Zakkaya Weekly No.94
No.93 Ryo Onishi 3/198 バックナンバー Homepage
観てきましたよタイガーウッズを丸山茂樹を!土曜日バレンシアG.Cで行われていたNISSAN OPENを観戦しに行ってきました。あのタイガーウッズのすごいショットを見てみんなが注目するわけがわかりました。とにかくすごい気迫です。10番ホールのグリーンでかぶりつきで観ていたのですが、並外れたティーショットそして、あの難しいピン位置に正確に絡んでくるセカンドショット。感動しました。もちろん他の選手のたくさんのドラマがありました。初めての観戦でしたがとても感動した一日でした。楽しかったです。 (R.O)
新しい名刺
日本人ビジネスマンにとって名刺とは、自分のID (身分証明、又は存在証明) であり、また自分を他人と区別し、印象付けるための重要な手段の一つになっています。日本にいると これに印鑑(個人の認印)が加わるのでしょうが、さすがにサインの国 アメリカでは印鑑は持っていても意味がありませんが。そして特に肩書き社会から脱皮しきれていない日本と日本人にとって名刺に記載されている企業・組織名とそこでの役職(肩書き)は絶対です。日本人は誰かと名刺を交換すると先ず相手の名前を確認し、同時に相手の企業・組織名、肩書きを一瞥して相手の品定めをする人が多いようです。名刺の主が一流企業や我が社のお得意先で しかもお偉いさんだったりすると とたんに言葉遣いまで変わってしまったりするのです。相手が尊敬に値する人なら敬語も結構、丁寧語も良いと思いますし、これこそ我が日本語の世界に誇る美点だと言えましょうが、相手の名刺の内容で対応が変わるようでは 尊敬するのは相手の人間でなく彼(彼女)の名刺ということになりはしないでしょうか。(そう言えば名刺を押し戴いて相手の顔は一切見ず ただひたすら貰った名刺に向かって最敬礼している人を時々見かけることがありますよね)
実は私もつい昨年の夏までは企業の一員として社名・役職入りの名刺を振りまきながら会社の為に(と本人だけが勝手に納得し)猛烈に(?)働いていた一人ですから偉そうにこんな講釈をする資格はありませんが、でも今は引退生活に入ったので過去の自分を反省しながらも こんな事も書けるようになりました。会社を引退した直後、私も覚悟はしていたものの、いくつか戸惑う事がありましたがその一つが名刺です。これまで36年余りにわたって続けたサラリーマン生活で 身にしみ付いた企業への帰属意識はもはや過去のものとなり、社名入りの名刺は一切使えなくなったのです。昨日まで使用していた名刺はもはや何の役にも立たなくなりました。そこでやむを得ず自分だけの手造りの名刺を造る事にしました。
そんな時、役に立ったのがコンピュータの名刺ソフトです。名前・住所・Tel./Fax・E-Mailアドレスだけでなく 自分の顔写真からワンポイント画まで入るのです。そしてこのソフトを使って数時間で(本当は悪戦苦闘の数時間の後ようやく)待望の名刺が出来上がりました。これこそまさに社名も肩書きも何んにも無い本当の私個人の名刺なのです。(顔写真は最初挿入したのですが実物が良すぎる私にはどうも写真うつりが いま一つなのでこれは外しました)
出来た当座は我ながらの出来栄えだと思ったのですが、しばらく見ていると 何か物足りないのです。名前と住所・電話他だけだと名刺が寂しげで風邪をひきそうな顔つきをしているのです。私の可愛い名刺ちゃんに風邪をひかれては困るので、何か文字を書き足す事にしました。そこで浮かんだヒントは私の尊敬する友人から頂いたあるアメリカ人引退者のユニークな名刺です。この人は既に80歳に近く、オクラホマに在住し、もちろん悠々自適の生活なので 彼の名刺には所謂肩書きなどの類の記載は一切無く、その代わりユーモラスな言葉がいくつも並んでいるのです。そこで私もこのご老人にあやかるべく自分の名刺に次のように書き足しました。
“Retired――No Office, No Title, No Money, No Worries”
私の名刺が俄然嬉しそうな暖かい顔つきに変わりました。ほのぼのとしたユニークな名刺の完成です。でもこの名刺を渡された人は名刺に向かって最敬礼どころか、くすくす げらげら笑い出すのです。中でも我が悪友どもは面白がって“ノー天気、ノータリン、No Hair(髪の毛)”を加えたら、なんて悪乗りする始末です。でも私は自分だけのこの名刺が気に入っているのだから少しも気にしていません。むしろ初対面の相手にこの名刺のお陰で 私自身を強く印象付けられ、我が意を得たりの心境です。
どなたか私のこの傑作作品(?!)が欲しい方お申し出ください。―― エッ、ソウダヨネ、こんなもの欲しい人などいる訳ないよネ。
“名刺”に“迷詩”を加えても“名士”にはなれないが、もって“瞑し”とすべきか!
河合 将介 skawai@wakao.com
健康の方程式 「キレる」「荒れる」中学生に家庭教育は無力か? 西尾誠一郎
中学生によるナイフ殺傷事件をはじめ、凶悪な少年犯罪が多発する中で、家庭における教育力の低下がずっと問われてきました。3月1日付けの読売新聞では、学校での持ち物検査について国民の8割以上が「当然」「やむを得ない」と考えています。
今回は、たくましく、賢く、やさしい子に育てる家庭教育について考えてみます。それは子供の、そして私たち大人の健康と幸福に大きく関わると考えるからです。
2月26日の真夜中に、NHKのクローズアップ現代で「何故中学生がキレるか」を見ました。我が家のVCRはずっと録画できないし、私の脳は夜の12時を過ぎると極端に働かなくなるのでメモを十分とれませんでした。でも大体以上のような内容だったと思います。
テレビでは女教師殺傷事件に対する2000人の中学生のアンケートを中心に話しが進められました。
事件に対して「人の命を何だと思っているのか」とか「人を殺すなんて最低」といった批判の声も多かったのですが、4割の中学生が「気持ちはわかる」と言っています。 そして11%の中学生がナイフを持っており、ナイフを持つと「自分が強くなった」と思い、「気持ちが落ち着く」と言っているのです。「今までにキレたことがありますか」の質問に、29.6%の中学生が「ある」と答えています。「誰に対してキレたか」に対しては、「友達にが45%、先生にが25%、親にが21%」となっています。
今の中学生は、自分の全人格がたえず規制され、管理されていると感じ、その規制、管理に対するうらみつらみは私達大人の想像を絶するものがあります。その感情はどの子にも共通しており、いい子を演じている子ほどストレスが溜まっているようです。
「この状況をどう打開したらよいか」という司会者の問いに、出席していた教育評論家の斎藤茂男氏は、時間の制約もあって「心をいたわり合うボランティアか活動をもっと活発にしては」とだけ、答えました。
打開策についてはいろんな面から検討されなければなりませんが、ここでは家庭でできる事に限って考えてみましょう。
一方的に講義を開く押し付けられる受身の学習の前に自ら学ぶ自学自習の習慣をつける。
今の日本の中学生ほど長時間勉強をされている人はいないでしょう。それもその大半は偏差値のための試験勉強です、今の中学生は受験戦争の影響からか、勝ち負けや個人の評価の順序づけにこだわります。それと同時に一方ではいじめ問題に見られるように、横に並んで仲間はずれにされることを極端に恐れます。ですから常に「自分がどうしたい」より「みんながするから自分もする」が優先してしまうのです。
もうずっと前から読者の二極化現象が指摘されています。
月に10冊以上本を読む子が1割強いろ一方、クラブ活動と熟通いで月に1冊も本を読まない中学生、高校生が5割近くもいるのです。スポーツの二極化現象もひどいものです。運動する生徒はいっそう運動するし、そうでない生徒はキャッチボールも満足にできないようにスポーツから遠ざかっているのです。
勉強もスポーツも、ボランティア活動も、自信をもって積極的にバランスよく取り組む子をどう育てたらいいのでしょうか。(以下次号)
明日はあるの? 諸橋義弘
「明日という日は明るい日と書くのね」という歌が一世を風靡しましたが、最近何やら「明日」という日の価値について考えることが多くなりました。
今までは「明日があるさ明日がある、若い僕には夢がある」と明日は希望と光に満ちたもののように思い、例えうまくいかないことがあっても「今日が駄目なら明日があるさ」「明日は明日の風が吹く」とそれほど一つのことにこだわらないで来たように思いますが、近頃は「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐(風?)の吹かぬものかわ」という古歌のように、やはり今日の内にやりたいことをし終わっておかないとどうも後悔するんじゃないかと思う昨今なんです。
「冬来たりなば春遠からじ」と、厳しい時を迎えてもその先に良いことがあることを信じて、それを乗り越える努力をすることが肝要なのでしょうが、少しばかり年を重ねると厳しい時を越える自信がなくなるのか、またはその自信はあってもそれをを越えられるだけの体力気力が無くなってくるのか、早いとこ、おいしいところを精一杯腹に詰め込みたいという焦りみたいなものを感じているのは小生一人でしょうかね。
こうしてみると明日を信じられるのが若者、信じられないのが老人という分け方になるのでしょうかね。
何かの本にありましたが、青年の立場から見れば、人生は希望に満ちた無限に長い未来だが、老人の立場から見れば、それは非常に短い過去に過ぎないものだそうです。
未だ人生を云々するには「年端もいかぬ」小生ですが 、人生はよく言われるように葉巻のようなもの、またはビールのようなものかも知れませんね。つまり吸い始めだけ、または1口目だけがうまいというやつで、後は苦みばかりが残る。
まあ、そうは言っても折角生んでもらって今日までそれなりの人並みな体験を半世紀以上させてもらったわけですから、ここまで来ればそれ以上欲張らず、一日一日を悔いなく過ごし、「明日」もまたかくありなんと信じる月並みな人生が、案外一番大事なのかも知れませんね。皆さんはどう感じますか?
編集後記
私ごとなんですが、義父が危篤状態なので月曜日に日本に行きます。どんな人でもいつかはやってくるのですが身近に起きるとやはり・・。
雑貨屋は次号も発行できるようにしますので、投稿される方はご遠慮なくよろしくお願いします。
Zakkaya Weekly No.94
雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net