龍翁余話(270)「春爛漫!北の丸公園」
暑くなったり寒くなったり“春一番”のあと台風並みの“春の嵐”に見舞われたり、毎年こんな天候だったかな?と思い返すが1年前の天候のことなんか思い出せない。だから、つい「年々天候が不順になる。やはり地球温暖化のせいだろう」と、世間並みのことを言って1人で合点する。そうかもしれないが、翁の場合は、地球温暖化について、たいして科学的・環境学的な知識があって言うのではなく、ただ、漠然と(世の中で言われている)地球温暖化を口真似するだけ。それにしても先日来、暖かい日(いや、汗ばむ日)が続いたので、冬物から春・夏物に衣替え(準備)をした途端、いきなり寒さがぶり返した。冬物ケースに仕舞い込んだセーターや、せっかく手入れをして(ビニール袋に包んで)物置に仕舞い込んだガス・ストーブを、また引っ張り出した。街に出ると、冬物、春物(夏物)の服装がマチマチ。これは地球温暖化とは関係なく、例年のシーズン的特徴だろうが・・・

先ごろ、東京や九州ほか各地で季節外れの夏日を観測する日が数日続いた。それが大きく影響したのだろうか、福岡と宇和島で13日に桜が開花した。今年の桜(ソメイヨシノ)の開花日と満開日は、九州、関東甲信地方は平年より1週間以上も早く、3月下旬には花見のピークになるとのこと。左の写真は福岡市在住の友人Fさんから送られた大濠公園内の“一番桜”。立て続けに青梅市(東京)在住の友人Kさんから皇居に隣接する“国民公園”北の丸公園で今が盛りの河津桜、トサミズキ、コブシの花の写真が送られてきた。実は今週号の『龍翁余話』のテーマ、何にしようか考えていた矢先、偶然にもFさん、Kさんから“旬題”を頂戴したわけだ。ならば翁、早速、北の丸公園へ・・・
翁、九段坂側の田安門(写真)から園内に入る。田安門とは――時代劇ファ ンの翁、江戸城および徳川家については多少の知ったかぶりが出来る。江戸城はご存じ室町時代の武将・太田道灌が1457年に築城、1590年に徳川家康が入城して以来、明治(1868年)までの278年間は徳川家の居城とし、1603年に征夷大将軍になった家康が創設した徳川幕府が明治維新を迎えるまでの265年間は将軍家の居城であり武家政治の中枢であった。家康は11男5女の子宝に恵まれた。各々についての詳細は割愛するが、3男の秀忠を第2代将軍に指名したほか、後継者争いや血筋の断絶を避けるため、そして将軍家の支柱とするため“徳川御三家”を配した。9男義直を始祖とする尾張徳川家、10男頼宣を始祖とする紀州徳川家、11男頼房を始祖とする水戸徳川家、いずれも将軍家に次ぐ確たる地位が保証された。初代将軍家康から数えて113年目の1716年に紀州徳川吉宗が32歳で第8代将軍となり(将軍在位約30年間)、新たに“徳川御三卿”を創設した。徳川田安家(吉宗の2男宗武が始祖)、一橋家(吉宗の4男宗尹が始祖)、清水家(吉宗の長男家重=第9代将軍の2男重好が始祖)がそれである。将軍家に後継ぎがない場合、また“徳川御三家”にも後継者を提供する役割を担った。田安邸は現在の武道館一帯に、清水邸は北の丸の東門(現在の科学技術館一帯)にそれぞれ広大な屋敷を構えていた。田安門も清水門も国の重要文化財に指定されており、現在は修復工事中。なお、一橋邸は江戸城の一橋門(現在の大手町1丁目付近)にあったそうだ。
河津桜は(昨年の今頃「三浦海岸の河津桜」でも紹介したが)ヒカンザクラとオオシマザクラの自然交配種で静岡県伊豆半島の河津町が有名。コブシはモクレン科の落葉高木で世界的な花木。早春に他の木々に先駆けて白い花を咲かせる。別名“田打ち桜”とも呼ばれ、農作業を始める目安とされていた。黄色い花のトサミズキは、葉がミズキに似ていて四国土佐で発見されたのでこの名がある。江戸時代から観賞用、庭園樹として栽培されている。
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寒緋桜 |
ヒマラヤザクラ |
寒緋桜は旧暦の正月あたりに咲くので“元日桜”とも呼ばれることもある。東京では翁の近くの荏原神社境内の寒緋桜が有名。ヒマラヤザクラはヒマラヤが起源、インドで多く見られ、海抜1200m以上の高山に生えるそうだ。(花の説明は各樹木の傍に掲げられている説明板より抜粋)。
草花や樹木の知識が浅い翁だが、江戸時代の歴史を追いながらの美しいものへの鑑賞が、いかに心の滋養になるかを改めて感じ、このような環境を創り残してくれた先人や管理してくれる人たち、そして翁に取材行動のきっかけを与えてくれたFさん、Kさんへの感謝がいっぱいの“春爛漫!北の丸公園”散策であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |