始発駅などで誰も乗っていない電車に乗るとき、最初の乗客は一番隅の座席に座り、次の人は最初の人の連れか知り合いでない限り、一定の距離をとって座るのが普通です。また、空席のあるカウンターでも他人から離れた隅の席にすわったりします。
特に初対面の人が身近にきたら、身構え、不快な気分になります。相手と自分との距離が縮まっていく中で、どこかのタイミングで「あ、これ以上近付かれるとちょっと嫌」というところがあるものです。
見えないけれど確かに自分の周りにある、他人に侵入されると不快感や抵抗感を感じ、たとえ何もない空間であっても、あたかも自分の身体の一部とも意識させる私的空間(身の周りにある縄張りのようなもの)をパーソナル・スペースというのだそうです。
パーソナル・スペースの範囲は、その人の性格や相手との親密度などによって大きく異なり、相手が家族・恋人など親密な関係にある場合は限りなくゼロに近いのですが、そうでない場合はどうしても一定の距離を保つ必要があるようです。
アメリカの文化人類学者のエドワード・ホールは、相手によってパーソナル・スペースを4つに分類(さらにそれぞれを「近接相」と「遠方相」に細分化)しています。
1、密接距離(intimate distance):0cm 〜 45cm、身体に容易に触れることが出来る距離。
家族や恋人などとても親しい関係の人以外がこの距離に近付くと強い不快感を感じる。
2 個体距離(personal distance):45cm 〜
120cm、二人がお互いに手を伸ばせば相手に届く距離。友人との個人的な会話で取られやすい距離。
3 社会距離(social distance):120cm 〜
360cm、身体に触れることができない距離。あらたまった場や仕事の上で上司と接するときに取られる。
4 公衆距離(public distance):360cm以上、講演会や公式な場での対面のときにとられる距離。
東日本大震災では多くの方々が被災され、避難所生活を余儀なくされました。現地の学校や公民館などで不自由な毎日を過ごされている皆さんの様子がテレビや新聞で報道されていましたが、最初は被害の大きさに呆然とし、寒さや空腹を克服するだけを求めた人たちも、避難所で落ち着きを取り戻すにつけ、パーソナル・スペースが確保されない苛立ちが出てくることは当然の成り行きです。
些細(ささい)なことで避難者間、また避難者と行政、ボランティア間でトラブルになるケースも出ているようです。毎日知らない同じ相手と顔を合わせていたのでは、疲労が増し、精神、肉体両面での疲労が増します。避難所の生活は一日か二日ならともかく、長期間となればストレスがたまらない人はいません。人間として最低限のスペースとプライバシーが保障される空間の確保なくして避難民救済はありえません。
ところで、最近、路上での「歩きスマホ・携帯」に夢中になっている人を見かけることがあります。画面に集中するあまり、周囲への注意力が散漫になる危険な行為です。このような人は上記パーソナル・スペースとは別の自分だけの世界があるのでしょうか。
携帯を使っていた乗客がホームから転落したケースが2011年度に日本で18件もあったそうです。また、先日、東京都内の踏切で男性が携帯使用中に電車にはねられ死亡したと報じられていました。
スマホや携帯の意味と意義について考えてみる必要がありそうです。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |