龍翁余話(245)「11年目の“9.11”」(拡大版)
2001年9月11日朝(現地時間)の『米国同時多発テロ事件』は『ヒロシマ』『ナガサキ』と同様、何十年経とうが、絶対に風化させてはならない世界的惨劇である。翁は、これまでに2回、2009年9月13日配信の『余話』(96)「8年目の9.11(米国同時多発テロ)」、昨年9月11日配信の『余話』(197)「9.11(米国同時多発テロ」から10年」を書いた。あれから11年、怒り・悲しみを新たに今年もまた筆を執る。
(昨年の『龍翁余話』から1部修正、引用しながら筆を進める)
2001年9月11日の夜、“NHKニュース10”で(関東地方と沖縄を襲い多くの被害をもたらした)台風関連ニュースを視ようと9時半ごろからソファーに横たわっているうちに、いつの間にか寝入ってしまったところへ、突然の電話ベル。時計を見る、22時を少し回った時刻だったと記憶する。「誰だ、今頃」とブツブツ言いながら起き上がって受話器を取り上げる。ニューヨークの友人グレッグ(アメリカABC放送記者=当時)が荒い息遣いで「テレビを視ているか?急いでテレビを視ろ!」と叫ぶ。つけっ放しだったNHKの画面に目をやる。高層ビルが黒煙を吐いている(写真左)。「これは、映画か?」と訊いたら彼「ライブ(ナマの映像)だ!」と怒鳴る。「あ、これはニューヨークのWTC(世界貿易センター)ビルではないか!」翁、ようやく正気に戻った。「いったい、何が起きたんだ?」「分からないが、旅客機が追突したようだ。あっ、また1機が!」(写真中)その映像がNHKの画面に大写しになり、もう1つのノッポビルの上階部に突っ込んだ(写真右)。グレッグが「あっ、これは大変だ!テロだ!」と叫んで電話を切った。この惨事のテレビ放映は日付が変わっても続く・・・
『米国同時多発テロ事件』については、今更詳しい説明は必要としないだろう。ウサーマ・ビン・ラーディンをリーダーとする世界的テロリスト集団アルカーイダのメンバーたちが、2001年9月11日朝(現地時間)、米国内でほぼ同時刻に航空機(4機)をハイジャック、その航空機を使って起こした4つのテロ事件の総称である。ハイジャックされた航空機と犠牲になった乗客・乗員数、及び事件概要は以下の通り。
ボストン・ローガン国際空港発ロサンゼルス行き『アメリカン航空11便』(乗客81人、乗員11人)はニューヨーク・マンハッタン島の世界貿易センター(WTC)ビル(ツインタワー)北棟に突入、爆発炎上。
同じくボストン・ローガン国際空港発ロサンゼルス行き『ユナイテッド航空175便』(乗客56人、乗員9人)はWTCビル(ツインタワー)南棟に突入、爆発炎上。(ツインタワーは南棟北棟とも110階建て、高さ最上階411m、最頂部528m)。
ワシントンDC・ダレス国際空港発ロサンゼルス行き『アメリカン航空77便』(乗客58人、乗員6人)はバージニア州アーリントンにある米国防総省(ペンタゴン)本庁舎ビルの一角に突っ込み爆発炎上。
ニュージャージー州ニューアーク空港発サンフランシスコ行き『ユナイテッド航空93便』(日本人1人を含む乗客37人、乗員7人)はホワイトハウス攻撃を狙ってワシントンDCへ向かうはずだったが乗客たちが勇敢にもテロリストたちに立ち向かい機の奪還行動を起こした。結局、機はワシントンDC北西240km付近で墜落炎上。乗客たちが反撃した際に使った合言葉「Let’s
Roll(さあ、やろうぜ!)」は、その後、アフガニスタン侵攻(“報復戦争”)の時、米軍戦闘機に「Let’s
Roll」と描くなど「テロと戦うスローガン」とされた。なお、(アルカーイダのリーダー)ウサーマ・ビン・ラーディンは、2011年5月2日、パキスタンの首都イスラマバードから約60km北東にある都市アポッターバードの潜伏先で米海兵隊特殊部隊によって殺害されたことは記憶に新しい。
『9.11』の3週間後、翁(前出の友人グレッグのサポートで)ニューヨークに飛んだ。ケネディ国際空港では空前の厳戒態勢。乗客の一人ひとりを厳重にチェックする武装した州兵たちの動きが重苦しい。WTCビル(被災現場)には近づけなかったが、状況はまるで戦場だ。空港と同じように小銃を構えた兵士たちが道路の5、6メートル間隔に立って警戒に当たっている。異様、異臭、緊張がマンハッタン全島を覆っていた。4年後の2005年5月、翁、再びWTCビルの跡地(グラウンド・ゼロ)に立った。広大な爆心地跡の周囲は金網が張られ、随所には供花の山と祈りを捧げる人々、翁も持っていたペットボトル(水)を片隅に供え、亡くなった人たちのご冥福を祈った。グレッグが提供してくれた「9.11」当日の惨劇の現場写真と『The
world is
crying(世界は泣いている)』と題する世界の人々の怒り・悲しみ・祈りの写真(約60カ国の都市の写真=いずれもAP通信社配信)は今でも翁のパソコンの中に大切に保存している。
グレッグが提供してくれた事件当日の現場写真は、どれもが悲惨なスナップ写真(有りのままの瞬間写真)ばかり。あまりにも痛々しいのでここには掲載出来ないが、この1枚(右の写真)だけは、どうしても読者の皆さんに見ていただきたい。
過去に類を見ない卑劣・極悪な組織テロ犯罪『9.11』は、一瞬にして約3,000人の尊い生命を奪った。その犠牲者の1人、数百メートルの高さから飛び降りたこの人の名前も年齢も職業も国籍も分からないが、この人は「いったい、何が起きたのか」を考える間もなく突然の火の海地獄に見舞われ、爆風で外に飛ばされたのか、死を覚悟してのダイビングであったのか、いずれにせよ、空中に飛び出し落下して行く数秒間、この人は、あまりにも短い自分の人生を振り返る間もなく、父母、兄弟姉妹、もしかして妻子、そして友人たちの顔を早回しのプロジェクター(映写機)で投影しながら命を絶った、いや、無残にも殺された・・・壮絶で、あまりにも悲しいこの写真が訴えるものは何だろうか?翁は、11年経った今でも、3,000人もの尊い生命・尊厳を奪い、大勢の人々(犠牲者の遺族や6,300人以上の負傷者)の運命を狂わせた極悪非道なテロリストたちへの怒りを鎮めることが出来ない。この写真をご覧になる皆さんも、翁と同じような感情(思い)を抱かれるのではあるまいか。(下は「世界は泣いている」の一部写真)
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ロンドン(イギリス) |
ベルリン(ドイツ) |
ワルシャワ(ポーランド) |
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ダッカ(バングラデシュ) |
ローマ(イタリア) |
フランクフルト(ドイツ) |
この憎むべき国際テロ集団による“日本攻撃”は幸いにも(今日まで)起きてない。しかし油断は禁物、アルカーイダは以前から米国との同盟国・日本をもテロの標的に名指ししている。現に、アルカーイダのメンバーが日本に不法出入国を繰り返し、イスラム諸国からの滞在者を扇動(洗脳)しているとか。いずれにしても原発・石油・ダム・航空港湾・公共交通機関・日米軍事基地など重要施設への更なる警戒が求められるが、残念ながら翁が知る限り、我が国の危機管理意識は低レベルで机上論が多く体制(組織)も形ばかりだ。担当者(政治家・役人・学者など)が平和ボケした連中ばかりだから、彼らには国際テロが“対岸の火”程度の皮膚感覚しかないのではないか?翁は『9.11』記念日に際し、声を大にして言いたい「国際テロはアルカーイダばかりではない。日本の主権・領土領海を脅かす周辺諸国の覇権行動はアルカーイダ以上の国際テロ行為である」。この先、どの政党の誰が政権を担うか分からないが、まずは東日本大震災(福島原発事故)の復旧復興はもとより、その教訓を踏まえ自然災害への更なる防災・減災対策と同時に、外敵(侵略)への備え(国家防衛態勢の強化)を強く望みたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |