龍翁余話(229)「ハナミズキ逸話」
毎年のことだが、翁は4月中旬から5月中旬にかけて街路や公園などに咲く『ハナミズキ』を鑑賞するのが好きだ。白色や薄いピンク色の花が可憐、なのに、どこか(意思の)強さ、気高さを感じる。花言葉の中に“返礼(礼節)”がある。3月4日配信の『龍翁余話』(220)「美しい日本語」にも書いたが、1912年(明治45年=大正元年)に当時の東京市長だった尾崎行雄(1858年安政5年〜1954年昭和29年、のちに憲政の神様、議会政治の父と謳われた政治家)が米国へ桜(ソメイヨシノ)の苗木3000本を贈った。その返礼として1915年(大正4年)に米国政府から(北アメリカ原産の)ハナミズキが日本に贈られた、それが日本でのハナミズキ植栽の始まりだとか。今年は日本からの桜の寄贈100周年にあたる。その桜は後年、ワシントンDCのポトマック河畔に見事な“桜並木”を形成、毎年、開花の時期には全米から“花見客”が訪れ日米親善の『桜祭り』が開かれるなど、ワシントンDCを代表する春の風物詩となっている。
野田首相が4月末に訪米してオバマ大統領と首脳会談を行ない、6年ぶりとなる包括的な共同文書を発表した。その付属文書の中に“日本から米国への桜の寄贈100周年を記念してオバマ大統領から日本にハナミズキの苗3000本が贈られる”ことが盛り込まれた。これらのハナミズキは、日米両国の永続的な友好の象徴として、東京や東日本被災地など日本の各地に植樹される、としている。
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大田区・洗足池のハナミズキ |
調布市・神代植物公園のハナミズキ |
さて、今号のタイトルに『ハナミズキ逸話』としたのは、実は(私的な話だが)インターネットで『ハナミズキ』を検索していたら、何と“逸話”としか言いようのない事実が明らかになったからだ。その“事実”とは――どこから、どう話せばいいのだろうか?とにかく話は30年以上も前にさかのぼる――翁が台湾と文化・教育面で深い交流関係を持っていた頃、台湾五大財閥の1つ“基隆(キールン=台湾北端の大都市・基隆市)の鉱山王・顔家”の一員に迎えられ(理由は長くなるので割愛)翁の名も“顔 龍(イエン ロン)”と、顔家の名を頂戴して翁の台湾での活動を支援して貰っていた(時代があった)。
ところで、台湾の重要な国定祝日の1つに10月10日の“国慶節”がある(中国=中華人民共和国の国慶節は10月1日)。台湾の正式な国名は中華民国、“国慶節”は中華民国建国記念日である。この日を前後して外国に居住しているほとんどの台湾出身者は台湾に帰る。大ファミリーの顔一族には政治家、教育者、医者、財界人、法律家、芸術家、マスコミ人、文化人などが多数おり、台湾国内だけでなく世界各国で活躍しているが、国慶節にはその人たちが一堂に会して一族の結束(絆)を確認する(当時は、そうであった)。翁が初めて顔ファミリーのビッグ・パーティ(約600人)に参加したのは確か1979年の国慶節だった。場所は総統府の近くの台北植物園。約8ヘクタールもの広大な敷地に約1500種類もの植物が栽培され、台北市民のオアシスとして親しまれているその植物園を借り切っての一大パーティだから、それだけでも顔家の勢力と繁栄ぶりが窺えるというもの。顔財閥の創設者は雲年、2代目は雲年の弟・国年、3代目は雲年の長男・欽賢、欽賢氏は当時、すでに80歳を超え、顔一族の最長老に君臨していた。翁も氏に長寿の祝詞を述べた。その時、欽賢氏の長男で顔財閥の4代目・恵民氏と夫人を紹介された。お二人とも流暢な日本語、それもそのはず、恵民氏は早稲田大学を卒業、夫人は日本人(石川県出身)。恵民夫妻には(当時、9歳と3歳の)2人の娘がいた。名前は忘れてしまったが、2人とも、いかにも良家のお嬢さんらしく気立てのよさそうな礼儀正しいお子たちであった(と記憶する)。
翁がインターネットで『ハナミズキ』を検索していたら突然、歌手・作詞家・女優の一青窈(ひとと よう)の名が出て来た(彼女の歌に『ハナミズキ』がある)。同時に、舞台女優・ナレーター・歯科医として活躍している姉の一青妙(ひとと たえ)の名も。更に調べると、何と、2人の姉妹は台湾・顔財閥の血筋、父親の名は顔恵民、とあるではないか。翁は唖然とした。2人の名前の“一青”は母親の出身地、石川県中能登町一青の“一青”を使っているとのこと。もしかしてこの姉妹は、1979年の国慶節、台北植物園での顔財閥パーティで出会った、あの幼いお嬢さんたちなのか?だとしたら、まさに“逸話”。まるでテレビドラマのような話。“事実は小説よりも奇なり”とは、このようなことかも知れない。(なお、恵民氏は1985年に逝去。その9年後、夫人も他界した。)
早速、顔ファミリーの一員で長年、翁と義兄弟関係にある志豪君(IT企業の経営者)に問い合わせたら「妙・窈の姉妹は、間違いなく私のイトコ(従姉妹)です」即ち、志豪君の母上・顔碧仙さん(故人)は、顔恵民氏の姉上なのだ。しかも、翁を顔一族に招き入れたのは碧仙女史、翁にとって、とてもお世話になった“台湾の姉”であった。志豪君いわく「是非、彼女たちに会ってやって下さい、喜びますよ」だが翁、実は彼女たちのこと、よく知らないのだ。今回の『ハナミズキ』のことで確かに彼女たちを身近に感じるようにはなったが、すでに翁は(映像プロデューサー)引退の身、今更会っても仕方ないから、せめて遠くから彼女たちの活躍と大成を見守ってあげることにする。まずは『ハナミズキ』が収録されているCD購入から・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |