ナイトクルーズ
今年は涼しい夏だったと思ったら、いきなり9月に入ってから気温が上がりロスにしては珍しく湿気も高くなってベタついた陽気になった。それでも夕方頃には窓を開けると涼しい風が吹いてきて寝る頃はクーラーなど要らない。そう言えば、このところずっとサウスベイのハイキングもご無沙汰しているな〜と思っていたらハイキンググループの1人からメールが入った。今年83歳になるお誕生日をサンペドロの港に置いてある自分の船の上でやりたいので定例ハイキングの日に来ないかというメールだった。
集合場所はいつもハイキングがスタートするサンペドロの山手の方。そこからいつものように歩いて下の港まで降りて行きそこから彼の船で湾をグルリと一回りするのだそうだ。最近は暑い日が続いていたので海の風に吹かれて涼むのもいいな〜と久しぶりに定例ハイクに行ってみる事にした。そのイタリアのお爺ちゃんの船は今度で3回目、その船で以前友人とカタリナアイランドにも連れて行ってもらった事がある。とにかくイタリアン人気質そのもので陽気で明るいお爺ちゃんだ。でも、お爺ちゃんと言ってもそのへんのお爺ちゃんとは違う。今でも朝2時半に起きて最低2時間の散歩はかかさないらしい。それから自分のオフィスに行って仕事をするというのだ。夜は日が暮れたら寝るという生活で遅い日でも9時には寝てしまうそうだ。20歳からスタイルも全く変わっていないらしくGパンのサイズも同じだそうだ。10人兄弟のうち半分は亡くなって残っている兄弟もあっちが痛い、こっちが痛いと皆、病気持ちだそうで、こうやって毎日ハイキングをしているのは自分ぐらいでそれが健康維持に繋がっていると話し
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ていた。昔はツイストダンスコンテストで優勝した事もあるそうでサルサダンスも大好きで船を運転しながら音楽に合わせて楽しそうに体を動かしていた。彼の家族は昔イタリアからきた移民だそうでサンペドロで漁業を営んでいたそうだ。第2次大戦前はサンペドロにあるターミナルアイランドには3000人もの日本人が住んでいて漁業を中心に缶詰工場や貝ボタンを加工する工場や商店や神社、温泉のあるホテルまであったそうだ。夕方からは日本人の男たちが地引き網を引きながら唄を歌っていたそうで今でもそれを覚えていると訳のわからない日本語をコミカルに模倣してジェスチャーを交えて歌ってくれた。
そんな時代もあったのだな〜とその時代に思いをはせながら今は亡きターミナルアイランドを見つめてボ〜と灌漑に耽っているうちに1時間半のクルーズは終わった。ここロスアンジェルスは日系人の歴史が沢山ある所だが、あまり日本に住む人には知られていないかもしれない。歴史を紐解くとたくさんの発見と感動がある。歴史は戦争に勝った者によって都合のいいように作り変えられ都合の悪い事は蓋をされてしまう事が多い。このターミナルアイランドの事も実際ここで生まれ育った日系人のお爺ちゃん、お婆ちゃん達[生き証人]から直接聞いて益々興味を持った。
河合さんのコラムにもターミナルアイランドを紹介した記事があるがいつか機会があれば、日本人の人には是非ここにも訪れて欲しい場所だ。
茶子 スパイス研究家 |