龍翁余話(225)「碑文谷の桜」
碑文谷(ひもんや=目黒区)は、翁が住む品川区平塚(戸越銀座)から車で7〜8分、歩いても50分程度の所にある。碑文谷と言えば、1985年に結婚した俳優・神田正輝と歌手・松田聖子(1997年に離婚)、1993年に結婚したサッカー選手の三浦知良と設楽りさ子さん(元ファッションモデル)らが式を挙げたサレジオ教会が有名だ。その周辺の桜が見事。翁はこの季節、必ず昼桜・夜桜見物に出かける。今年も昨日の土曜日(7日)昼桜をしっかりとカメラに収めることが出来た。
サレジオ教会(正式名はカトリック碑文谷教会)の聖堂は1954年(昭和29年)に落成したロマネスク建築(フランスなどを中心に、11世紀の中世ヨーロッパで発達した教会堂や修道院の建築様式)は異国情緒を漂わせ、白と青の鐘塔が空に映えて美しく(写真左)、加えて今は建物を取り囲む桜の花が一段とロマネスク建築の美を増幅している。教会の直ぐそばの“桜のトンネル”(写真右)も見事だ。
サレジオ教会から歩いて1分の所に円融寺(天台宗)(写真左)がある。今から1000年以上も前、第64代天皇・円融天皇の勅願時(国家鎮護・皇室繁栄の祈願寺)として創建された古刹。この寺は、大相撲の貴乃花親方が横綱現役時代、節分の豆まきを行なったことでも有名だが、世間を驚かせたのは2002年12月、元福岡ソフトバンクホークス監督・王貞治氏の妻・恭子さんの遺骨盗難事件であった。遺骨はまだ見つかっていないそうだ。ひどいことをする奴、必ずや天罰(仏罰)が下る。なお、室町時代(1336年〜1573年)の初期に建立されたと伝えられる釈迦堂(阿弥陀堂=写真右))は入母屋造りで銅版葺き、建造物としては目黒区で唯一の国指定の重要文化財である。
円融寺の南側の山門を出て真っ直ぐに進むと、住宅と住宅の間に土を盛り上げた土手風の桜並木がある(写真左)。翁は、この桜並木を“碑文谷八幡宮の桜堤”と呼んでいるが、正式には“立会川緑道”と言う。何故なら以前、この土手の下は小魚が泳ぎ、ホタルが飛ぶ清流の小川(立会川)だった。1964年(昭和39年)に暗渠(側溝)となり、1970年(昭和45年)に桜が植えられ1980年代から都内有数の桜の名所となった。この桜堤は碑文谷八幡宮の鳥居(写真中)の前から西小山駅(東急目黒線)まで延々1キロに及ぶ。昔の立会川の随所に橋が架かっていたのだろう、土手の区切りの箇所ごとの石柱に大門橋・富士見橋・月見橋・中丸橋などの橋名が刻まれた銘版が埋め込まれており往時の痕跡を見ることが出来る。なお、碑文谷八幡宮は古くは碑文谷村の鎮守、ご祭神は第15代天皇・応神天皇
(文武の神)。創建年代は不詳だが言い伝えによると鎌倉時代(1185年~1333年)らしい。社殿の右側には“碑文石”が保存さている(写真右)。説明板によると、石には大日如来や観音菩薩を示す梵字(インド文字の漢字訳)が刻まれているようだが、薄くてよくわからないし、何故、神社に仏様の名の梵字の碑があるのか不思議に思って社務所で訊いてみた。「古くは(前述の)円融寺の子院(神宮院)が置かれていたが、江戸中期の神仏分離令によって分離独立した。なお『碑文谷』の地名はこの“碑文石”に由来する」とのこと。
『碑文谷の桜』を追っかけていたら偶然にもキリスト教、 仏教、神道の3つの宗教施設を紹介したことになる。やはり神社・仏閣・教会などには桜がよく似合う。学校や公園も桜とは縁が深い。締めは目黒区のもう1つの桜の名所、東横線・学芸大学駅の近くに広がる碑文谷公園。江戸時代は将軍家の鷹狩場、今はボート乗りのほか、ウサギ、ヤギ、ポニーなどの小動物と触れ合うちびっ子たちの楽しい遊び場。ここの池(弁天池)は立会川の水源であり、先週の『余話』(224号)で紹介した『しながわ水族館』所在地の勝島運河の源流でもあるから(内容は異なるが)2週続けて水脈をさかのぼったことになる。何となく文脈が繋がったと自己満足に浸る・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |