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NO.934           Ryo Onishi              4/6/2014

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雑貨屋のひとり言

先週は自転車に乗る機会がありました。母がお世話になっている病院への訪問はいつもは徒歩ですが、その日は他にも訪問するところがいくつかあったので、駅前のレンタルサイクルショップで自転車を借りました。私の記憶では最後に自転車に乗ったのはおそらく40年以上前だと思います。乗る前はちょっと心配でしたが、すぐに慣れました。水泳と同じで昔、経験したことがあると体が覚えているんですね。桜が咲く街中を自転車でのんびり走るのもいいなあと思いました。道を間違えても気にならないし、バスの時刻を気にすることもありませんから。たいした距離でもないのにバスだと往復420円もしますが、レンタル自転車なら一日の料金は310円ですからとてもお手頃です。小回りの利く自転車がとても便利だと思いました。これから時々利用しようと思います。もちろん歩行者や車に迷惑をかけないよう心掛けたいと思います。≪R.O≫

 

左 脳 と 右 脳 (3)

日本人の脳と西洋人の脳とでは、その機能の一部に明確な違いがあり、西洋人の場合、理性を司る左脳と感性を司る右脳はそれぞれ明確にその役割分担を区別して機能をしているのに日本人の場合は必ずしも西洋人ほど明確ではなく、右脳の感性的機能の一部が左脳で認識されるということは、日本人の脳には「左脳と右脳との間に回路がある」ということで、そのため日本人は理性的なものと感性的なものとを平気で一緒にし「あいまいに処理する」ということを前々回のこの欄で書きました。

日本人が論理よりも義理人情のほうをはるかに重視したり、またよく欧米人から「顔が見えない」、「何を考えているのかわからない」と批判されるのもこの脳の機能の違いが原因の一つなのかも知れません。

ところで日本人のこの「あいまい思考」は、欠点なのか利点なのか。――「論理・分析」重視の欧米型文化から見ればこの「あいまい思考」は確かにファジーであり、必ずしも論理に一貫性がなく、その上「Yes」なのか「No」なのかさえ はっきりしない発想なんてとても受け入れ難いことでしょう。

でも現実には欧米型文化なるが故の問題点・矛盾も満ち溢れていることも事実です。世の中・世界の価値観が益々複雑・多様化されている現代では、「YesかNoか」「白か黒か」、「右か左か」、「0か1か」等、 二者択一を迫る欧米型発想法より、日本的な「あいまい・ファジー発想」のほうが、はるかに現実に通用する考え方ではないかと私は常々思っています。

ただし「あいまい・ファジー」といっても、その前に きちんとした哲学・思想・戦略が必ず明確に存在していることが大前提であり、本当に何だかさっぱりわからない「意味不明」のファジーでは話にならないのは当然です。(どうもこの小文も「意味不明」になりつゝあるかナ)だから私は日本人にとって「あいまい文化」こそ最高の利点であり、21世紀の今日、いよいよ日本的発想・文化に出番が回ってくる時だと考えています。

これまで我々日本人は「あいまい思考」のおかげで、異文化を比較的抵抗なく受入れてきました。これは 所謂「二者択一発想」に縛られ、異文化の受け入れに抵抗感を持つ欧米型に比べはるかに柔軟です。この柔軟さが 理性と感性、物と心のバランスのとれた世の中を創造するのに 重要な役割を果たすものと信じています。私たち日本人は自分たちの文化にもっと誇りを持ってよいのだと思います。

日本人よ誇りと自信を持とう!――といっても他国の文化をけなそうということではなく、世界のあらゆる文化を柔軟に包み込める我が文化に誇りと自信を持とうという意味です。
(注:この欄は 京大名誉教授、岸根卓郎氏「日本人のあいまいアタマが世界を救う」を参照 / 一部引用しました)
 

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


勉強は バイトデートのその後で

マニュアルの通りのお辞儀丁寧語

使い捨て文化とやらのゴミの量

人並みに育ってミニスカとスマホ

子ら育ちみんなスープの冷める距離


( ニュースやぶにらみ )


「大揺れ」

直上型地震です −みんなの党

「写真撮影190枚」

機の名前は傍若=@−無人偵察機

「新虎道路でお目覚め」

ええっドル百円! −マッカーサー


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(322)「花祭りとイースター」

4月8日はお釈迦様の誕生日。この日、お寺では灌仏会(かんぶつえ=お釈迦様の生誕を祝う仏教行事、一般的には『花祭り』)を行なう。翁が子どもの頃、毎年、兄たちと一緒にすぐ近くのお寺の『花祭り』に行ったものだ。花で飾られた花御堂の中に小さなお釈迦様の像が置かれ、お堂の中に用意されている甘茶を(柄杓ですくって)お釈迦様の像の頭にかけ、
♪「甘茶の中からぽっかりとお出になったかお釈迦様」と口ずさみながらお誕生を祝い、後でその甘茶をいただく。何故『花祭り』に甘茶か、を調べてみた。お釈迦様がお生まれになった時、天界の龍王が天空から甘露の雨をそそぎ、それを産湯にした、という伝説による、とされている。日本では江戸時代から甘茶を用いるようになったそうだ。翁は今でも、紅茶を飲む時、子どもの頃の『花祭り』の甘茶を思い出す。

もう30年も前のことだが、たまたま(仕事で)翁が4月の初めにハワイ・オアフ島に行った時のこと、現地の友人から4月8日の“Budha Day”(Hanamatsuri)に誘われたことがあった。ホノルル市のどこの大ホールだったか忘れたが、日本からハワイに進出している全ての仏教(宗派)が一堂に会しての『花祭り』、宗派ごとに”釈尊生誕讃歌“(お釈迦様の生誕を祝う読経)のあと、コーラス、踊り、楽器演奏、寸劇など、さまざまなパフォーマンスを行なう一大イベントであった。後年、米本土は勿論、ブラジル、パラグアイ、ペルー、コロンビアなど南米の日系人社会を中心とする仏教界でも4月8日に『釋迦誕生節』(花祭り)が行なわれることを知った。

ところで、お釈迦様の生誕には数々のエピソードが伝えられている。“甘露の雨”もそうだが、もっと有名なのが、誕生して直ぐに7歩あるいて(天上天下を指差し)「唯我独尊」を唱えた、という伝説だ。翁は若い頃(学生時代)、この言葉を誤解していた。“天地、霊界において、唯一、我こそが尊いのだ”(何という不遜な言葉か)と思っていたら、とんでもない間違いであったことを(社会人になってから)ある仏教関係者に教えられた。即ち、
「天上天下唯我独尊」とは“天上界・下界・霊界を問わず、生命(いのち)ほど大切なものはない。このかけがえのない生命の尊さと、我々人間が果たさなければならない尊い使命を自覚しなければならない」という意味であったのだ。

更に、興味深いエピソードがある。お釈迦様のお生まれは、今から約2600年前、インドのヒマラヤの麓に存在した小さな国。お母様のマーヤ(摩耶)様は、ある夜、白い象が空から舞い降り、自分のお腹にすーっと入る不思議な夢を見た。それは王子様(お釈迦様)の誕生を知らせる夢だった。産み月が近づいたのでマーヤ様はご自分の故郷へ帰ることにした。その旅の途中、美しい花園で休憩をしていた時、突然、男の赤ちゃんが産声を上げた。その時、龍王が甘露の雨を降らせ、王子の体をきれいに洗い清めた。すると王子はすっくと立ち上がり、7歩あるいて天と地を指差し(前述の)「天上天下唯我独尊」と言ったのだが、(このように書いているうちの)翁は何故か、お釈迦様とイエス・キリストの共通点に興味が注がれる。

かなりのこじつけになるかもしれないが、まず、お釈迦様のお母様・マーヤ(Marya)様と、イエス・キリストのお母様・マリア(Mariya)様は文字の綴りも聴音もほぼ同じ。それにマーヤ様は空から舞い降りた白い象がお腹に入り込んだことによって(王子=お釈迦様を)懐胎したことを知らされ、マリア様は、聖霊がお腹に入り込んだことによって(キリストを)懐胎したことを知る。即ちマーヤ様の身ごもりとマリア様の“処女受胎”は、どこか相通じるような気がしてならない。

多くの宗教学者たちは、かなり昔からお釈迦様とイエス・キリストの共通点研究を行なって来たそうだ。例えば、お釈迦様は難行を重ねた末に35歳で悟りの境地に達し、インドの各地の山、川辺、街中で説法を行ない、多くの羅漢(悟りを開いた高僧)を多数、世に送り出した。そのお釈迦様の道徳説法と、500年後、キリストが行なった“山上の垂訓(さんじょうのすいくん)”は、極めて類似性が強い。“山上の垂訓”とは、キリストが山上で弟子たちと群衆に語った道徳説法のこと(“山上の説教”とも言う)。そして、決定的共通点は、お二人とも“人間をはじめ生き物の生命(いのち)の尊さを知り愛すること、自然界に対して畏敬の念を持つこと、己れを取り巻く全てのものに感謝の心をもつこと、などを謳っている点である。宗教学者でもない翁が、このようにお釈迦様とイエス・キリストの共通点を無理やりこじつける論法(駄文)は、仏教・キリスト教関係者に不快感を与えるかも知れないが、百花繚乱の季節、浮き浮き気分の陽気に免じて許されよ。

4月8日は釈尊誕生の『花祭り』。一方、(2014年)4月20日は『イースター(復活祭)』。
イエス・キリストは金曜日の昼頃、十字架を背負わされたまま息を引き取られた。ご遺体は翌日の土曜日(安息日)に弟子たちの手で埋葬された。3日目の日曜日の朝、夜が明けるのを待ちかねてキリスト信奉者たちは墓地に向かった。ところが、驚いたことにお墓は空っぽだった。キリストは堅い殻(墓石)を打ち破って甦った(復活した)のだ。『イースター』にはタマゴが付きものだが、それは“堅い殻(墓石)破り”に起因するそうだ。ともあれ、時は清明(清浄明潔)期、清々しく美しい季節、生命が息吹く季節、この時期こそ我々凡人も、釈尊やキリストが説いた生命の尊さに思いを馳せてみようではないか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

1941 日系アメリカ人と大和魂

この数年の間、日本に頻繁に帰るようになって何だか日本という国が遠くなってしまったな〜という感じがしてならなかった。それは単に日本で以前より外国人をたくさん見かけるようになったとか、あちこちで英語やハングル文字や中国語で書かれた案内を見かけるようになったからと言うだけでなくどこか本来の日本でなくなってきてしまっているような気がしていた。そして外国に住み始めてから改めて自分は日本人なのだという事を認識させられる事が度々あった。このロスアンジェルスはニューヨークと同様に様々な国の移民の人が一緒に住んでいてあらゆる国の文化や食やものの考え方の違いに触れる事が出来てなかなか面白い街である。そして日本の伝統文化や芸術の素晴らしさを逆に外国人から教えられたりしてそれが自分にとって新鮮な驚きだった。以前、LAの日系の会社に勤めていた時に会社のI.T.を任されている人から日本の技術力に関して尊敬の言葉を聞かされた。外国人は日本人の文化や食が好きなのだな〜と単純に思っていたが南米の人も日本人が好きでハポネ(日本人)ハポネと笑顔で寄ってくるらしい。南米が好きで何度も南米に行っていた友人が世界中で活躍している日本人は案外多いのだよと言っていた。あまりTVや新聞では取り上げられていないようだが…それと同じように日系アメリカ人の存在も今まで日本では殆ど知られていなかったし歴史の教科書にも全く登場してこなかった。だから当然知らなくて当たり前なのだが最近はすずきじゅんいち監督がLA滞在中に作られた日系人を取り上げた3本の映画を通して徐々に日本人の間でも日系人の存在が知られるようになってきた。数年前にすずき監督の映画が日本で受賞されたのを知ったのは、日本で、ちょうど友人とTVを見ていた時だった。
考えてみるとアメリカに、まだ遊びに来ていたころに知り合った女性の旦那様が自費出版したという本を借りて読んだことがある。その本は第2次大戦中、祖国日本と戦わなければならなかった秘密情報部員の彼の実話本だった。彼女の家に行くと旦那様はパイプの煙の向こうでロッキングチェアーに揺られながらいつも静かに本を読んでいた。日本からアメリカに嫁いだ彼女は朗らかで良くしゃべる人だったけれど旦那様は無口な人だった。もう20年以上も前の事だ。今思えばすずき純一監督が2012年に作られた映画 “2つの祖国 日系陸軍情報部M.I.S.(ミリタリーインテリジェンスサービス) にも出てくる秘密情報部員の日系人部隊の一人だったのだと思う。
私がLAで仕事を始めた頃1996年頃だったか“ゴーフォアブローク”(あたってくだけろ)という変わった名前の会社からの依頼で見積もりを届けに行った事がある。その時に見た会社の額縁に飾られた大きな写真が今思えばあの “442日系部隊関連のオーガニゼーションだったのだ。442部隊と言うのは第2次世界大戦の時にアメリカで生まれた日系2世の日本人で作られた部隊なのだ。当時人種差別の激しかった頃、日本人の血が入っているというだけでスパイ容疑をかけられ日系アメリカ人は皆、強制収容所に入れられた。その中でアメリカに忠誠を誓うために収容所から進んで志願しアメリカの為に戦う日系部隊として入隊していった若者がたくさんいたという。これもすずきじゅんいち監督の映画
2010年に作られた “ 442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍 ”という映画に詳しく出ている。そして2008年にすずき監督が作られた “ 東洋宮武が覗いた時代 ”その時代とは第2次世界大戦中にアメリカに住む日系人が強制的に入れられた収容所の中でひそかに写真を撮り続けたカメラマンの実話だ。これも偶然なのだが仕事で東洋宮武氏のご長男のオフィスを訪れたことがある。何かのきっかけでパロスバーデスにあるガラスの教会と船の上の結婚式の撮影でお手伝いを2回ほどさせて頂いた事があった。その長男の方が撮ってくださった写真は今でも日本の家に飾ってある。その時に初めて東洋宮武氏の存在を知った。 今回読んだ、すずきじゅんいち監督の “ 1941日系人と大和魂 ” という本にLAで作られた3本の映画のエピソードを交えながらアメリカ暮らしの生活が監督の目線で書かれてある。その本を読んでノーノーボーイという存在も初めて知った。少し前にお会いしたある日系2世の人は青年だった頃、戦争中に収容所に入っていたが彼は母親との約束を守って442部隊には志願しなかったと言った。彼がそのノーノーボーイだったのだ。その時442部隊に志願した人も収容所で過ごすという選択をした人も、どちらも辛かったと思うし、そのどちらが良くてどちらの方が正しいという事も無かったと思う。以前、何度かこの雑貨屋のコラムで日系2世の方についてエッセイを書いたことがあったが今回日系2世と言われる人の中に帰米2世(アメリカで生まれて日本で教育を受けた人が再びアメリカに戻ってきて住んでいる人)とも接する機会があった。日系2世の人は殆ど英語でお話しされるので通常は英語で会話する。そして両親の祖国である日本には1度も行った事が無い人も多い。でも、そのどちらも戦前教育を受けたご両親から育てられているので皆、とても優しい人が多い。その優しさがどこか懐かしさを感じる暖かさなのだ。古き良き日本の面影が日系の方々の中に残っている。時々日系の人が話す英語に交じって日本語で “やれ、やれ” とか “ しょうがない ” 仕方がない“ と言う言葉を聞く。ご両親が良く言う言葉を聞いて育ったのだろう。そこにいろんな思いが込められているようで何だかちょっと和む気持ちと辛くなる気持ちが入り混じって複雑な思いになる。
この数年、日系2世の人のから直接、戦前、戦中、戦後の話を聞く機会があった。写真を見せてもらったりしているうちに彼らの激動の人生に興味を持つようになった。日系3世やそのお孫さんなどは今の時代以外あまり昔の時代には興味を示さないので誰も熱心にそんな過ぎた話などに耳を傾けないのだ。だけれども、日本から来た私には、どの話も小説になるような真実の話なのだ。先日2世の人の家を訪問したら、おしゃれな火鉢があった。私も昔、子供の頃に祖母の家で見た記憶がある。
”あら珍しい、これはどうしたのですか?”と聞いたら ”母がくれたのよ。飾りとしてただ置いてあるのよ 

”と。見たら中に靴が入っていた。彼女は米国で生まれ育ちあまり日本の事は知らない。亡くなった旦那様は442部隊だったらしくメダルを見せてくれた。
もう一人の女性はシアトルで生まれ5歳の時に鹿児島に帰り女学校を出てすぐに親の薦めで見合いをしてアメリカで仕事をするのだという男性に嫁いだという帰米2世の女性。泣く泣く親や兄弟と別れ横浜から船で2週間かけてアメリカに来たと言う。父親が“若いうちにちょっとでもいいからアメリカを見ておくといい”という言葉に騙されてちょっとのつもりが長くなってしまったと笑って言った。そして1938年当時の結婚式の写真を私に見せてくれた。(彼女の承諾済みのその頃の美しい花嫁姿の写真も紹介させ

ていただきます。)
その後、第2次世界大戦が始まってしまい、まだ幼かった長男を連れて旦那様と2か所の収容所を移動した。彼女に“Kさんの故郷はどこですか?”と聞いたら”鹿児島です“と即答なさった。お体が不自由になってきてなかなか日本に住むご兄弟に会う機会が作れないでいるらしいが最近いつも夢に見るのは昔の懐かしい鹿児島の風景だそうだ。
ここアメリカで暮らしている日本から来た私も含め戦争を知らない人の中には日系人の歴史に関してそんな事があったのだという程度であまり関心を持たない人もいる。
でも、自分が日本人だと思うのなら、やっぱり、こういった事を知るべきだと思う。
すずき監督の1941日系人と大和魂という本の表紙を開くとこのような言葉が書かれている。 “日系アメリカ人を論じることはアメリカをそして日本を語る事なのだ “と。
今、歴史を直視せよとか、歴史の事実を認識せよなどと他国から言われている昨今すずき監督の映画や本に触れるにはいい時期だと思う。
そこから何故日本が負けるとわかっていた戦争に向かわなければならなかったのか、あの戦争を起こさせた原因は何だったのだろうか、あの時、他に戦争を避ける選択技はあったのだろうか、今こそ今後の日本の未来の子供たちのためにも徹底的に明らかにしてほしいと思う。本当の過去を知らなければ未来への舵とりも出来ないし、方向も定まらない。それは2度と同じ過ちを犯さない、はめられない為でもあるのだ。だから私たちは知らなければならないのだと思う。勝戦国が負けた国を裁いたり自分たちの都合のいいように歴史を作り変えたりする事が正当化される時代はこのへんでピリオドを打ってほしい。幸いに今はネットでかなり的確な情報がつかめる。かく乱させる為の嘘の情報も同じく出でているけれど必ず嘘は,ばれるし、そのスピードも速くなってきている。
だからなおさら、このタイミングで、すずき監督の3本の映画が世に出たという事が、ただの偶然だとは思えないのだ。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今年は消費税がアップした日が4月1日だったのでエイプリルフールがあまり話題にならなかったですが、毎日報道されている事件や犯罪のニュースはまるでエイプリルフールのジョークみたいなものがたくさんあります。曲探しに悩んだのでエイプリルフールという名の曲があるかと調べたら阿川泰子の"Close To You"というアルバムの中に"The April Fools"がありました。
今週も女性ボーカルジャズで行きます。久しぶりに聴く阿川泰子も良いなあと思います。

"Close To You" Yasuko Agawa

01-This Guy's In Love With You
02-Making Live
03-What The World Needs Now Is Love
04-The Look of Love
05-I Say A Little Prayer
06-Make It Easy On Yourself
07-Don't Go Breaking My Heart
08-I'll Never Fall In Love Again
09-The April Fools
10-Close To You

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

桜の花が街中に咲いています。一年に一度のこの光景はやっぱりいいですね。心が和みます。
ポカポカ陽気から一転して、寒くなりました。あわててコートを出してきている人もいるのではないでしょうか?体調を崩さないように注意したいものです。
値段表示が税抜き価格になっています。しばらくは買い控えがあるかもしれませんが、それもすぐに慣れてしまうでしょうね。《R.O.》


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Zakkaya Weekly No.934

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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