前回のこの欄に書いた『ネガポ転換術』で、自らの物忘れ現象を「忘却力の充実」と言い換え、見方によっては自己防衛とも負け惜しみともとれる理屈を展開しました。ただし、「本当に忘れては困る約束、日程などは必ずメモしておくことにしています」と付け加えました。
『大事ならしまうな二度と出てこない』―――全国老人福祉施設協議会の第9回「60歳からの川柳」にこんな川柳が載っていました。これも納得です。また、先日、東京新聞のコラム「筆洗」(電子版)に下記のような文章がありました。(2012年7月5日付)
はっといいアイデアが浮かんでも、それを書き留めなかったため、思い出せないという苦い経験を持つ人は多いはずだ。一瞬のひらめきは、消えてしまうのも、あっという間である。ノーベル化学賞受賞者の福井謙一さんは枕元だけではなく、テレビを見る時も、散歩の時も鉛筆とメモ帳を用意していたという。
「メモをしないでも覚えているような思いつきに、たいしたものはないようである。メモをしないと、すぐに忘れてしまうような着想こそ貴重なのである」(『学問の創造』)。自宅や職場のあちこちに付箋やメモ帳を置き、つまらないアイデアでも、すぐにメモしようと身構えるわが身だ。ノーベル賞学者が地道な努力を重ねていたことを知り、なぜか安心してしまった。(以下省略) |
メモとは記憶のための媒体だけでなく、潜在する能力を引き出す有効な手段でもあるようです。私の場合、週に一度、雑貨屋ウイークリー原稿作成のため、パソコンの前に座りますが、書くべき内容が全部頭の中で整理できていることはまずありません。
「今週はこの件について書こう」と頭の中に浮かんだテーマに先ずタイトルを付け、次に「私はこう思う」と頭で考察し、まずはそのとおり文章にしてみます。ところが、この頭の中だけで考えたことが、必ずしも本当の私の真意ではないと、しばしば気付いたりします。そこで、あらためてキーボードの上で考えながら文章を創ってゆきます。
そうして出来上がった私の文章が、時には最初に頭の中で漫然と想定した内容とはまったく違ったものになっていることもあり、そんな時ははじめに決めたタイトルすら変更せざるを得なくなることもあります。今回のこの文章も最初のタイトルは『ネガポ転換術(その2)』としていたのですが、『メモの効用、はっと浮かんだアイデア』、さらに『もうひとつのメモの効用、頭の整理』へと変更しました。
ノーベル賞学者の福井謙一博士のメモの効用には到底及びもつきませんが、私にとってメモは「物忘れ対策」以外にも「頭の整理」という効用があることを雑貨屋ウイークリー原稿作成時に実感しています。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |