龍翁余話(188)「寺田寅彦に学ぶ“天災と国防”」
先日、親友のSさんから寺田寅彦の『天災と国防』(小論文)を紹介された。Sさんは生涯学習関連の財団法人の理事長で、国防や国家危機管理問題については翁と比較的同波長の持ち主。多分、日ごろ翁が大地震の防災と減災(3月11日以降は東日本大震災と福島原発事故)のほか、国防問題、特に日本固有の領土・北方領土を国際法上不法占拠し実効支配を続けている“ドロボー猫”のロシア、国民が困窮に喘いでいるのを尻目に巨費を投じてミサイル遊びをし、日・韓・米を牽制している“イタチ“の北朝鮮、東シナ海(尖閣諸島周辺)の日本領海侵犯、フィリピンやベトナム領有の南シナ海を脅かす”ドブ鼠“の中国などから日本を守れ、と吼えているので、今後の『天災と国防』問題の参考に、ということで紹介してくれたのだろう。学習するに、共感、驚嘆すること、しきり。
寺田寅彦(明治11年〜昭和10年、生まれは東京だが幼少期は高知)は大正から昭和初期にかけての物理学者、東京帝国大学教授(大正5年)、吉村冬彦の筆名を持つ随筆家・俳人でもある。翁、寺田寅彦については詳しくない。せいぜい彼の随筆『雨の上高地』、『正岡子規自筆の根岸地図』を読んだぐらい。それはともかく「天災は忘れた頃にやって来る」は寺田の言葉とされている。その彼が“天災”と深く関わったのは関東大震災(大正12年)の調査研究員として携わった時だろう。「いつも忘れられがちな重大な要項、それは文明が進めば進むほど自然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である」そして彼は“国防”の重要性も説いた「思うに日本のように四面を外敵に囲まれた特殊な環境の国では、陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる」――“もう一つの科学的国防の常備軍”については具体的に触れていないが、天災、国防に対処するプロフェッショナルの危機管理(対応)チームを設置せよ、と(翁は)解釈する。何と、77年も前(昭和9年)に発表された論文である。今に通じる寺田の洞察力に驚嘆!以下、寺田が著した『天災と国防』の一部(概要)を紹介しながら、翁の私見を加えてみる。
“非常時”という何となく不気味な、しかし、はっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近未来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の低層に揺曳(ようえい=ゆらゆらと漂っている)していることは事実であるし、その不安の渦巻きの回転する中心点は、と言えば、やはり国際的折衝の難関であることは勿論である。そういう不安を更に煽り立てるように、天変地異が踝(くびす)を次いで我が国を襲い、おびただしい人命と財産を奪った・・・
国際的折衝の難関、とは、外交問題の難しさを指す。当時、日本が抱えた国際問題――昭和7年(中国のラストエンペラー)愛新覚羅
溥儀(あいしんかくら
ふぎ)を皇帝として『満州国』を独立させ王道楽土、五族(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)協和を掲げたが、国際連盟は“満州国は傀儡(かいらい)政権である”として満州国を否認。日本政府(時の首相・斎藤實)は全権代表・松岡洋右(後の外務大臣)に“国際連盟脱退”を宣言させた。以後、日本は国際的に孤立し、やがて支那事変(日中戦争=昭和12年)、大東亜戦争(昭和16年)へと国難は拡大する。現在の国難、それは言うまでもなく東日本大震災による大惨事と福島原発事故による“見えない敵”(放射能)の恐怖、そして国防問題は“見える敵”(警戒すべき国)は(前述の通り)ロシア、北朝鮮、中国である。
一方、その時代、我が国を襲った最大の天変地異は昭和8年3月3日の『昭和三陸地震』であった。マグニチュード8.1、津波の到達最大高度は約30m、この地震による被害は死者1522人、行方不明者1542人、負傷者12,053人、犠牲者の数こそ違うが、前述のように寺田が「それは文明が進めば進むほど自然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」と言っている通りだ。福島原発事故は、まさに文明が自然の暴威に打ちのめされ、劇烈災害の度を増した典型的な事例であろう。発生時期(3月)といい、被災場所といい、地震・津波の規模といい、今度の東日本大震災と何と酷似していることか。この時から津波(TSUNAMI)が世界共通語になったそうだ。
“災害は忘れた頃にやって来る”――実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。もっともこれを忘れているおかげで今日を楽しむことができるのだという人がいるかもしれないが、それは個人めいめいの哲学に任せるとして、少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。わが国の地震学者や気象学者(及び国防の専門家たち)は従来かかる国難を予想してしばしば政府と国民に警告を与えているはずであるが、政府は目前の政局に走り、また国民はその日の生活に追われ、そうした警告に耳をかす暇(いとま)がなかったように見える。誠に遺憾なことである。人類が進歩するにしたがって(中略)常日頃から政府も国民も一致協力して“天災や国防”に科学的対策を講ずるのが現代にふさわしい愛国心・大和魂の進化であろう・・・
翁は、この『天災と国防』で多くを学んだ。特に印象に残るのは“プロによる国家危機管理チームの設置”と“為政者は(国家危機の)健忘症に罹ってはいけない“の2点だ。政治家の健忘症は、天災被害を増幅させる“人災”だ。今回の東日本大震災と福島原発事故の政府・政治家の対応の稚拙さがそれを証明した。こんなお粗末な政治家達に国運を託さなければならない国民の不運、いつまで続くか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |