなる


( ニュースやぶにらみ )

「内閣改造」
石橋を叩くか、石破氏を叩くか ―安倍首相

「谷垣法相 白内障手術」
見通しはどうですか ―国民

「コーラス」
♪夢はいつひらく ―民主党6人衆


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(338)「生き甲斐」

織田信長が好んで舞ったと伝えられる「人間五十年、下天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度(ひとたび)生を享け滅せぬもののあるべきか」は、幸若舞(こうわかまい=室町時代に流行した謡曲)の演目の1つ『敦盛(あつもり)』に出てくる語りの1節。かの有名な源義経の「一ノ谷の逆落し」(現神戸市須磨区)の奇襲に敗れた平家軍の中に、元服直後(16歳)の若武者で笛の名手として知られた平敦盛(平清盛の甥)がいた。彼は海へ逃げようとしたが、源氏方の武将・熊谷直実に「逃ぐるは武将のあるまじき振る舞い、見苦しや、我との一騎打ちに応じよ」と呼び止められ、敦盛は「心得た」とばかり引き返して直実と対峙、互いに名乗り合う。直実は敦盛を間近に見て驚いた。“我が子と同年配の少年ではないか、こんな若者を討つのはしのびない”と躊躇する。後方の味方(源氏軍)から「戦わずば2人に矢を射かけるぞ」の“脅し”。それでも直実は少年に「逃げろ」と促す。が、意外にも少年は首を振り「直実殿に討たるるは我が身の誉れなり、早う討ちなされ」そう言い放った少年の目は澄みきっていた。直実「敦盛殿のこと終生忘れまじ」と言って涙をこらえ敦盛の首を刎ねる――『平家物語』第9巻「敦盛最期」を元ネタに、謡曲や能、歌舞伎などで『敦盛』が作られた。熊谷直実は、平家滅亡の後、出家して(号は蓮生=れんしょう)敦盛ほか平家戦没者の霊を慰めながら”人の世の無常観“を謳った。その中の1節に「人間五十年」がある。“人間界の50年は天界のわずか1日にすぎず、夢か幻のように儚い。ひとたび、この世に生まれて死なずにすむ者は誰もいない”が一般的解釈だ。なお“逆落し”の場所は現生田区鵯越という説もあるが、それはさておき――

翁が疑問に思うのは『敦盛』の「人間50年」である。当時の日本人の平均寿命は本当に50歳だったのだろうか?1部特権階級(歴史に名を残している人物)の中には確かに50歳を超える長寿者は幾人もいるが、某書で日本人の男女の平均寿命の推移を調べてみたら、縄文時代31歳、弥生時代30歳、古墳時代31歳、室町時代33歳、江戸時代45歳、明治時代43歳、大正〜昭和初期46歳、昭和10年〜20年48歳、とあり、“人間50年”の平均寿命に達したのは今からわずか67年前の昭和22年(1947年)からである。戦争が終わり、衣食住の変革、衛生環境の改善、交通網の発達、医学(医療技術)の進歩、防災対策の充実、国民皆保険制度の普及など、昔に比べ現代人の生活環境とスタイルが大きく変化した。それに伴い日本人の平均寿命は延びに延び、今や世界の上位に――

7月30日の厚労省の発表では、2013年度の日本人女性の平均寿命が過去最高の86.61歳となり2年連続世界第1位、男性も初めて80歳を超え(80.21歳)、前年の世界第5位から第4位に順位を上げた。厚労省によると日本人の平均寿命が延びたのは各年齢層で癌や心疾患、脳血管疾患、肺炎の死亡状況が改善されたためであり、もっと伸びる余地はある、という。“寿命が延びた”ことは喜ばしいことである。しかし、それは衣食住が足り、心身共に健全(健康)で、社会の一員としての存在性が保証される限りにおいてのみ慶事と言えるだろう。そこで考えなければならないことは『生き甲斐』である。その『生き甲斐』について翁は以前『余話』で(以下のように)「翁の生き甲斐」を語ったことがある。

【『生き甲斐とは、生きるに値するもの、生きていく上での張り合い、喜びを見出すもの』である。その張り合いとするものや喜びとするものは人によって異なり、(社会規範から外れない限り)自分自身が実感するものであれば何でもいいのだ。他人の真似をしたり、他人の“もの”を羨ましがったりする必要はない。しかし、他人からヒントを得て、いずれ我が物とするケースは多々ある(中略)。人は“3つの人間権利“を持っている。豊かに、楽しく、美しく、健康に“生きる権利”、世の中のこと、過去のこと、未来のこと、自然のことを“知る権利”、自分の意思について、過去・現在・未来について、家族について、友について“語る権利”をもっている。それら3つの権利を全て充足させることは難しいが、その中の幾つかでも継続的に手ごたえが得られれば、それはまさしく生き甲斐である】というのが、翁の“生き甲斐論”である。

