+
 
 
weekly

NO.777               Ryo Onishi              4/3/2011  

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 
雑貨屋のひとり言

昨日からまた急に寒くなりました。軽い服装になりかけていたので、出かけるときの服装に困っている人も多いのではないでしょうか?今日、買い物に出かけたとき、桜を観ました。桜は心を和ませてくれます。ようやく春がやってきた感じがします。一方でスギ花粉からヒノキの花粉の飛散が始まっています。あと一ヶ月は続くようなので、新薬とマスクが欠かせません。
≪R.O≫

 

ロサンゼルス禁煙事情

 【筆者注:今回は連載中の『サウスベイ経営セミナー15年を振りかえる』シリーズを中断させていただき、表題のテーマとさせていただきます】

ロサンゼルスでは既に屋内のレストランやバーなどは禁煙となっていますが、レストランの屋外の席でも禁煙とする追加条例が施行されました。ロサンゼルス市議会で去年1月に可決された禁煙の追加条例が1年間の告知期間を経たので3月8日から施行されたのです。

この追加条例ではレストランやカフェなどの中庭などの屋外席から10フィート(約3m)以内、そして食べ物を売るケータリング車両(フード・トラック)などの屋台から40フィート(約12m)以内を禁煙とするとしており、違反当事者とレストラン・オーナーには最高で$500の罰金が科せられます。ただし、バーや成人向けのナイトクラブなどは対象外となっています。また、レストランでプライベートの催しを行う場合の喫煙も条例の適用外となります。

ロサンゼルス市周辺の市でもビバリーヒルズ市、カラバサス市、グレンデール市、パサデナ市、サンタモニカ市などでは既に同様な条例が施行されています。今回の条例施行により、ロサンゼルス市は屋外ダイニング・スペースでの喫煙を禁止した全米でもっとも大きな都市となります。

ロサンゼルス郡の保健当局によると、ロサンゼルス郡の住人の86%が非喫煙者であるにもかかわらず、喫煙を原因とする病気にかかる郡の支出は年間43億ドル(3,500億円)にものぼるのだそうです。東海岸のニューヨーク市でも2月末に成立した公園など公共の場を禁煙とする条例は3月30日から施行されることになっており、行政レベルで禁煙を推奨する動きは今後も続くとみられています。

 全米肺協会によると、毎年米国内で6万人以上が副流煙が原因で死亡しいるといわれています。またカリフォルニア州では死亡する病気患者の死亡原因の第1位がタバコとされ、禁煙が病気予防につながるとされています。

この条例反対派からは、屋外の禁煙は厳しすぎるとの声が上がっていますが、これは時流なのでしょう。私はタバコを吸わないので関係ないですが、過去にはさんざん喫煙コマーシャルを認めながら、今になって喫煙に厳しくするとは喫煙者の皆さん、お気の毒なことですネ。

河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言 ひまわり

「よく渡ったわね〜」と、私は夫に言った。東京湾アクアラインのトンネルの坂道を昇り詰めた、海ほたるの真下、地上への出口辺りだった。陽の光が、痛いほどにまぶしく突き刺さる、長く暗いトンネルを抜けた瞬間だった。「海に蛍はいないのに、どうして“海蛍”という名前なのかな?」なんていいながら。その時、小さい頃、月の光がない暗い闇夜の海を、さっと手ですくうと、星の様にきらきらと光るものがあったことを想い出す。プランクトンだ。子どもながらに、海の蛍だと信じていた。東京湾アクアラインのトンネルを抜けた時、海蛍のことを想い出すと同時に宮城県の“ひまわり”のことも思い浮かべた。闇の中に光る蛍のような宮城県の“ひまわり”・・・・ 

テレビ、新聞やインターネットなどのマスメディアを通して、東日本大震災の救済活動と復旧活動の様子や、避難生活を余儀なくされている被災者の様子を報らされるたびに五臓六腑がえぐり取られるような痛切な思いに陥ってしまう。それでも、中には、東京在住の私たちが逆に励まされたり、襟を正されたりすることもある。その1例――気仙沼港から船で25分ほどの気仙沼湾内に浮かぶ周囲24キロの美しい島・“緑の真珠”と詠われていた大島(東北最大級の有人離島)、「早春の大島へ椿を見に行こう!」キャンペーンが始まったばかり。しかもその初日が311日、その日の午後246分に起きた東日本巨大地震は岩手・宮城・福島3県に甚大な被害をもたらし、この大島も地震・津波・火災の被害に見舞われ、あわや孤立する恐れがあったほどの惨状と化した。そんな状況の中で孤立を救ったのが42人乗りの臨時船“ひまわり”。船長の菅原進さん69歳も被災者のひとり、避難所生活を送りながら、人と物資を運ぶために大島と気仙沼を毎日4往復している。地震直後に津波から“ひまわり”を守るため“ひまわり”に乗り込み沖へ向かい、高さ10メートル近い大波を何度も乗り越えたという。『逃げたら転覆する。前に進むしかない』と“ひまわり”と自分に呼びかけたそうだ。年季の入った“ひまわり”は、床の板材がきしみ、操蛇輪(そうだりん)にもさびがついているが、島の明日には欠かせない交通手段。「太陽に顔を向けているひまわりが好きで名付けた。少々古くてもあの大波をこえることができた。島民がみんなで力を合わせれば島は甦る」と菅原船長は言う。島で唯一、損傷を免れた“ひまわり”は今日も休まず、島の命に灯をともし続けている。 

ところで、“ひまわり”といえば、もう二つ、私の心に浮かぶものがある。1つは、女流講談師・日向ひまわりさん(本名:鵜久森真弓さん、広島県出身)、20085月に真打昇進した。まだ二つ目で駆け出しだった頃の彼女と、兄貴分玉三郎こと中條氏を介して出会い、陰ながらその成長を応援してきた。「ひまわりさん、私はさくらっていうの、一緒に明るい華を咲かせましょうね」と話したものだ。どの業界でもあるように、彼女も荒波を乗り越えながら、プロフェッショナルの世界で生き続けている。それでも、あの駆け出しの頃と全く変わらない、明るさと謙虚さが、“ひまわり”の華を一層美しく咲かしているとファンの私には感じる。もう1つは、伊藤咲子が歌った“ひまわり娘”(作詞:阿久 悠・作曲:Shuki Levy)だ。若い頃、よく歌った歌のひとつ。特に、『涙なんかしらない いつでもほほえみを』という歌詞は、私の姉が妹である私によく言う「あなたの笑顔がとっても素敵だよ」を連想させるから、励みになる。さくらも時々“ひまわり”に憧れるという訳だ。 

さて、冒頭に書いた東京湾アクアライン、昔はゴルフラインとも呼ばれたそうで、もっぱらバブル期のゴルフプレーヤーに利用されたらしい。しかし、私にとっては、ゴルフではなく、介護や看病でよく利用したラインだ。義両親の入居した老人ホームが君津に、そして入院した病院が鴨川にあったから、本当に毎日のように通った。雨の日も晴れの日も、強風で通行止めにならない限り、通った。時に朝陽に向かって、時に夕陽に向かって、月に照らされる夜も、闇夜の時も、走り続けた、蛍のかすかな光を求めるようにして。大きな任務を終えた時のような開放感と充足感、そして寂しさを感じる今は、“ひまわり”の明るさを想いながら、桜の開花を楽しみにしている。今日43日は私の誕生日、「あなたの素敵な笑顔がズッ〜とズッ〜と輝き続きますように」姉から届いたバースデーカードにしたためてあった。さくらつぼみ51歳、まだまだ笑み続けます、っと呟く、さくらの独り言。 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 アフターとビフォー3・11の惨

文明の進歩を核に試される

繁栄の構図のなんと薄っぺら

停電に追い出されてる春炬燵

朗報が欲しい4月のカレンダー


( ニュースやぶにらみ )

「23力士・親方を厳罰処分」
まだまだ余震がありそう −土俵

「3月11日」
エイプリルフールだったらなあ −日本

「開花遅れる」
自粛 −桜

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(46)               
*養源寺 −安井夫人 
  句会場(駒込学園)を出てすぐの信号を右折した先の右側に、近代漢学の礎を築いた江戸時代の儒学者、安井息軒の墓(都史跡指定)があります。息軒はまた明治期に活躍した谷干城、陸奥宗光、品川弥二郎などをはじめ数多の逸材を輩出した私塾「三計塾」を開いたことでも知られています。  森鴎外に『安田夫人』と題した、息軒とその妻 佐代の生涯を淡々と綴った作品があります。                 
学問修行も一通り終え来年は三十になるという倅に、父が従兄妹の豊を娶わせようとしましたが、息軒が幼い頃天然痘に罹り、顔面の疱瘡痕で片目が潰れた容貌であったために断られ、それを知った妹で岡小町といわれた、16歳の佐代が私ではと言って結婚します。
それから10年ほど後の、漁師でありながらが物産学に詳しいのを見込まれて徒士になった黒木孫右衛門と仲平(息軒)との会話です。 『安田夫人』より 「先生。只今のはご新造さまでござりますか」「さよう。妻で」恬然として仲平は答えた。「はあ。ご新造さまは学問をなさりましたか」「いいや。学問というほどのことはしておりませぬ」「してみますと、ご新造さまの方が先生の学問以上のご見識でござりますな」「なぜ」「でもあれほどの美人でおいでになって、先生の夫人におなりなされたところを見ますと」                           
この作品が世にでた頃は、青鞜社が活動をはじめた頃でした。平塚らいてふ(雷鳥)とも面識があった鴎外でした。息軒に嫁いでからもよき妻であり母親でありながら、自分というものをしっかりと持っていた佐代が、鴎外が望んだ女性像だったような気が私にはします。
夏目漱石の「坊ちゃん」では、主人公が慕っていた下女の清の墓所として、漱石の住居から200メートルほどのところにあるこの養源寺の名を借りています。

龍翁余話

龍翁余話(174)「おふくろの味をありがとう!」

先日、親友の中條さんから、突然「“なだ作”が3月いっぱいで閉店することになりました。つきましては31日に“さよなら会”を催しますので是非ご出席いただきたい」とのメールを頂戴した。“なだ作”というは、大都会のど真ん中、東京・西銀座に昭和レトロの趣を残す家庭料理の店。これまでに『余話』で数回ご紹介したのでご記憶の方もおいでだろうが、その中の2編から抜粋する。

『龍翁余話』(40)「迷人会(寄席)」(2008年7月20日)から―――――
翁の親友・中條さんが幹事役を務める『なだ作迷人会』という寄席が、 

年に3回開かれている。“明日の名人”を夢見る落語・講談・漫談の若手噺家(はなしか)に発表の機会を提供し、みんなで応援しよう、というのが趣旨。その会場の“なだ作”というのは東京・西銀座にある家庭料理の店。年配の女将(おかみ)さんを頭に、気のいい女性たちが働く居酒屋。数年前、中條さんに案内された翁、女将が作る文字通りの家庭料理が気に入って、たまに友人たちと一緒に飲みに(下戸の翁は、食べに)行く。40人ほどで満席となる小さな店。“迷人会”の時は貸し切りで、芸人の口演と家庭料理を楽しむ。いつも定員オーバーの盛況ぶりだ。この“迷人会”から、これまでに数人の真打(しんうち)が誕生した。落語では、柳家小三治一門の柳家三三(やなぎや・さんざ)、講談では故・神田山陽の弟子、現在、5代目柳亭痴楽の門下の日向(ひゅうが)ひまわり(真打になるまでは、神田ひまわり、と名乗っていた)ら。今回の出演者は落語の立川談志一門で“二つ目”の立川吉幸と、講談の宝井琴星門下で“前座”の女流講談師・宝井琴柑(きんかん)・・・・

『龍翁余話』(159)「義士伝・徳利の別れ」(2010年12月19日)から―――――
時代劇好きな翁、とりわけ12月は、やはり忠臣蔵関連の映画・テレビドラマ・芝居がいい。
(中略)今年も“忠臣蔵に関するテーマを”と思っていたら、親友の中條さんが幹事を務める『なだ作迷人会』(第23回)のご案内状を頂戴した。出演は講談師・宝井琴調、演目は、嬉しいことに『義士伝・赤垣源蔵 徳利の別れ』、しかも開催日は12月14日“義士討ち入りの日”当夜である。“なだ作迷人会”とは東京・西銀座にある家庭料理の居酒屋“銀座なだ作”を借り切って落語・漫談・講談などを催す会。40人程度の会だが、演者と観客が一体になれる“家庭的な演芸の場”。最初の頃は若手芸人を励ます会だったので“迷人会”としたのだろうが、二ツ目だった彼らも今や出世して真打となり、存分に活躍している芸人も多くいる。その彼ら、無名時代に『なだ作迷人会』に招かれた恩義を忘れず、真打になっても(安いギャラでも)快く呼びかけに応じている。宝井琴調さん(真打・講談協会理事)のような大ベテランもその1人。だから、そろそろ会の名称を『なだ作名人会』または『なだ作寄席』にしたらどうだろうか、と中條さんや、もう1人の世話人であり玄人はだしの名司会者・佐野さん(医用機器関連会社社長、芸名・あやし家ねつ蔵)に提言しようと思っている・・・

