龍翁余話(239)「ナンデモデキル」(拡大版)
ハワイ・オアフ島ワイキキの西側にあるアラモアナ・ショッピングセンターや(かつて故・石原裕次郎さんの豪華ヨットが係留されていた)アラワイ・ハーバー、さらにジョギングやバーベキューなどで賑わう市民の憩いの広場アラモアナ・ビーチパークは、ワイキキ・ビーチ同様、日本の、いや、世界中の観光客に良く知られている名所。その近くに36階建てのコナタワーと、13階建てのワイキキタワー(計1154客室)を有するアラモアナ・ホテルがある。そこの2階の宴会場は、約25年前、翁がプロデュースした『日本・ハワイ文化交流美術手工芸展』(財団法人日本余暇文化振興会主催、日本政府文部省・ハワイ州政府観光局後援)の打ち上げ親善パーティを行なったホール。その懐かしい場所に、今、翁は、ハワイ全島から、米国本土(各州)から、日本から、ある意味深い目的をもって集まってきた百数十人の人たちと一緒に“意味ある時間”を共有している。
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“ある意味深い目的を持った集まり”とは、『TASHIRO(タシロ)OHANA(オハナ=家族)REUNION(リユニオン=再会)』と言う名のパーティである。田代市蔵・ナツ夫婦が大望を抱いて熊本県玉名からハワイに渡ったのは1902年(明治35年)のこと。ハワイは1860年代に砂糖産業が急速に発達、労働力不足から外国人移民労働者を必要とした。特に地理的に近い日本・中国・フィリピンからの移民が急増した。日本人労働者が最初にハワイに渡ったのは正式には1885年(明治18年)、日本(明治)政府とハワイ王国が契約した“官約移民”であったが、1894年(明治27年)にハワイ王国が消滅したため、以後の移民事業は民間会社による“私約移民”。したがって市蔵夫婦は“私約移民”ということになる。市蔵夫婦に限らず日本からの移住者(1世たち)は誰もが一攫千金の夢を見て移住したのだが、多くは劣悪な環境と半奴隷的扱い、それはもう艱難辛苦の連続だったという。日系人移民の苦労を描いた工藤夕貴主演の米国映画『Picture
Bride』(1994年)が思い出される。
さて、田代市蔵・ナツ夫婦がハワイへ移住してから今年で110年になる。子孫には、本流タシロのほかウエムラ、ハマス、ニシムラ、オオトモがあり、その支流にも幾つかのファミリーが誕生した。3世・4世の中には、いろんな国の人と結婚、今や国際的ファミリーの観を呈している。本流タシロの3世たちは1世(市蔵夫婦)や、その子たち2世の苦労を後世に伝えるため、またタシロ・ファミリーの永遠の絆を強め深めるため、5年ごとに開く『リユニオン(再会)』を発足させた。1997年に始まり今年で4回目となる。縁あって翁も2回目の2002年から参加させて貰っている。
実は翁、昨年12月に配信した『龍翁余話』(209)「Dr.フジオ・マツダ氏のこと」の中で、こんな文章を書いた(概要)――ヨーロッパ戦線で勇猛果敢な戦闘を展開した“二世部隊”はアメリカ社会を驚かせ、日系人の米国市民権を獲得する大きな原動力となった。米国の戦史上に燦然と輝く“二世部隊”の活躍を再評価した米国政府は今年(2011年)11月2日、“二世部隊”退役軍人に(米国市民最高位の勲章)『議会名誉黄金勲章』を与えた。その受賞者の1人にタシロ・ファミリーの最古参、ミツオ・ハマスさん(92歳)も選ばれた。翁、来年、お会いする時、その勲章を見せて貰う約束をした――そして今年の『タシロ・オハナ・リユニオン』のパーティで、その勲章を見せていただくことが出来た。
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二世部隊退役軍人に贈られた議会名誉黄金勲章 |
ツルエ夫人から祝福のハグを受けるミツオさん |
ところで、この会の総合プロデュースを担当した本流タシロ・ファミリーの3世ギャリー・タシロが『ナンデモデキル』(You can do
it, If you
try)(アルヴィンS・オカミ作詞作曲)という歌を、本流タシロ・ファミリーのテーマソングに決めた。タシロ・ファミリーは、昨年の東日本大震災以来、積極的に義捐金集めの活動を展開してきた。軍関係の仕事をしているギャリーは被災地の情報を早く具体的にキャッチする立場にいたので、募金活動の呼びかけも素早かった。そのギャリーの娘婿が作者のアルヴィンさんと知り合いだった関係で、アルヴィンさんも(テーマソング使用を)快諾、パーティ会場のステージで『ナンデモデキル』(日本語と英語)の大合唱がこだました。それは実に感動的なシーンだった。異国の地で、異国の人たちが東日本大震災の被災者のために応援歌を歌ってくれている。
♪(歌詞概要)ナンデモデキル 諦めないで 苦しい時でも悲しい時でも 私はあなたの心を知っている あなたはナンデモデキル 頑張って進もう 今こそ真実に向かって歩いて行こう 人生は素晴らしい・・・
“異国の人たち”と書いたが、彼らのルーツは日本人、その血脈が純粋に日本への想いを駆り立てているのだろう。翁の胸に熱いものがこみ上げた。
アルヴィンさん(1944年ハワイ生まれ)はウクレレ・メーカーの社長、作家、シンガーソングライターの肩書きを持つ日系二世。お父さんは愛媛県西宇和郡の出身だとか。だから英語は勿論、日本語の文章も詩も書ける。この『ナンデモデキル』は、最初は子供の絵本と歌をセットにして出版する予定だった。その時、日本の東北で大地震と巨大津波、加えて東京電力福島原発事故が発生し、人々は奈落の底に突き落とされた。そこでアルヴィンさんはこの歌を絵本のテーマソングにすることを止めて、被災地の人々への応援ソングに、と考えた。父親の母国・日本の、暗く、悲しみにくれている被災者を、少しでも元気づけようと『ナンデモデキル』を発表した。そのあたりの考え方が(被災地支援活動を展開した)タシロ・ファミリーと意気投合したようだ。翁、アルヴィンさんと会う約束を取り付けたが翁の帰国日が迫っていたので、日程調整がつかず“次回に”ということになった。なお、サリー・ヨーザさんという有名なクム・フラ(フラダンスの先生)が、この歌の振りをつけたとのこと、そのうち日本でも流行ってくるのではあるまいか。
翁、7月10日にハワイに発つ前、親友で音楽家の熊坂良雄・牧子夫妻のお誘いで福島県の相馬市を訪問した。熊坂ファミリーのコンサート取材が主な目的だったが、この目で被災状況を視たかったので(相馬市をよく知る)良雄さんに案内して貰った。松川浦沿岸一帯の被災状況を見る限り、復旧復興への道は、なお遠し。津波で破壊された町、土地を奪われた住民たちはいつ戻れるのか、加えて福島原発事故に伴う目に見えない放射能の恐怖、農業者、漁業者たちは風評被害といつまで闘わなければならないのか・・・しかし、翁が出会った幾人かの相馬市民の表情は意外に明るかった。いや、むしろ「政府や行政に頼るばかりでなく、自分たちでやれることはやろう」という意気込みを感じた。まさに『ナンデモデキル』(You
can do it, If you
try=もし、あなたが挑戦すれば、あなたは必ず出来る)の内容そのものだ。翁も、この歌を聴きながら、出来ることなら何らかの形で相馬市や他の被災地にこの歌を届けたい、という思いを強くした。それが作者アルヴィンさんやタシロ・ファミリーの願いでもあるのだから・・・っと、そこで結ぶか「龍翁余話」。 |