連日の猛暑にぐったり(うんざり)して、外出を控える日々が続いた時、たまたま読んだ『禅の言葉』(境野勝悟著)の中に道元禅師(鎌倉時代初期の禅僧・曹洞宗の開祖)が説く「どう生きるかを自問する」を見つけた。師は語る「“生きる”と“よく生きる”とは大いに違う。“生きる”ということは、食べて生命を保持することであり、“よく生きる”ということは、二度とない自分の人生に価値を見出す努力をすること、生かしてくれている自然界や自分を取り巻く人・物に感謝を捧げて生きることなのだ。したがって“生きる”と“よく生きる“の2つがよく調和されてこそ幸福の人生が得られる」――なるほど、翁のような凡人でも道元禅師の仏教教理(人生論の概論)は理解出来る。だが、具体的に(人間らしく生きるために)人間は何をすべきか、は『禅の言葉』の中には出てこない。つまり、道元禅師いわく「自問せよ」ということだろうか。翁の場合、老齢になった現在でも、いまだ己れの生き甲斐、生存価値を、いかにして創出すべきか、を考えあぐねている始末。どうやら不惑の境地を脱し切れないまま、迷路を彷徨し続ける余生になりそうだ、と悲観的になりそうな自分を、ふと、踏み止ませる恵まれた現実に気づく。

翁には大切な友人たちとの交流がある。社会への参加の道も閉ざされてはいない。そのことに感謝の心を失わない限り、おのずから“生きていることの価値”を自分なりに実感することが出来よう。また、翁のような高齢者は健康を第一とするも、たとえ健康に不安があっても積極的な交友と社会参加を諦めず、また継続的な趣味(楽しみ)をもつことも生き甲斐を生む。更に翁にとって(気力・体力・思考力が衰えない限り)『余話』執筆も重要な『生き甲斐』の1つだ。今後も道元禅師の「よく生きる」(自分を生かしてくれている自然界や人々への感謝を忘れずに)を肝に銘じて・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

いちじく(無花果)

先月ぐらいから毎朝キッチンの窓越しから見える向かい側の家のイチジクの木にポツリ
ポツリと緑の実が付き始めているのに気が付いた。その実がだんだん色付いて黒くなってくると熟して食べ頃になるのだ。イチジクの名前の由来は毎日1個ずつ熟すのでイチジクとなったとも言われているらしいが、本当に一つ熟したらその後にまた一つという感じで熟していく。もう、そろそろ食べ頃かな〜と思った翌朝はその実がちゃんと無くなっていて、ああやっぱり、家主も見ているのだな〜という気持ちと何だかがっかりしたような気持ちにさせられる。他人の庭の果物なのだが毎朝見ていると何となく愛着がわくものだ。
イチジク(ハート型)カット 3種類のイチジク 食べごろのイチジク

数日前も明日はそろそろ食べ頃かなと思って翌朝そのイチジクを見たら何と鳥に半分ついばまれていた。鳥も食べ頃のタイミングを良くわかっている。未熟なイチジクは消化に良くないらしく鳥は決して青い実のうちは、ついばんだりしない。熟れてきたタイミングを見計らってすぐに採らないと鳥に先を越される。先週そんなイチジクの話をオックスナードのファームランドのオーナーと話していたら自分の庭の木に生っているちょうど食べ頃のイチジクを持ってきてくれた。イチジクでもいろいろ種類があるようでチョコレート味のものと緑の色をした3種類のイチジクを持ってきてくれた。イチジクは熟して皮が少し割れてきた頃が一番甘くて美味しいのだそうだ。食べてみるとやっぱり熟したものは甘さが全然違う。 “ 隣の庭のイチジクの枝がもう少しこっちに伸びてくれればいいのね ”と言ったら“ファームランドのオーナーの奥さんが” 駄目よ、採ったら怒られるから “と言ったらオーナーは ” No(ノー)食ったらええんだ、こちらの領土に侵入してきたらこっちで食ってええんだ “と言った。後1−2年すればイチジクの枝は塀を超えて伸びてきそうな勢いがある。今年はちょっと無理そうなので来年あたりに期待しよう。
イチジクの木 イチジク イチジクジャム

イチジクのシーズンはちょうど8月から10月にかけて旬になるらしい。実はこのイチジク、実だとばかり思って食べていたら花なのだそうで実の中の赤い粒粒が詰まっているのが花なのだそうだ。オーナーのN氏がそう言って教えてくれるまでそんな事は全く知らなかった。漢字で無花果と書くが花の姿は房の中に隠れて見えない。植物学的にはクワ科のイチジク属に所属するらしい。原産地はアラビア半島南部、地中海沿岸地方からペルシャ、ヨーロッパ、中国とシルクロードを辿って日本の長崎にたどり着いたのは江戸時代だったそうだ。昔、イチジクを南蛮柿や唐柿と呼ばれていたのもその頃の歴史を感じさせる名前だ。それにしてもこのイチジクの歴史はかなり古いらしく古代エジプトの壁画にも書かれていたらしい。旧約聖書にもこのイチジクは数多く登場していて、あのアダムとイブが裸を隠すのに使われたあの葉っぱもイチジクの葉だっただそうである。何だか歴史のロマンを感じさせる植物なのだな〜と…
ペルシャ系のマーケットに行くと他のマーケットよりグレードのいいイチジクのドライフルーツやジャムが置いてある。そんなイチジクの効能はどうなのだろうかと調べてみたらペクチンが含まれていてあの粒粒がファイバーになり便秘にもいいそうなのだ。そう言えば昔、山下達郎がイチジク浣腸のCMソングを自作自演で作って唄っていた時期があったけれど、あのイチジク浣腸はイチジクの形に似ているという理由だけでなく本当に便秘解消の効能もあったのだ。イチジクが江戸時代に日本に伝えられた当初は薬用として栽培されていたそうだ。栄養学的にはカリウムが含まれていて血圧を下げる効果があるらしい。高血圧予防、動脈硬化予防,脳梗塞予防、心筋梗塞予防と成人病対策にもいいとされている。薬より美味しい旬の果物や野菜は副作用がないぶん安心して食べ続ける事が出来る。その他の効能を見てみるとイチジクはフィシンというたんぱく質分解酵素が含まれていて食後の消化促進の働きもあるようだ。イチジクの切断部から出てくる白い液にもたんぱく質分解酵素は含まれていて民間療法でもイボ取りに使われているとも書いてあった。昨年、オックスナードの農園で採れたての大きなイチジクをもいで食べた時、美味しかったけれどイチジクの木から出た白い液で手がベタベタになったのを思い出した。アメリカの民間療法の中にもイチジクの効能はいろいろ書いてあってまるで万能薬のようだ。この熟れたイチジクは私にとって少し甘すぎるので食べる時にレモンを少し絞ってかけて食べる。こうするとレモンのさっぱりとした酸っぱさとイチジクの甘さがミックスされて丁度いい甘さになるのだ。イチジクは収穫したらあまり持たないので、たくさんいただいたイチジクで今回ジャムを作ってみた。10分ほど煮詰めて少しブランデーとレモンと自分の好みで砂糖を入れてレモンを入れて作ってみた。こうやって作ってみるジャムなどは簡単に作れるものだ。残った果物も適当に刻んでこうやってジャムを作ると無添加の美味しいジャムに仕上がる。クラッカーでもパンでもハムでもプレーンヨーグルトにでも何にでも合うので是非、気が向いたらお試しを!

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズが大好き−今週のお奨 めアルバム

ビブラフォーンはさわやかな気持ちにさせてくれるので好きです。ビブラフォーン奏者,Dave Pikeの"Pike's Peak"というアルバムを紹介します。タイトルのPIKE'S PEAKはロッキー山脈にある山の一つ(標高4301m)で登山鉄道で頂上まで行けるそうです。Dave Pikeのビブラフォーンの軽やかな響きとBill Evansのピアノが絶妙で心地よく聴けます。1961年に録音された作品です。

"The Dave Pike Quartet" Pike's Peak

1. Why Not
2. In A Sentimental Mood
3. Vierd Blues
4. Besame Mucho
5. Wild Is The Wind
Recorded on November, 1961, NewYork

Dave Pike, vibraphone; Bill Evans, piano; Herbie Lewis, bass; Walter Perkins, drums

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

最近はファミレスで居酒屋のようなメニューが提供されていて、サラリーマンも利用しているようです。反対に居酒屋が様変わりし、昼間や夕方早めの時間帯に子連れの家族が利用するなどファミレス化しているとのこと。回転寿司店では寿司以外にラーメンやうどんなどを提供して人気を博しています。外食産業も知らないうちに大きく変わっているようです。 《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.952

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com