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NO.947           Ryo Onishi              7/6/2014

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雑貨屋のひとり言

政治屋のアホな行動や言動が続きます。兵庫県議会の野々村議員のみっともない記者会見の模様が動画で世界中に配信されて笑いものになっています。個人の問題だけではなく日本の恥です。こんな資質の低い人が議員になっているなんて悲しいことです。政務活動費というわけのわからないお金を自分の手当だと勘違いしているバカな議員がたくさんいるのも困ったものです。地方自治体の議会は費用対効果を考えないコスト意識の低い人の集まりなのかと思ってしまいます。議会の身内だけのあまいチェックしか行われず市民がチェックできるしくみになっていないのも古い体質で時代遅れです。日本中こんな無駄がいっばいあると思うと情けなくなります。もっとも費用対効果が低いのは議員の数が無駄に多いことと、レベルの低い議員にコストがかかりすぎていることでしょう。しかしこんな情けない状態にさせてしまった有権者の政治への無関心にも責任があると思います。≪R.O≫

 

左眼・右眼

 左眼が白内障に罹り、左眼の視力が落ちて視界がぼやけたとき、両眼を開いていても実際は右眼だけでモノを見ている状態でした。左眼は薄いヴェールか霧に覆われた感じで、景色やモノは見えてはいますが、なにかバランス感に欠けたものでした。片眼では遠近感がとりづらいだろうことは承知していましたが、単なる遠近感の問題ではなく、もっと人の心理の奥深くと関係しているらしいと気付かされました。

 一般的にヒトはなぜ眼を2つ持っているのか、という疑問に対し、答えとしてよく聞かれることは、遠近感や立体感の感知のためというものがあります。片眼をつぶって、ひとつの眼でモノを見ても様子はわかりますが、しかし、両方の眼で見ると、対象物に立体感がでてきます。それは左眼で見たものと、右眼で見たものは全く同じではなく、脳はそれぞれの眼が見た画像を統合してひとつの像としてとらえ、その際、左右のずれを脳が認識し、奥行きを感じているのだそうです。眼が2つあるために、遠くの物と近くの物を区別して立体的に見ることが出来るわけです。

  片側(私の場合は左眼)が白内障であったとき、このパソコンの画面に向っていても、画面の文章は当然のことながら読めるのですが、同時に脳裏をモヤモヤしたものが漂い、集中力に支障が生ずるのを実感したのです。そしてそんな状況で得る情報からの発想がなぜか否定的、ネガティブな発想になっていることに気付かされました。

この場合、右眼がとらえたパソコン画面の認識だけが脳に伝わり、左眼からの情報はぼやけているため脳には充分に伝わらず、そこで、脳は左右を統合した認識を得られず、バランスの悪い情報としてネガティブに認識してしまったのではないかと思います。左右の眼からの画像認識は単なる画像の統合・認識だけでなく、情報の中身についても左右で異なった処理をしているとしか考えられないものでした。

 脳科学の領域で、左脳・右脳の違いが世間の話題になったりしますが、眼にも左眼・右眼はまったく同一のものではなく、別々の機能があり、どちら側の眼でより強く認識するかで対象のとらえ方が異なることになるなんてことがあるのではないでしょうか。

私は手術により左眼の視界から薄幕がとれて対象をクリアーにとらえることができ、再びバランスよい視力を得ることによって、私の脳はまた以前のようなポジティブ発想に戻った感じです。

白内障を患い、手術までしたおかげで、これまで思いもよらなかった左眼・右眼とその統合について考えさせられました。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

それ言っちゃおしまいだよをまくしたて

見え透いた世辞で落ち目をもてなされ

末席の私語が何やら生臭い

またあいつ一言居士に揉めている

反省の弁も手慣れた三回目


( ニュースやぶにらみ )

「ねじれ現象」

中韓会談、日朝協議 −アメリカ

「号泣県議」

それでも男かよう −セクハラ野次議員

「集団的自衛権」

さて ―国民安全の日


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(334)「自衛隊創設60年、集団的自衛権行使を限定容認」

自衛隊は、今年7月1日で創設60年の節目を迎えた。その間、自衛隊をめぐる政府の憲法解釈や安全保障関連の法解釈は(国際環境の変化などに伴い)大きく変遷した。我が国の憲法は、終戦の翌年(1946年)5月16日の帝国議会の審議を経て11月3日に公布され、その6か月後(1947年5月3日)に施行された。当時は「戦争(交戦権)の放棄」(憲法9条2項)を謳ったが1950年に朝鮮戦争が勃発すると(米国の要請のもとに)政府は警察予備隊、保安隊に次いで1954年に自衛隊を発足させた。「自衛権と自衛隊の存在を認める」という解釈である。これには当然、社会党や共産党などの野党、それに左翼系政治団体が猛反発した。しかし、自衛権と自衛隊存在を認めることは、国(領土・領海・領空)と国民の生命・財産を守るため独立国家として当然の成り行きであった、と言うべきであろう。

1989年にブッシュ米大統領(パパ・ブッシュ)とゴルバチョフソ連書記長の米ソ首脳会談で東西冷戦構造は終結を宣言し、米ソ関係は新時代を迎えることになるのだが、一方で地域紛争が頻発する。そんな国際情勢の中、自衛隊は国際平和協力活動という新たな任務を担うことになる。1991年に日本は初めてペルシャ湾に掃海艇を派遣したのち、カンボジアなど各地での国際平和協力活動(PKO)に参加した。特別措置法の制定により、インド洋での給油やイラクでの復興支援にも協力した。その場合でも自衛隊は、憲法の“武力行使の禁止条項”に基づいて、インド洋やイラクでは“非戦闘地域”に限定された。自衛隊員の勤勉さ、礼儀正しさは関係国から高く評価されたそうだ。国内においても国民に賞賛される活動が多々あった。風水害・地震など自然災害時の活動、特に1995年の阪神淡路大震災、2007年の新潟県中越沖地震、2011年の東日本大震災などでの救援活動で被災地・被災者に大いに感謝され、自衛隊の存在性(重要性)が再認識されたことは記憶に新しい。

近年、中国による尖閣諸島周辺での(軍事的)挑発行為や北朝鮮の核・ミサイル開発が続き、日本国民の危機感、国防意識は一段と高まった。自衛隊(や海上保安庁)は平時の警戒監視任務の重みが増している。そんな情勢の中、安倍政権は集団的自衛権の行使を限定的に容認する新たな政府見解を閣議決定した。同盟国や友好国は“歓迎”したが、案の定、中国・韓国は“警戒感”を示した。これは勿論、想定済みのこと。では『集団的自衛権』とはどのようなものなのか。昨年11月に配信した『龍翁余話』(304)「集団的自衛権を考える」の1部を抜粋しよう。

【・・・例えばアメリカ(同盟国)やオーストラリア(友好国)などが他国から武力攻撃を受けた時、日本は自国への攻撃とみなして反撃出来る権利。日本への直接攻撃に対して当然、反撃出来る『個別的自衛権』の範囲を、同盟国や友好国にまで(解釈を)広げたもので国連憲章でも“国家固有の権利”として認められているのだが、これまで日本政府は、戦争放棄などを定めた憲法9条との兼ね合いで「国を防衛する必要最小限度の範囲を超える」と解釈し『集団的自衛権』の行使を禁じて来た。だが、湾岸戦争(1990年)以来、同盟国アメリカや友好国から「日本が攻撃を受けた時、同盟国や友好国の将兵が命を賭けて日本を守るのに、こちら(同盟国や友好国)の有事の際、日本は9条を盾に参加しないのは不公平で国際友好精神に反する」との批判が続出し始めた。これはなかなか重要かつ深刻な問題だし、翁如きがここで性急に結論を導き出す勇気も力もないのだが、『集団的自衛権』と『憲法改正』の議論を更に深めなければならない時代になっていることは確かだ。だからと言って、何でもかでも(同盟国や友好国の要請で)紛争国・地域に出かけ、ドンパチをしてもいい、というような法律が出来るのは困る。どこかで歯止めをしなければならない。だからこそ、この『集団的自衛権』と『憲法改正』は(翁自身は前向きであるのだが)より慎重に時間をかけて国民的議論に発展させなければならないと思うのだ】

以上のように(翁が)論じて、7か月後に安倍内閣は『集団的自衛権』の行使を限定的に容認する新たな政府見解を閣議決定した。と言っても、まだ、正式に決まった訳ではない。政府・与党は秋の臨時国会から自衛隊法、武力攻撃事態法の改正など関連法の整備を開始する。安倍首相は記者会見で「国民の命と暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制を整備する。この自衛権は、けっして戦争を目的とするものではなく、日本本来の平和精神は堅持する」と語った。当然だ。有事の際、真っ先に命を賭けるのは(陸・海・空の)自衛隊員。安倍首相が言う「国民の生命、暮らしを守るため」という思想を基本理念とするなら、自衛隊員とて日本国民であるから“彼らの生命や家族の暮らし“も大切に考えなければならない。翁が思うに、この集団的自衛権行使の限定容認は、本当は(安倍首相の本音は)”戦争容認“なんかではなく、むしろ、国際法を無視し軍事力にモノを言わせ、戦闘行為すれすれの野蛮行為を続けている中国や(火遊び好きな)北朝鮮の愚行への”抑止力“となることを狙っている、と考える。自国の防衛とは無関係に他の国のために自衛隊を動かす愚があろうはずはない。故に「戦争への道を開く」といった左翼系の政治家・学者・評論家たちの(憂国心の無い)平和ボケ発言は見当違い。だが、これだけは言っておきたい「集団的自衛権の行使は限定容認とは言え、もっと時間をかけて国民に理解を求める努力を重ねよ」更に言う「いかなる時代でも最優先すべきは平和外交である」と。

自衛隊の定員数は約24万7千人。しかし実数は陸海空合わせて約22万7千人(2013年現在=充足率92%、うち女性隊員は5.5%の1万2000人)。国を守る人数としては、いささか少な過ぎると思う。この機に、防衛省は陸海空自衛隊員の大募集をかけてはどうだろう。今年は自衛隊創設60周年、自衛隊員たちは(OB・現役共に)この60年間、ひたすら国土防衛、災害救助のプロ集団に徹してきた。国家・国民の平和を守る彼らの真摯な姿勢に敬意を払うと同時に、自衛隊の有りようを法によって(もっと)明確にすることが我々国民の課題であるように思えてならないのだが・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

食べる

”あ〜嫌になっちゃうよ、食べて寝るだけの生活…“このつぶやきは昨年、母が入院していた時に同じ病室のある患者さんから溜息と共に発せられた言葉だ。私たちは食べなければ生命を維持する事が出来ないし食べる意欲と生きる意欲はイコールのものだ。
また、食べる意欲があっても食べられない人にとっては本当に辛いものだ。点滴は食べなくても何日も生命を維持する事が出来るけれど口から食物を摂取する事の大切さは心身ともに測りきれないほど大きな力がある。最近の調査でも点滴から早めに口から栄養を摂取した場合の回復力の速さが圧倒的に違うというデーターが出ているようだ。昨年、病院の食事を見ていて日本の病院食の豊かさに感心した。患者さんたちにとっては食べる楽しみが大部分を占める。その病院ではラウンジに一週間のメニューが張り出されていて前もって言えば主食はソーメンかご飯、そしてご飯の柔らか
ゼリー類 柔らか食品(レトルトタイプ) 流動食、口腔ケア用品

さも選べるようになっていた。メニューも複数あって、その患者さんの体調に応じていくつかメニューが選べるのだ。LAでの話だが前回60代の退院してきたばかりの女性の食事を頼まれて何回か通った。1か月の入院中、体重が激減してしまったそうでその原因の一つに病院の食事がまずくて食べられなかったそうだ。大皿に緑やオレンジや黄色のマッシュ(潰した)した食品がてんこ盛りに盛られていてそれが一体何なのかわからず味も素っ気もなく食べる意欲がわかなかったそうだ。この女性の場合は食べる意欲があっても口に合わなくて食べられなかったというケースだ。また、歯が悪かったり飲み
柔らか食品 お魚パック

込む力が弱くなっていたりで食べる力というものが衰えてしまっている人もいる。健康な人にとってはお腹が空けば食べるというあたりまえの行為が食べる力が弱っている人にとっては大仕事で時には苦痛でもあるのだ。そういう事が入院中の患者さんたちを見ていて初めてわかった。ただ栄養だけあっても美味しくなければ食べる事にストレスを感じて体にその栄養が行きわたらないように思う。目で見て香りを楽しんで味わうという事では日本の食品会社のきめ細やかさには感心させられる。日本の和食文化が海外で受け入れられるようになったのと同じく介護食品や高栄養食品の分野でも今後、日本が注目される日が来るような気がする。医療やロボット技術も日本は世界をリードしているけれど水産技術や農業技術、加工技術もすごいらしい。
この7月には東京でヘルシーフードショーという医療や介護福祉施設向け試食展示会が開催されるそうだ。残念ながら予定が合わないので今回は行けないのだけれど先にそれらの食品を販売しているショップに参考までに行って、いくつか商品を購入してきた。
様々な硬さの食品がたくさんあって展示しきれない冷凍食品、冷蔵食品もカタログ注文が出来るようになっていて病状に合わせたお弁当もオーダー出来るようになっていた。
最近は少しずつ普通の食品売り場でも栄養補助食品のコーナーと介護食品を見かけるようになってきた。普通の食品会社でも医療や介護食に特化した分野の研究や開発も始められているようだ。今後、そういった食品分野でも日本は世界をリードしていけるのではないかと期待している。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズが大好き−今週のお奨 めアルバム

ファンキージャズのジャンルに入る"Moanin'"は多くのアーティストが演奏しているジャズでもっとも多く演奏されているといわれるほど有名な曲です。みなさんもどこかで聴いたことのある曲だと思います。1970年にはザ・ピーナッツがこの曲をカヴァーしたアルバムを出しています。1990年には三菱ランサーのCMにも起用されています。このアルバムのMoaning'は9分37秒と長い演奏時間で聴きごたえがあります。ドラムスのArt Blakeyが率いるJazz MessengersはRee Morganのトランペット、Benny Golsonのサックス、Boby Timmonのピアノ、Jimmy Meritのベースが絶妙のコンビネーションです。
1958年に録音されたBlue Noteレコードのアルバムです。Blue Note 4003

"Moanin'" Art Blakey & The Jazz Messengers

01-Moanin'
02-Are You Real
03-Along Came Betty
04-The Drum Thunder (Miniature) Suite
05-Blues March
06-Come Rain Or Come Shine

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

昨日は怪しい天気の中、家族(孫もいっしょに)で住吉霊園にお墓参りに行きました。移動には息子が入会しているカーシェアリングの車を利用しました。まだ新しい中型車を6時間借りましたがガソリン代込みで4000円ですからとてもリーズナブルだと思います。山の中にある霊園なので予想通りで雨に降られました。帰りに西宮ガーデンズに寄りましたが、サマーセールでものすごい人でした。 孫も加わった家族での楽しい一日を過ごせました。《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.947

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com