龍翁余話(273)「125年目の春、新生なった銀座・歌舞伎座」
去る3月27日(水)、東京・銀座の歌舞伎座新開場記念“GINZA花道”パレードの模様はテレビ中継で日本中に紹介された。江戸消防記念会の木遣り歌と纏組の先導で、ベテラン・若手(合わせて)63人の歌舞伎俳優による“お練り”は壮観そのものであった。歌舞伎座の歴史を追ってみると1889年(明治22年)、東京・木挽町(こびきちょう)に初代歌舞伎座が誕生する。木挽町とは東京中央区銀座にあった地名で江戸時代からの歌舞伎を中心とする劇場街であったとか。その初代の歌舞伎座は1921年(大正10年)に漏電火災で焼失、2代目の再建工事中に今度は関東大震災に見舞われる(1923年=大正12年)。3代目は1925年(大正14年)にオープン。しかし1945年3月10日の東京大空襲で半焼、戦後6年経った1951年(昭和26年)に復興した建物で4代目の開場式(こけら落とし)を行なう。そして2010年(平成22年)4月30日、老朽化による建て替えのため一時閉館、そのことは『龍翁余話』(126)「歌舞伎座さよなら公演」に書いた(2010年4月20日配信)。早いものでそれから3年、2013年(平成25年)“世界に誇る劇場空間歌舞伎の殿堂(5代目)歌舞伎座”のこけら落とし公演が4月2日から始まった(こけら落とし公演は、来年3月31日までの1年間続く)。歌舞伎座誕生125年目の春から伝統の継承と新たな創造の時が刻まれる。
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2010年4月、解体直前の歌舞伎座(4代目) |
2013年4月、新装歌舞伎座(5代目) |
翁、早速(開場の前日)4月1日に新装なった歌舞伎座(建物)見物に出かけた。外観は3年前までの4代目のそれとほとんど同じ桃山形式のデザインだ。それもそのはず、長年の歌舞伎座ファンや銀座通り連合会など歌舞伎や銀座を愛する人たちの熱望に動かされ、施主の松竹株式会社は“4代目の精神を忠実に復元する”ことをモットーに建設に取り組んだ(とのこと)。したがって外観ばかりではなく内部も4代のデザインや具材を生かして再現したらしい。残念ながら翁はまだ劇場内に入っていないので、この目で確かめた訳ではないが(歌舞伎座の資料によると)舞台、廻り舞台、花道の広さ・長さなども前歌舞伎座の規模を踏襲している。ただ、バリアフリー化や災害時の避難拠点となるための工夫が施されていることや、客席数を60席減らして(1808席)座席の幅を3cm広くしたり前列との間隔も6cm広めて、ゆったりと芝居を楽しむことが出来るようになったことや、フロアーに勾配をつけて後方からも見やすくした、などの改良点が随所に見られるとのこと。更に従来のイヤホーンによるガイドに加え、前の座席の背に掛けるポータブルタイプの(数カ国語の)“字幕ガイド”の貸し出しも予定されているとか、これなら外国人ばかりでなく、あの難しい歌舞伎独特の台詞回しも理解されて若い層の歌舞伎ファンが見込めるのでは、と歌舞伎座では期待を膨らませているそうだ。
さて、歌舞伎座自体の外観は確かに4代目の意匠を踏襲して“桃山文化”を漂わせているが、その背面にバカでかい近代ビルが建っている。“歌舞伎座タワー”という高さ145m、地上29階、塔屋2階、地下4階の商業ビルだ。土地の有効(経済)活用を考えれば仕方のないことだが、翁には新旧チグハグ感が拭えず遠景は見たくない(写真左)。しかも「あのビルは、まるで墓石だ」と言う人もいる。なるほど旧歌舞伎座閉場(2010年4月)以降、中村富三郎(2011年1月)、中村芝翫(同年11月)、中村雀右衛門(2012年2月)、中村勘三郎(同年12月)、市川団十郎(2013年2月)が逝った。これほど短期間のうちに歌舞伎界の重鎮が相次いで世を去ったので「何らかの呪いではないか」と囁くネット雀たちがいるそうだが、勿論、翁は、そんな因縁話には乗れない。故人たちは、どれほど新装歌舞伎座の舞台に立ちたかった(演じたかった)だろうか、そう思うと背面のタワーには今後の歌舞伎界の発展を見守ってくれる先人たちの霊が宿り、残された歌舞伎関係者はこれら先人への慰霊と感謝、敬愛の情を深める
“祈りの塔”と位置づけ、一層の歌舞伎発展に努めるがよかろう・・そんなことを考えながら歌舞伎座タワーのエレベーターに乗った。
歌舞伎座タワーの5階に、庭園や歌舞伎の衣装や小道具、写真などが展示されているギャラリーが設けられているとかで上がったのだが、ギャラリーは4月末にオープン、庭園はわざわざ見るだけの価値はない。ガッカリしながら4階に降りた。4階の廊下に展示してある『国性爺合戦』(こくせんやかっせん=近松門左衛門作)のステンドグラス(写真中)に足が止まった。これは見応えあり。少しばかり満足したところで地下に降りた。そこは“歌舞伎座ムード”がいっぱいの広場(写真右)、手頃な値段の食堂(数軒)や土産店、コーヒーショップ、コンビニまで入っている。この広場は都営地下鉄浅草線・東銀座駅に直結している。翁の住む西五反田(戸越)から都営浅草線で20分、今までも時々は銀座に出かけているが「ちょっと銀座へ」が、ますます頻繁になりそう。近いうちの“こけら落とし公演”の観劇を楽しみにしている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |