龍翁余話(251)「上野公園で芸術の秋」
前号の“運動の秋”(散歩)に続いて、今号は“芸術の秋“-――

上野公園の脇にある東京都美術館へ『メトロポリタン美術館展』(2013年1月4日まで)を観に行った。メトロポリタン美術館はニューヨーク・セントラル・パークの東側の一画にあり、五番街に面したルネサンス様式の建築は、世界最大級の美術館としての威容を誇り、収蔵品は約300万点を数える。アメリカ(絵画・装飾・彫刻)、古代近東、武器甲冑、アフリカ・オセアニア、アジア、エジプト、ヨーロッパ(絵画・彫刻・装飾)、ギリシャ・ローマ、イスラム、中世、近代、楽器、写真、工芸など17部門に分かれており、全ての部門(コーナー)を丹念に回るには1週間かかる、と言われている。翁はこれまでに2度(1986年と2005年)参観した。1度目はギリシャ・ローマ芸術部門、2度目はヨーロッパ絵画部門、いずれもニューヨークでのロケ(撮影)の合間だったので、それぞれ2時間ていどの見学しか出来なかったが、それでも“芸術の宝庫”に圧倒されたものだ。
その“芸術の宝庫”(の1部)を東京で観ることが出来る、と気持ちを弾ませて上野公園へ行った。翁は、絵画などの芸術にけっして造詣が深い訳ではないが、それでも幾人かの画家の名前と彼らの代表的作品数点は知っている(それは現役時代、海外取材の合間に暇つぶしにあちこちの美術館・博物館を巡って“にわか学習”をしたから)。例えばゴッホの『糸杉』(数点ある。ポスターの絵は『二本の糸杉』)、『ひまわり』(これも数点ある。写真左は『1本のひまわり』)、『アイリス』(これも何種類かある。写真右は『アイリスのある静物』)。
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ほかに『アルルの女』、『夜のカフェテラス』、肖像画や自画像も沢山ある。また渓斎英泉(けいさいえいせん=江戸時代後期の浮世絵師)の『花魁(おいらん)』や歌川広重の名所江戸百景『亀戸梅屋舗』、『大はし あたけ(安宅)の夕立』を模写した日本画(油絵)も残している。そのゴッホと南フランスのアルルで共同生活をしたことがあるゴーギャンの大作『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』、これは長年の貧困と病苦、妻との絶縁などで希望を失い、死を決意して遺書代わりに描いたとされる作品だそうだ(自殺はしなかった)。ほかに『アルルの病院の庭』、『タヒチの女たち』、『マリア礼賛』などがある。“光の画家”と言われたモネの代表作『積み藁』、『ポプラ並木』、“人間派画家”と言われたルノアールの代表作『アルジェリア女』、『バレリーナ』、『ジプシーの女』、『読書をする女』、ミレーの『落穂拾い』、『晩鐘』などもいいが、翁がもう1人、大好きな画家がいる。クールベと言う写実主義画家だ。彼の『女とオウム』、『波と女』、『泉』などは、多くの画家が描いた裸婦絵の中でも最高傑作だ(と、翁は思う)。ところで、美術館や博物館の展示物は“撮影禁止”が常識。当然そのルールを遵守しなければならないのだが、翁、長年の“撮りたいものを盗る”というドキュメンタリー屋の悪癖が治らず、2度目のメトロポリタン美術館参観の時(けっして自慢すべきことではないが)ゴッホの絵(数枚)とクールベの裸婦の絵(数枚)が、いつの間にか翁のカメラに収まり(?)、今や翁の“お宝”としてパソコンに保存してある(上の2点の掲載写真も“お宝”の中から)。
さて、期待に胸をはずませての『メトロポリタン美術館展』参観だったが、何と言う解りにくい展示構成だろう。同展覧会の謳い文句は「古代から現代までの絵画、彫刻、工芸品、写真など全133点を“理想化された自然”、“自然の中の人々”、“動物たち”“草花と庭”、“カメラが捉えた自然”、“大地と空”、“水の世界”の7章で構成している」構成者(東京都美術館の学芸員?)らの一方的な“押し付け切り口”が、多くの参観者を戸惑わせているようだった。好きな画家の絵を(あちこち)探し回る人、場内の照明が暗過ぎて、おまけにキャプション(解説文)の文字が小さ過ぎて、よほど近づかないと読めない。「訳が分からない」「疲れるね」の声が聞こえる。(当日は)シニアが多かったこともあるが、それほど広くもない展示室ごとに用意されている休憩椅子はどこも満員。それほどに参観者を疲れさせる、体力的と言うより精神的疲労だろう。何故もっと、参観者心理を考えなかったか、何故もっと(その作品を描いた当時の)画家たちの思想・時代背景などを大切にしなかったのか、主催者の独り善がりの展示演出に翁、いささかムカついた。
全133点のうち、翁が知っている作品はゴッホの『(二本の)糸杉』、ゴーギャンの『水浴するタヒチの女たち』、ミレーの『麦穂の山:秋』、ルノワールの『ヴェルサイユ』くらい。
先に述べたように“翁は、絵画などの芸術にけっして造詣が深い訳ではない”が、ことさら再認識させられた。翁が、疲れムカついたのは、あながち主催者の“独善的展示演出”に対してばかりではない、どうやら自分の(絵画芸術に対する)造詣の浅さにガックリした(ショックを受けた)ことが大きな理由だったようだ。悔しいから(もっと学習して)来月もう一度行こう、と考えている。翁の芸術の秋は『メトロポリタン美術館展』に始まり、終わるのかも知れない・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |