Zakkaya Weekly No.95
No.94 Ryo Onishi 3/9/98 バックナンバー Homepage
ワイフの父がホジキン病という病気でこの世を去りました。私もお通夜、葬儀のために日本に来たのですが、葬式が終わったその日、ワイフの母の容体が悪くなり、現在集中治療室に入っています。我々家族はかつてない出来事にこれからの生き方についてまじめに考えるようになりました。 (R.O)
わたしとオリンピック(1)オリンピック開催地“長野”からのレポート
Zakkaya Weekly#92、93でも ご紹介しました私の友人(正確には 私の友人のお嬢さん) に、今回の長野冬季オリンピックについて、地元の立場での体験談、ボランティア始末記、感想など レポートをお願いしたところ、早速、送っていただきましたので、ご紹介します。 河合将介 skawai@wakao.com
★「わたしとオリンピック(1)」 長野県諏訪市、稲葉幹佳
こんにちは、日本に住んでいる稲葉です!!以前オリンピックに関してわたしの記事を載せていただいた河合さんとは、10年前アメリカで初めてお会いしてから縁あって、今回わたしがこのページに記事を載せていただくこととなりました。
雑貨屋のホームページに載っているみなさんのように知識も教養もありませんが、わたしらしく元気に 2月22日に閉幕した長野オリンピックとわたしのボランテイア体験記を書かせていただきます。
生まれも育ちも長野県諏訪市のわたしにとって、今回の長野オリンピックはより身近なことでした。長野県の中でもその真ん中に位置する諏訪市は、オリンピック行事にも無縁ですし、その効果もないため(新幹線は東京〜長野市までです)他府県で行われるような雰囲気でした。みなさんは今回のオリンピックについてどのように感じたでしょうか? 地味すぎた・つまらなかった・日本文化がよく出いていた etc・・・・・。 わたしの感想は前回ホームページに掲載された通りなんですが、閉会式が終わって地方新聞を読んだり流れてくる情報から、実にきめ細かい配慮をして長野県らしさを表現していたんだなあと改めて、地味な長野県の自己主張が理解できました。 このきめ細かさについては折々ふれていきます。
閉会式は選手・関係者緊張もとけ、開会式とは正反対にリラックスした明るいムードに包まれ、その中でも花笠の子供たちや、’ふるさと’の歌の大合唱等日本文化(長野の伝統)がよく表現されていたと思います。ましてや、ふるさとの作詞作曲は長野県出身者だとは知りませんでした。 そしてやっぱり主役は最初も最後も子供たちでした。あのうれしそうなキラキラした瞳に日本の平和とエネルギーをだれもが感じた事でしょう。わたしは今日本で騒がれているキレる子供の姿は想像出来ませんでした。花火が打ちあがる中、全選手たちが太鼓の音とともに’輪になって踊ろう’の曲で子供たちと踊っている姿こそ、世界は一つ、言葉と習慣を超えたもっとも平和な国際交流でした。いつまでもこの笑顔と笑いが絶えない世の中であってほしいと思いました。
ソルトレイク CITYのシンボル’カーボーイ’が現れた時、日本とアメリカの夢を作る事の表現の仕方の違いをまざまざと見たような気がしました。アメリカってやっぱり華やか・・・。4年後、今度はソルトレイクCITYでもっと多くの選手・国が参加して、勝負だけが目的でない世界の輪を広げていけたらいいなあと、自国長野での開催のせいか、今回ほどそう感じたオリンピックはありませんでした。
昨日、パラリンピックの開催式がありました。最終聖火ランナーはマラソンの有森裕子から、急きょ白馬中学の丸山君に変更となりました。私生活が原因で変更になったようですが、パラリンピックですから、タレント性のある彼女より、選手が行う事でより、価値の高い聖火点灯だったと思いました。オリンピック以上に、わたしたち健常者に生きるパワーを与えてくれることを楽しみにしています。
今回のオリンピックでわたしも何か自分自身協力できることをしたい!とアメリカの子供と山ノ内町の子供の友好関係を結ぶための、ボランテイアをしていました。次回はそのボランテイア体験を書きたいを思いますので、お楽しみに。―以下、次号に続く―
健康の方程式 「キレる中学生に何が大切か!」 西尾誠一郎
ナイフによる女教師殺傷事件に対する2,000人の中学生のアンケートを読んだ2人の識者は「今の中学生は、自分の全人格がたえず規制され、管理されていると感じ、その規制、管理に対するうらみ、つらみは、私たち大人の想像を絶するものがある。その感情は、どの子にも共通しており、いい子を演じている子ほどストレスが溜まっている。」と分析しています。
私も、同じ意見です。そして、すぐキレる中学生の根本的な原因は、彼らの受け身の生き方、受け身の勉強の仕方にあると思っています。
勉強をさせられる、そのために彼らの生活は親と学校によってがんじがらめに規制され、管理されていると思うと、それは耐え難いものがあるでしょう。
講義を聞くだけの受け身の勉強、先生やできる子が解いた答やまとめを写すだけの勉強、教えられた知識の量をテストされ、偏差値になおされ、順位をつけられる勉強にほとんどの中学生はうんざりしているのです。
しかし、学制がしかれて100年以上、多少の違いはあるにしろ、こういった学校教育が行われてきました。
では、なぜ中学生の受け身の生き方、受け身の勉強の仕方が、最近の一連の事件の根本原因と私は考えるのでしょうか。私は、その受け身の生き方にさまざまな要因がからんでナイフなどの凶悪な事件となって現れてきたと考えます。彼らは、早くから個室が与えられ、責任を伴わない自由が与えられてきました。欲しい物がかなり自由に与えられ、集団遊びなどの経験もなく、自分の思い通りにならないこともある、我慢や忍耐を経験することが少なく育てられました。
家事の手伝いなどによる自分も働いて役に立っているという認識もあまりありません。 熟通いなどで食事のリズムも崩れ、長電話や深夜のテレビゲームなどで生活のリズムもみだれがちです。
そしてテレビゲームも終わってみると 「何も残らない。むなしい。」と言うのです。
これらの要素が、複合汚染のように受け身の生き方にからまって、友達や先生や親の一言で、ある日突然キレてしまうのです。 あの栃木の中学生も、彼の出したナイフに「何やってんのよ」とひるまなかった女の先生の態度に、「馬鹿にされてる」と思って、7回にわたって刺し、死に至らしめたのでした。
ですから根本的な解決は、勉強もスポーツもボランティア活動も、自ら積極的に取り組む中学生を育てることです。
そのために、中学生の生活の大半を占める勉強を自ら積極的に学ぶ学習に変えてやることです。
それは、別に学校教育をないがしろにしろということではありません。 勉強には誰かに教わるやり方の他に、自ら学ぶ自学自習という学習があることを、すべての子ども達に経験させ、身につけさせることです。
できれば、学校教育を受ける前に、その習慣を身につけさせるのが理想です。というのは、子ども達は胎児のときから、新生児のときから、積極的に自ら学んでいます。
子ども達は高い能力を持ち、旺盛な好奇心を持ち、学んでいるのです。 子ども達は、学ぶことが好きなのです。
その証拠に、どの子も、母国語を耳から聞くだけで、鮮やかに習得するではありませんか。 大人がそのことに気づかないだけです。
そして、結果的には、受け身の勉強を押しつけて、勉強嫌いの中学生を大量に産み出しているのです。
では、小学生以降に自学自習の習慣は身につけられないのでしょうか。
次回は、中学3年生が中心になっている名古屋のある少年院の子ども達が、わずか11ヶ月以内に自学自習の習慣を身につけ、どう変身していったかお伝えいたしましょう。(以下次号)
編集後記
ロス時間の日曜日の夕方または夜に編集、発行していますが、95号は日本からの発行ですので、ちょっと遅れました。西尾さんの記事は高島さんにタイプしていただきメールで送っていただきました。河合さんには再度、記事を送っていただきました。ありがとうございました。あらためてEメールの便利さを感じた次第です。
Zakkaya Weekly No.95
雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net