女将(桧山栄子)さん(写真)の優しい笑顔に接し心のこもった美味しい家庭料理を味わえば“また行きたくなる”お店、大都会の癒し処として愛され親しまれた“銀座なだ作”は、サラリーマンたちばかりでなく、多くの芸能人、スポーツ選手からも贔屓にされていた。それを物語るかのように各界有名人の写真やサインが所狭しとばかりに展示されている。その居酒屋が3月いっぱいで閉店する、と言う。理由は、女将さんの健康上の問題のほか、東日本大震災と福島原発事故による野菜などの食材の高騰と入手困難、客足の遠のき、などだそうだ。確かに未曾有の大震災と、それによって引き起こされたもう1つの恐怖・福島原発事故は、被災地の農業・漁業・畜産業に致命的な打撃を、そして全ての被災者に計り知れない苦悩を与えた。そればかりでなく、さまざまな形で広範囲に亘り多くの業界、市民生活にも深刻な事態をもたらした。3月12日の早朝の放射性物質の流出に次いで14日昼近く、3号機で水素爆発、15日の朝には2号機にも爆発現象が起こり放射線量の数値が上昇して政府は(原発の)半径30km以内の住民に“屋内退避”を指示した。やがて放射能汚染とその影響は原発周辺地域にとどまらず、東北、関東、甲信越全域に広がる。3月19日から22日にかけて農林水産省は福島県産の元乳(原乳)、茨城県、福島県、栃木県産のホウレンソウ、カキナなど一部地域・品目に関して出荷制限の指示を出した。その後、東京都や各県の水道水に放射能汚染騒動が巻き起こり市民をパニック状態に陥れた。“冷静な行動を”と呼びかける政府のコメントが白々しい。

今回の地震・津波・原発事故のトリプル災害で政府の無能ぶりが一段と浮き彫りになり、欧米先進国から冷ややかな“忠告”を受けたが、そればかりではない、当事者(東京電力)をはじめ日本の原発事故に対する処理能力(技術)、原子力学界、放射能学会の(学者の)レベルってこんなものだったのか、と翁、大いに落胆し、(政府の無能ぶりと併せて)国際的に恥ずかしい思いもしている。アメリカ、フランスなどの支援には感謝であるが・・・

そのトリプル災害で被害を蒙った“なだ作”が15年間の歴史に幕を降ろすに際し、8年間続いた“なだ作迷人会”も(31日)第24回をもって閉めとなった。最後の出演はギター漫談のペペ桜井。ところが何と、かつての出演者・宝井琴柳、宝井琴調、日向ひまわりの3人が駆けつけてくれたではないか。席亭(村田さん=中條さんの元上司)、世話役(佐野さん)、幹事(中條さん)の呼び掛けがあったかどうかは知らないが、いずれにしても信義に厚い真打3人が “迷人会”の千秋楽に華を添えたことで、女将さんも観客も大いに感激し、喜びと感謝の拍手を贈った。“なだ作”も“迷人会”も終わったが、女将と顧客と“迷人会”に関わった芸人たちとの縁は終わることはないだろう。翁、帰り際、女将に「おふくろの味をありがとう、お元気で!」とお礼を述べた・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

ジャズを整理していると、このアルバムはどんな曲だろうと聴くのが楽しいですね。
今日もそんな出会いで耳にとまったアルバムを紹介します。
1955年に録音されたモノラルのアルバムです。でもまったく色あせないピアノジャズで、とてもいい感じです。13曲中、題名のLet's Get Away From It Allの2曲以外はすべて地名が入っている珍しいアルバムです。

Andre Previn's Trio Jazz   "Let's Get Away From It All"

01-Let's Get Away From It All
02-Moonlight In Vermont
03-It Happened In Sun Valley
04-Serenade To Sweden
05-Island In The West Indies
06-Flying Down To Rio
07-Honolulu
08-How Are Things In Glocca Morra
09-On A Slow Boat To China
10-London In July
11-San Francisco
12-Sidewalks Of Cuba
13-Let's Get Away From It All (reprise)


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

土曜日、久しぶりにメキシカン料理を食べに行きました。心斎橋にある「El Poncho」というお店です。7割くらいのお客が外国人でした。たまにはこんな雰囲気で食事をするのもいいですよね。
≪iPad≫
MapFan
期間限定ですが、ナビアプリが無料で提供されています。車でも歩きでも便利なナビだと思います。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.777

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com