龍翁余話(274)「春のSL列車に乗る」
10数年前に、静岡の友人家族と一度だけ大井川鉄道SL列車を追いかけて大井川沿道を車で走ったことがある。情けないことに、どこからどこまで走ったか、その時、SLに乗ったのかどうか、全く記憶にない。翁、かつてはそれほどの“鉄道マニア”ではなかったのだが、2009年の春、埼玉県大宮市にある鉄道博物館を見学した折、そこに展示されているSLに、何故か“懐かしさ”愛おしさ“を感じた。それは多分、ほのかなノスタルジア(郷愁)だろう。そのことを『龍翁余話』(75)「鉄道博物館」(2009年4月5日配信)に書いた。冒頭部分を抜粋する。
≪“汽車“が大好きな4歳くらいの男の子がいた。その男の子は、小さな駅の改札口を潜り抜け、プラットホームの先端に座り込んで”怪物“を待つ。やがて、モクモクと煙を噴き上げながら黒光りの”怪物“が迫って来る。男の子はドキドキしながら「負けるものか」と、歯を食いしばってその”怪物“と対峙する。乗り降りの少ない乗降客を見届けてから”怪物“は、いきがっている男の子を無視して「ポー」の一声を発し、ひときわ大きな煙と蒸気を吐きながら、ゆっくりとホームを離れる。その時、男の子は”怪物“を追い払った、という勝利感と同時に、なぜか、離れがたい寂しい思いをする。プラットホームには”怪物“を見送った駅長と男の子だけ。駅長が男の子に優しく声をかける「坊や、また、おいで」・・・≫
それから随分と時は流れ、男の子は年老いて翁となり、今、大井川鉄道・新金谷駅のプラットホームにいる。あの“怪物”と対峙するのではなく、懐かしむために・・・
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大井川鉄道「新金谷駅」とプラットホーム |
SL「C11 227」 |
昨年6月に配信した『余話』(235)「鎌倉・紫陽花巡り」と今年の正月に配信した『余話』(260)「余生の在りよう」でご登場いただいた旧友A・Mさん(元・某美術大学教授)が主宰するスケッチの会の皆さんのお誘いで『春の大井川SL列車と家山桜トンネルの旅』(JTB主催の日帰りツアー)に参加した。去る3日、前夜からの雨がまだ降り続く肌寒い朝6時半に東京駅集合。ツアー参加者は合計40人、スケッチの会が翁を加えて(男性ばかりの高齢者)8人、他の参加者はほとんどシニア夫婦、一組だけ小学生連れの中年夫婦がいた。いきなり添乗員からお詫びの挨拶「家山の桜トンネルはもう“葉桜トンネル”になっています。申し訳ございません」、「多分、そうだろうと思っていた。今年の天候では仕方ないよね」参加者は、みな寛大だ、と言うか、翁と同様、桜よりSL目当ての人が多いのだ。東京から“こだま”で三島、三島からバスで新金谷駅、新金谷駅は大井川鉄道の拠点駅、SLの始発・終着駅でもある。
新金谷駅から家山駅まで(約30分)翁たちが乗るSLは『C11 227』。C11形蒸気機関車は1932年(昭和7年)に設計されたタンク式蒸気機関車。『C11 227』は1942年(昭和17年)製造の、大井川鉄道の動態保存SLの第1号。全国のSL復活の先駆け的存在だそうだ。当然のことだが点検・修理は極めて慎重で、かなりの時間をかける(写真左)。出発前の運転士に「SLの運転士になるまでの年数」を訊いた(写真中)「駅員、車掌をそれぞれ1〜2年経験して電車運転免許を取得、2〜3年運転経験の後、SL機関士試験を受ける。同時にボイラー技士試験にも合格しなければならない。つまり一人前のSL運転士になるには平均6〜7年かかる」とのこと。『かわね路』号(写真右)という客車もまた古い。大井川の根(沿路)を走るからその名が付いた、と勝手に解釈。さ、いよいよ出発・・・
背もたれが真っ直ぐで向かい合わせの座席、勿論、冷暖房はない(写真左)。大井川は幅が広く(平均約1.5キロ)古くから水量の豊富な河川だったので、徳川幕府はこの川を江戸城防衛の自然の要害として架橋、渡し舟を厳禁、大名、庶民を問わず大井川を渡る際は馬や人足を利用した。♪箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川・・・と詠われたほどの東海道屈指の難所であった。車窓から眺める大井川は、かつてのような荒々しさはなく、広大な河原を縫って流れる“蛇行曲がり”に見入った(写真中)。家山駅で本日のSLツアーは終わる。この駅構内(写真右)で、映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影が行なわれたそうだ。線路に今にも老鉄道員(主演の)高倉健が現われそうな雰囲気だった。
家山駅で静かに休息するSLは、その昔“男の子“が対峙した”怪物”ではなく、翁に心地いい思い出を運んでくれた“郷愁列車”であった。実に愛おしく、いつまでも離れ難く去り難く「また会おうぜ」と語りかける翁であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |