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NO.940           Ryo Onishi              5/18/2014

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雑貨屋のひとり言

韓国のフェリー沈没事故、トルコの炭鉱爆発事故、岐阜県で発生したマグネシウム工場の火災など国内外で次から次へと事故が起きます。これらの事故はあきらかに人災です。どこにでもリスクや危険が潜んでいますがそれらを想定して事前に対策を施せば事故は防止できたと思います。当たり前のことですが、この当たり前のことをやらなかった会社が大事故を起こしています。おそらく当事者である会社の従業員や会社周辺の人はいずれ何かが起こると気づいていたと思います。そしてそれらの情報は会社トップも知っていたはずですし、監督官庁にも届いていたはずです。でも何の対策も打たれずに事故が起こっています。知っていて見ないふりをしていたのか、できない理由をさがして何もしなかったとしか思えません。利益を優先しお客様や従業員の安全をおろそかにする企業が数多く存在するのは残念なことです。こような企業は遅かれ早かれ廃業に追い込まれ、国の信頼も落ちることに気づいてもらいたいですね。≪R.O≫

 

安 心 距 離 は 54センチ

以前、日本経済新聞のコラム欄に 「人(日本人)は見ず知らずの他人と一緒になった時、心に不安を感じ、その他人と一線を画す為、物理的に一定の距離まで離れようとする。そして色々な実態調査の結果、他人が接近した場合、不安にならない平均限界距離(安心距離)は54センチであるという結果が出た」 という記事がありました。

自分のそばに見ず知らずの他人が近づいて来たりすると、私たちは無意識のうちに「身構える」 感情が働きます。

例えば、始発駅で空車状態の電車に乗る場合、乗客同志が仲間か知り合いでない限り、最初の乗客は先ず座席の端に座り、2番目の乗客は反対側の隅に席を占め、3番目・4番目・・ とそれぞれの乗客は出来るだけ隣の人と距離を置くようにして座るのが普通でしょう。空席さえ充分あれば互いが顔見知りでない二人が隣同志にぴったり座るということはまず考えられません。

私はこの新聞コラムにあった 「安心距離」 に大変興味を抱きました。勿論この「54センチ」という「安心距離」は、単なる平均値でしょうし、実際、個々の状況毎に大きく変化するものでしょう。でも、この 「安心距離」 という発想は、意外と私たちの日常に何かと関わりを持っているのではないかと思いあたります。

改めてその「思いあたる関わり」を思い付くまま、敢えて私の干乾びた脳みそから引っ張り出してみると次の通りです。

(1)、人間には元来、本能的に個人の「縄張り意識」があり、国家でいえば「領海水域」み
たいなものがあるように思います。海に面した国家の場合、「自国に接する海は ○○カイリまでを領海とする」と宣言するようなものです。これが「安心距離」という発想なのでしょう。日本人の場合、それが54センチとなるのでしょう。(こういう現象はなにも日本人に限らず、人間すべてにいえるのではないかと思いますが、私にはよくわかりません)

(2)、以前、私は「気功」に関する講演会に出席し、講師の話に大変感動しましたが、その時、講師がおっしゃるには、人は誰でも自分の身体から『気』が発散しており、身体を取り囲んでいるのだそうです。私達は『人間』を考える時、人の目に見える肉体部分だけでなく、これを取り囲んでいる『気』をも含めて『人間』を捉えることが重要なのだそうです。

 もしかしたらこの身体の周囲にある『気』の厚みがほゞ54センチなのではないでしょうか。54センチ以内にお互いが近付くと、見知らぬ他人だと『気』と『気』が反発し合い、逆に相手が親しい間柄の人だと両者は引き合う(気が合う)ことになる、そんなふうに思います。(遠くから『気』を送る事も出来るのだそうですが、それはリモコン(遠隔操作)みたいなもので、相手の『気』自体がそこまで届いているのではないと思います。

 「一杯のお酒は互いの間隔10センチ縮める」 という名言を雑誌のCMで読んだことがあります。それは、お酒を飲むと身体を取り囲む『気』の効力が弱まり、10センチ分ガードが緩んでくるのだと解釈するのはいかがでしょうか。

(3)、一昔前までは、お化粧はほゞ女性の専売特許でしたが、最近は男性も熱心に化粧をするようになりました。

 ある人にいわせると、男性でも女性でもお化粧をする場合、配偶者または婚約者のいる人といない人ではお化粧、特に化粧品の香りの強さが自然と違ってくるのだそうです。(尤も、これは結婚願望がある場合に限るそうですが)。前者は薄めの香り、後者は強めの香りの化粧品を無意識に選ぶそうです。思うにこの「強めの香り」と「薄目の香り」 の境界線はきっと54センチなのしょう。

親密なパートナーなら54センチ以内に近付ける訳ですから香りを出す側は、54センチ以上の遠くへ香りを放出する必要はない訳です。また、特定の人がいない場合は、誰かを自分の 「縄張り内」 に引き込むため、自分の香りを「縄張りの外」まで放出し、相手の関心をそそる訳です。

 お化粧をする時、(それが男性であっても女性であっても)私たち日本人は 「香りの境界線」が54センチであるということを無意識・本能的に認識し、対応していると考えると面白いかもしれません。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

多機能のスイッチ俺を馬鹿にする

背の老いを頑固な父に見てしまい

粉骨砕身を年金が振り返る

一筋の道もときには千鳥足

百歳の句集に右脳目を覚ます


( ニュースやぶにらみ )

「南沙諸島で掘削作業」

石油も溝も掘っている −中国

「平均寿命世界一」

戦死者ゼロが羨ましい −紛争国

「大銀杏はまだ」

とりあえず小結を −遠藤


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(84)
*佐多稲子ー動坂のカフェ「紅緑」
明治37年長崎に生まれ、 大正4年に一家は上京し、稲子は向島区牛島小学校5年に転入します。その時の同級に堀辰雄がいました。ちなみに森鴎外も少年の頃7年間この地に住み、弟の篤二郎と妹の喜美子は牛島小学校に通っています。
堀辰雄『二人の友』より。「窪川稻子さんは、一時、僕のいつてゐた向島の小學校に行かれてゐたことがあるさうです。僕たちは同じ年ですから、それも同級だつた訳です。さう言へば、なんだか稻子さんのやうな人がゐたやうな氣もしますし、稻子さんの方でもなんだか僕のやうな腕白者がゐたやうな氣がしてゐるかも知れません。しかし、その頃のお互のことは何もはつきりしたことは覺えてゐません。」
 二人の同級期間は短く、家が貧しかった稲子は小学5年中途で退学してキャラメル工場で働きます。その後、中華そば屋、料亭、丸善洋品部の店員などをして働き、20才の時、資産家の息子の慶大生と結婚をしますが、1年後心中未遂の末に離婚します。原因は夫の嫉妬、暴力とも、夫の両親の反対ともいわれています。
後年、芥川龍之介に呼ばれて、窪川鶴次郎、掘辰雄と3人で訪ねた時、稲子は芥川に「あなたは自殺するときに何を飲んだのですか」「生き返ったあと、また死のうと思わなかったですか」などと聞かれたそうです。芥川が自殺する3日前でした。
離婚した稲子は1歳の娘の葉子を連れ、祖母、継母、叔母までを養わなければならず、動坂のカフェー「紅緑」に働き口をみつけます。
「紅緑」は大正15年に室生犀星を慕って集まった、中野重治、窪川鶴次郎、堀辰雄等が雑誌『驢馬』を創刊し、その同人たちのたまり場でした。
佐多稲子『年譜の行間』より。「たまたま街を歩いているときに張紙を見て、それで。その日、銭湯へいって髪を洗っての帰り道、『女給募集』って書いてあったかしら、その張紙を見てね。長い髪を肩に流した洗い髪のままでは相手に悪いな、と思ったんですけど、すぐ近所のことだしと、〈洗い髪のままで失礼ですけど〉って入っていったのね。そうしたら、その場で話は決って、次の日からでも来ておくれ、というようなことで働き出しました」そこで稲子は驢馬の同人達から多くを学び、昭和3年、中野重治の勧めで処女作『キャラメル工場から』を発表します。後年「驢馬」は私の大学だったと言っています。
『夏の栞』(毎日芸術賞)、『月の宴』(読売文学賞)など多くの作品を残して、平成10年、94歳で亡くなりました。

龍翁余話

龍翁余話(328)「映画『レイルウエイ 運命の旅路』を観て」

政治混乱が続くタイの憲法裁判所は、先日、インラック首相を罷免した。その罪状は3年前、インラック首相が職権を乱用し公務員人事に介入した、それが憲法違反であるとのこと。インラック首相失職のあと首相代行にニワットタムロン副首相が任命されたようだが、タイの政治混乱は更に深刻化することが必至だとみられている。翁は、直接にはタイとは関係ないが、翁の後輩や友人の子息たちがタイで自動車関連企業、金属製造・加工企業、電気機器等の製造企業、そして商社などで活躍しているので、日系企業で働く日本人及びタイ国民のためにも、早期の政治安定化を望みたい。

タイに詳しい友人の話によると「日本企業のタイ進出は、これからもますます増加する傾向にある。2011年の大洪水でかなりの被害を蒙ったのに日系企業は少しも減少していない(タイ商務省データに登録されている日系企業は約7,000社)。その理由は、第1に電力や水道などのインフラ面が整備され、アジアの中で最も産業集積が進んでいることが挙げられるが、タイ人の気質は日本人に馴染みやすく仕事がやりやすい」とのこと。そう言えば、なりふり構わず覇権主義を強行して日本及び近隣諸国を脅かし続けている何処かの国のような“恥じ知らずのならず者国家”と違ってタイは、国内的には2006年頃からタクシン
派(反独裁民主戦線)と反タクシン派(民主市民連合)が鋭く対立、政情は極めて不安定な情勢にあるものの、伝統的には柔軟な全方位外交を展開、ASEAN諸国との連携、協調を基本としている。とりわけ日本の皇室とタイの王室とは古くから親睦関係にあるところから、今後も両国の持続的互恵関係を強めて行かなければならない。

ずっと昔、タイを舞台に活躍した日本人がいた。1612年(剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘したと伝えられる年)、山田長政という男が朱印船で長崎からシャム(現在のタイ)に渡り、(先にシャムに渡っていた)津田又左右衛門というサムライが隊長を務めていた日本人傭兵隊に加わり、頭角を現して現在の首都バンコクから北方60キロに位置するアユタヤに出来た“日本人町“の頭領となって、軍事・経済両面でアユタヤ王朝の繁栄に貢献した。特筆すべきはスペイン艦隊の2度に亘るアユタヤ侵攻をいずれも撃退したことだ。その功績で、長政はアユタヤ王朝のソンタム国王の信任を得て王女と結婚、アユタヤ王室の1員となって東南アジア全域で活躍した。その小説『王国への道・山田長政』(遠藤周作著、新潮文庫)を、翁はだいぶ前に読んで血を湧かせたものだ。

連休明けのある日、久しぶりで映画館に足を運び『レイルウエイ運命の旅路』(2013年制作のイギリス、オーストラリア合作映画)を観た。第2次世界大戦中、タイとビルマ(現在のミャンマー)間を往来する泰緬鉄道(たいめんてつどう)の建設に捕虜として従事、非人道的扱い(過酷な条件下)で働かされたエリック・ローマクス(イギリス人将校)の自叙伝『泰緬鉄道、癒される時を求めて』を映画化したもの。その原作者のエリックと日本人通訳だった永瀬 隆との運命的な関わりを描く感動物語である。

翁が何故、この映画を観に行ったか――実は、翁の長年の友・中條さんのお薦めによるものだった。この映画の重要な登場人物・永瀬 隆さんと中條さんとは大学(青山学院)の大先輩・後輩の間柄。お二人は(永瀬さんが2011年、93歳で亡くなるまで)お付き合いが続いた。永瀬さんがどのような人物であったかは2008年8月1日配信の『龍翁余話』(44)「戦場にかける橋“最後の巡礼”」で書いた。その1部を紹介しよう。
【・・・全長415キロの泰緬鉄道が完成するまでには5年はかかると言われていたこの難工事を1942年に開始してからわずか1年で完成させたのだから、こき使われたイギリス・オランダ・オーストラリア・アメリカの連合軍捕虜約62,000人(うち約13,000が死亡)、ビルマ周辺諸国から(募集で)集まった労働者約30万人(うち約8万人が死亡)たちは、どれほど過酷な労働を強いられたか・・・劣悪な環境、雨期での強行作業、食料不足による栄養失調、コレラ・マラリアの罹災、そして日本軍による拷問などで「それはまさに地獄絵図だった」(自らは全く手をくだしてはいないものの)永瀬さんは、戦後(復員後)も旧日本軍が犯した罪の意識にさいなまれ、1964年から贖罪と慰霊の旅を開始、「この巡礼は日本人としての道義と己れを救うためだった」と永瀬さんは言う・・・永瀬さんの“巡礼の旅“は135回にも及んだ。初めの頃はタイの国民や旧国連軍捕虜及びその家族・遺族から冷ややかな目で見られていたが、やがて「ナガセこそが本当の日本人」と評価されるようになった・・・永瀬さんは毎年、タイから留学生を日本に招待、1986年にはタイの障害者を支援するため『クワイ河平和基金』を設立した。何故か・・・泰緬鉄道建設で多くの人に犠牲を強い迷惑をかけたお詫びと、1946年、日本軍12,000人がタイから引き揚げる時、タイ政府は全員に飯盒一杯の米とザラメ砂糖を支給してくれた、その恩返しのためでもあった。それらは全て自費である・・・そして永瀬さんはイギリス・オーストラリア・オランダ・アメリカの元連合軍捕虜(及び家族)への“お詫びのメッセージ”も忘れなかった。その中の1人に『レイルウエイ運命の旅路』の著者エリック・ローマクスさんがいた。2人の文通は続いた。数10年後、2人は“恩讐を越えて”感激の再会を果たした・・・】

2011年6月、永瀬さんの葬儀に際し、エリックさんからこんなメッセージが寄せられた。「勇敢なナガセさんに出会えたことは私の人生の特権だった。私は心からあなたのご逝去を悼み、お別れを言います“さらば朋友、さらば我が兄弟”よ」・・・翁、この映画を観て思った。日本政府は(スポーツ界や芸能界ばかりでなく)永瀬さんのような(地道に)人道を貫き国家の品格を高めた人物にこそ“国民栄誉賞”差し上げるべきだろうと。そして更に強く思う“戦争の傷跡から生まれる友情は美しく感動的だが、これからは平和の中で友情を育まねばならない”・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

おばあちゃん達の原宿

先週は母の日、昨年のこの日、母は病院でその日を迎えた。今年は母と巣鴨に出かけた。
巣鴨の商店街は、おばあちゃん達の原宿と呼ばれているように、ここはおじいちゃんやおばあちゃん達の好きなもので溢れている。大抵のものはここで揃うので母が探していた夏用の帽子とショッピングカートとスカーフを買いに出かけたのだ。
何年か前に若者の街、原宿に用事があって母と出かけた時、狭い竹下通りにはたくさんの高校生や中学生ぐらいの年頃の少年や少女がゾロゾロ歩いていた。思い思いのファッションに身を包んで歩いている姿はまるで仮装行列のようだった。その中で母と2人浮きまくって歩いたのを覚えている。その違和感が面白かった。その翌日に今度は巣鴨に出かけたら、まだ昔の昭和を残したような食堂や和菓子屋さん、お漬物のお店などがたくさん並んでいて何だかホットした。ここでは原宿のクレープでな

く、巣鴨の鯛焼きをかじりながらおばあちゃんたちが闊歩している。長い商店街の道のあちこちには座るイスが置かれている。中には休憩所があってお茶も無料で提供されている。
背中にリュックをしょって杖を突いて歩いている人が多い。前回、八百屋さんで働いている若者が店の前の路地でしゃがみこんで段ボールに入っている野菜を忙しそうにパックしていた。その時、杖を突きながら歩いてきたおばあちゃんの杖が若者の背中にパシッとあたってしまったのだ。驚いたその若者は振り返り ” いて〜! ” と大声を上げた。その金髪頭で耳ピアスや鼻ピアスをした若者は振り返ったその瞬間 ”この…(この野郎と言いたかったのだろうが、そのおばあちゃんの後ろ姿を見た途端)婆ちゃん、お達者で〜!”と叫んだのである。そのおばあちゃんは自分の杖が若者の背中にあた
太陽光パネル 母の日 早稲田の学生と巣鴨にて 六義園

った事も全く気がついてないようでそのままスタスタ歩いて人ごみの中に消えていった。その様子を見て私も母も笑ってしまった。そして何だか暖かい気持ちになった。きっと彼の家族にも身近におじいちゃん、おばあちゃんがいるのかもしれない。
今回、買い物を終えて街中のベンチで座っていると早稲田の学生さんたちが母の所に来て”すみません、一緒に写真を撮らせてください ”と頼んできた。突然の申し出に母は少し戸惑いながらもベンチに座ったまま記念写真を撮った。その傍でその彼らの写真を私も撮らせてもらった。きっと地方から出てきた学生さんなのかもしれない。母の日に帰れない、もしくは母親がいない若者だったかもしれない。勝手に想像を巡らせた。
彼らにとってもおじいちゃん、おばあちゃんたちにとっても楽しい思い出の一日になったと思う。今回、商店街の屋根に太陽光パネルが取り付けられていたのに気が付いた。
もっと前からあったのかもしれないが、この街で若者と今までこの街を支えてきた長老たちが一つになってこの街を盛り上げているのを感じた。
最近は巣鴨に若者や外国人の観光客も多く見かけるようになってきた。特に4の日(4日、14日、24日)は縁日の様にたくさんの出店がずらりと並んでアンティークの小物や雑貨屋で賑わう。まだ巣鴨に行った事が無い人には1度訪れてみるといい場所かもしれない。JR山の手線の巣鴨駅から、この商店街はすぐ目の前にある。少し歩けば六義園もあり老若男女誰でも楽しめる場所だと思う。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

ビブラフォーンの音を聴くと心が落ち着くというか気持ちがいいですね。今週は久しぶりにビブラフォーンのさわやかな音色から始まるModern Jazz Quartetのアルバム"Pyramid"を紹介します。とてもオシャレなジャズアルバムだと思います。

"Pyramid" Modern Jazz Quartet 

1. Vendome
2. Pyramid
3. It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing)
4. Django
5. How High The Moon
6. Romaine

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

画期的な技術の3Dプリンターが話題になっています。3Dプリンターは医療、建築、製造など広い分野で応用でき、たくさんの人が恩恵を受けられると期待されています。しかし、殺傷能力がある銃も作られてしまいます。素晴らしい技術も悪意を持って使われると社会問題になります。産業の発展と平和利用に使ってもらえることを願います。 《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.940

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com