龍翁余話(250)「“目黒のサンマ”の伝説地を歩く」
今年は有意義な『体育の日』を過ごした。翁(猛暑日や雨天を除いて)ほとんど毎週土曜日にはゴルフに出かけているので、これまで『体育の日』といっても特段、何かをするということもなく、単なる“休日”として無為に過ごしていた(と思う)が、今年の『体育の日』は朝から“運動”を意識した。というのも翁、(以前にも『余話』で告白したことがあるが)3年前の大手術のあとタバコを止めてからというもの、ブクブクと肥り始め、久しぶりに会う友人から「よく育ちましたね」と笑われるほどの完全メタボに成長(?)した。メタボ解消には、バランスのいい食事と適宜の運動(歩き)を、とよく言われるが、いちいち栄養価やカロリー計算など出来ないし、例えば野菜中心の食事を心がけても2,3日で飽きる。運動(歩き)は、夏場は熱中症が怖くて散歩も出来ない。それでもゴルフはする。何という矛盾!それほどに翁はゴルフ好きなのだが、ゴルフは、ボールを打った後、直ぐに乗用カート(電気自動車)に乗って次のポジションに移動するので適宜の運動(歩き)にはならない。ならば、自分で出来る手軽なメタボ解消策は?やはり食欲を抑え、定期的な散歩が一番か・・・
穏やかな小春日和の『体育の日』、ジーパン、半袖シャツにデニム生地のベスト、ズック靴、帽子、それにカメラバッグを担いで午前10時に家を出た。まず目指すは(翁の好きな作家・池波正太郎の『剣客商売シリーズ』に再三登場する)目黒不動尊。いつも車で走る山手通り(環状6号線)の中目黒と大崎広小路(五反田)の間に“目黒不動前”という交差点がある。35年もの間、この道路を走っているのに、まだ一度も参詣したことがない。そこで今日は不動尊(瀧泉寺)参りと、その飛び地境内の墓地に眠る甘藷先生こと青木昆陽の墓、更には『目黒のサンマ』にまつわる伝説地などを訪ねることにした。
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目黒不動尊・本堂 |
龍口から落ちる独鈷の滝 |
史跡・青木昆陽(甘藷先生)の墓 |
我が家の前の中原街道から桐ヶ谷通りに入ると不動尊まで1本道、約30分で着いた。江戸時代、今の目黒一帯は徳川将軍家の鷹狩りの場だった。特に3代将軍家光はこの不動尊を格別に庇護し、鷹狩りの際は必ず参詣したという。本堂登り口の左側に、龍の口から湧水が池に流れる『独鈷(とっこ)の滝』という修行場がある(独鈷とは密教で用いる仏具のこと))。その滝に打たれると病気が治癒するということで江戸庶民の間でも信仰の場所となった。『目黒のサンマ』の逸話も家光と目黒不動尊にからむのだが、それは後に述べるとして、まずは甘藷先生こと青木昆陽の話から・・・8代将軍徳川吉宗に見出された昆陽(儒学者・蘭学者・幕臣)は南町奉行大岡忠相に飢饉対策として甘藷(サツマイモ)の栽培を進言、許可を得て小石川薬園(東京・文京区)、下総国馬加郷(千葉県幕張)、上総国不動堂村(千葉県九十九里町)の3箇所で甘藷を試作、これが大成功して全国に甘藷の栽培が広がり飢饉対策に大いに貢献したという。何故、目黒不動尊の境内に昆陽の墓が?昆陽の遺言らしく、墓には”甘藷先生・青木昆陽“と刻み、生前に建てさせた、との記録がある。なお、毎年10月28日の縁日には”甘藷先生“を偲び『甘藷祭り』が行なわれる。
さて、時代は約130年遡る――鷹狩りに来た3代将軍家光の一行が、とある坂道にさしかかった時、近くの茶屋からまことに香ばしい匂いが漂ってきた。家光が「何の匂いか」と訊くと供侍「サンマという庶民が食する賎しい魚です。上様のお口には合いませぬ」「構わぬ、求めよ」ということで初めて食した焼きサンマの美味が忘れられなくなった家光は以後、魚の話になると「サンマは目黒に限る」と言ったとか。その後、家光は鷹狩りの際は必ずその茶屋で休息をとり、茶屋の老主人・彦四郎を「爺、爺」と呼んで贔屓にしたそうだ。故にこの茶屋は、いつか“爺々が茶屋”と呼ばれるようになり、後世、茶屋の傍の急勾配の坂道は“茶屋坂”と命名された、と(坂の上り口の)木碑に記されている。なお、平成8年から始まった『目黒のサンマ祭り』(毎年9月の第1または第2日曜日)の超新鮮サンマ(5000〜6000尾)は岩手県宮古漁港から無料直送されているそうだ。
『目黒のサンマ』は落語から生まれた逸話だが“爺々が茶屋”は史実。そこで“茶屋跡”を尋ねるべく不動尊から山手通りに出て目黒通りへ、目黒駅近くの権之助坂の途中を左折、“茶屋坂”には辿り着いた。が“茶屋跡”は何処か?重い足を引きずりながら、しつこく尋ね歩くもさっぱり分からない。ようやく田道住区センター(目黒区の会議室貸与施設)のスタッフから「坂下の目黒区2丁目の島村家が子孫」の情報を得て早速その場所へ行ったが見当たらない。茶屋坂の近くに小さな“茶屋坂街かど公園”がある。その片隅に“茶屋坂付近に清水湧く地あり”の石碑が建っている。茶屋には水は付きもの。故に翁(苦し紛れに)そこを“爺々が茶屋跡”と思うことにした。“茶屋跡探し“に夢中になり昼食抜き、休憩なしの3時間歩きはメタボ老人にはかなりの強行軍だったが(帰路は電車)至極元気、気分も秋晴れ、満悦の『体育の日』であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |