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NO.747               Ryo Onishi              9/5/2010  

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雑貨屋のひとり言

9月に入り、ようやく秋の気配が感じられますね・・・と言いたいところですがまだまだきびしい暑さが続いています。虫の声が聞こえ、秋の気配は少し感じますが、日中は汗だくでフラフラになります。
9月から土曜日のヨガ教室が再開し、いつものメンバーが集まりました。みなさんお元気そうでした。久々の1時間30分で、今日は身体中が痛いです。≪R.O≫

南カリフォルニア詩吟連盟吟詠大会

 7月末から4回に分けて当欄(Zakkaya Weekly No.741〜744)に掲載した『構成吟、明治維新』にも書きましたが、「南カリフォルニア詩吟連盟」主催の吟詠大会が予定通り8月29日(日)に当地ベニス日系人会館で開催されました。この吟詠大会は、日系人の夏の統合行事「二世週日本祭(NISEI WEEK FESTIVAL)」の一環として毎年今の時期に行われているものです。今年は特に「南カリフォルニア詩吟連盟」は創立20年であると同時に、「二世週日本祭」も第70回目という節目の年を迎え、どちらも盛大で華やかでした。
   
吟詠大会は二百名近くの詩吟愛好家が家族や友人と一堂に集結し、日ごろ研鑚をつんだ自慢の吟詠、剣舞、祝舞、和歌吟、書道吟、茶道吟の腕を披露しました。構成吟も見事な出来栄えでした。また、この大会を祝して日本国総領事館から文化担当領事、南加日系商工会議所、県人会協議会、日系婦人会、庭園業協会の代表も来賓として参加してもらいました。さらに今年のミス日系(二世週日本祭クイーン)までが舞台上で挨拶して華を添えてくれました。

「南カリフォルニア詩吟連盟」とはロサンゼルス周辺にある7つの詩吟流派で構成されており、今やこの地の日本文化を代表する組織になっています。今年は私の所属する流派が連盟の幹事担当流派であるため、私たちは準備段階から大忙しでした。私はこの連盟の書記役と会計を担当しています。大会当日は会場受付机に陣取り、各会の参加人数の把握、参加費と弁当代の徴収などの雑役で坐っているひまもないほどで、ドクター・ストップの身で身体的に少々厳しい一日でしたが、ほぼ問題なくすべてが予定通り終了し安堵しているところです。

私たちの流派は「国峯流」と呼びますが、そもそものルーツは第二次大戦中、西海岸の日系人の多くがアメリカ国籍を持っていたにもかかわらず、アメリカから敵性外国人とみなされ、強制収容所に隔離されたとき、収容所のひとつである「ツールレイク強制収容所」内で杉田国峯氏(のちの国峯流宗家)が日系人の子供達に日本語を教えるために詩吟を教えたことに始まったのだそうです。

日本から遠く離れた当地ロサンゼルスで、詩吟がこれほどまでに息長く続いているのは、日本から離れたところで生活するからこそ、日系人・日本人が祖国の日本文化にあこがれるからではないでしょうか。

詩吟とは漢詩の読み下し文に節をつけて吟ずることをいいますが、日本古来の伝統芸術であり、その奥の深さは計り知れません。また、その効用として、腹の底から声を出して詩を吟ずる呼吸法が内臓を強くし、身体内から活力を生み、ストレスの解消にも役立ち、心身最高の健康法のひとつであること。吟ずる漢詩は主に中国、日本の歴史や文化を題材とするので、歴史、文化の勉強が出来ること。漢字の読み書きの機会が増え、漢字に慣れ親しめること、などなどです。私にとって詩吟とは、趣味であると同時に実益をも兼ねた最高の余暇利用法といえます。
健康志向・教養志向の今こそ、現代人にとって詩吟はぴったりではないかと思います。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「終(つい)の住まい」その10

「終(つい)の棲家(すみか)・・・その10」<私の決断>

「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」という言葉を、よく耳にした。随分昔、若い頃のことだ。同様に、自分も相談を受けた場合、そう口にしてきたように回想する。しかし、よくよく考えてみると、意外にも自分には“やらずに後悔”したことの方が多かったことに驚かされる。歳をとった今、自分にとっての“後悔”という言葉の意味も変わり、また“する”か“しない”という何かを始めたり取り組んだりする内容も姿勢も変わった。それは決断のあり方が変わり、言いかえれば、人生にとって大切なことの意味合いが、若い頃のそれとは随分違ってきた証拠だと思う。

「取り組む前に、さくら自身がまずこの決断をすることがとても大切よ」と、高校時代の親友、和子(以下、“カズ”と表記)から告げられた。今年3月、カズと25年ぶりに再会した。会っていなかった25年の歳月の溝なんて、全く感じられないほど自然な再会であった。しかし、25年の間に変化したカズと私の生活や家族のありようは、時の流を否定できないものでもあった。ひょんなことからこの再会が実現し、話し込む内、大学卒業後看護師・助産婦だったカズが、介護保険法が施行された2000年からケア・マネージャー(介護支援専門員)として介護の現場で活躍していることを知らされた。“終の棲家”について義両親から相談され、また義両親の高齢医療や今後の介護について、誰にどのように相談していいか途方に暮れようとしていた私にとって、カズのケアマネ10年間の実経験とアドバイスは3Dカーナビなみの道しるべ、神様からの使者に思えた。そんなカズからの多くのアドバイスの中でも、私にまず迫ったのが、“私の決断”だった。ケアマネ10年のプロフェッショナルであるカズが私に迫った“私の決断”とは、高齢義両親の介護、老人ホーム(養介護施設)探しと今後の具体的な支援について、どの様な展開になっても最後まで役目を全うするかしないかという“私の決断”、このことを最初に確認すべきだと力説した。たとえ理不尽なことが起ころうと、揺るがない・くじけない私自身と、実息子である私の主人の理解と支えがなければ乗り越えられないと断言された。さらにそれは、私たち夫婦の向かい合いそのもの、愛を問われることになるだろうとまで言及された。このことはそれからの私たち夫婦の、証にもなるだろう出来事へと導いた言葉となった。

ところで、このシリーズ「終の棲家」の初稿でも述べたが、私が体験し綴っていることは、何も特殊なことではなく、現代の普通の家庭・家族では珍しくない、ごく普通のよくある出来事なのだ。その中で織りなす愛のドラマから、学んだこと、体験した苦い、もしくは嬉しいことをシェアーしたいと思っている。そしてケアマネ10年のカズも、私たち夫婦と同環境下にある多種多様の家庭・家族に接して、共通するステージや出来事、問題や解決、争いや克服などなどから、成功体験の秘訣はまさに最初の決断にあるという。高齢になり、身体の機能が衰えたり、不全になったり、精神的にも不安定になったり、さらに認知症も加わってきたりすると、誰よりも一番傍に居て、誰よりも一番お世話して、誰よりも一番時間的精神的に献身的にしてくれた人を攻撃の的にしてしまうケースが多く、それが介護・看病の不幸な結末の引き金になるという。どんなに高齢の両親が納得・満足のいく病院や施設にはいれても、年齢と病気で弱る一方の心身は、過去の欲望という虜から解き放たれず、こうなったのはその人(誰よりも一番傍にいる人)の仕業だと妄想・信じ込むようになり、たまに訪ねてくる遠隔の家族や友人に漏らしたりして、それは事実とは違うひとつの火種に形を変えていくという。その最初の現象は、“モノ盗られ症候群”(誰かが自分のモノを盗ったと言い出すこと)だったり、“疑惑症候群”(異性と金銭にまつわる疑心的妄想)だったり、するらしい。だから、どんなに信頼し合っている関係でも、たとえそれが血を分けた実の親子や兄弟であっても、“一番傍に居て、一番お世話をしている人”に降りかかり火の子らしい。だから、今はよくても、どのように高齢者とそれを取り巻く環境・人間関係に変化が起こるか分からない、その変化や事件が生じた時、「じゃあ、一抜けた!」と養介護や支援をやめたり、くじけたて落ち込んだり、争ったりするくらいなら、最初から養介護には関わらず距離をおくこと。それが冷たいようだが、賢明だというのだ。しかし、どんな境遇でも、終の時を共に闘い抜くという希望と勇気があるのなら、是非取り組む決断をして欲しいと。それには、夫婦の語らい、理解、そしてそれをつなぐ愛が不可欠だと、親友であり、ケアマネ10年のプロフェッショナルの言葉、カズからの贈り物だった。

さて、“義父の決断”から時を経ないうちに、義娘である私は、“私の決断”を迫られることとなった。これから私たち夫婦や家族に起こるだろう予測・不測の出来事を含め、覚悟が求められた。そして、同時に、揺るがぬ心、いや揺るいでもいいから、決して諦めず屈しない希望と信頼の確立・確信を問われると思った。カズと会った日、会社から帰宅した主人に、じっくり、ゆっくり、カズのアドバイスを説明し、“私の決断”を告げた。その日、主人も“主人の決断”をしたようだった。その時、私たち夫婦はすでに、義両親の「終の棲家」について、ひとつの同じ方向へと共に歩き始めていることを再認識した。そして星の王子様の著者、サン・テクジュベリの名言『愛し合うとは、互いに見つめ合うことだけではなく、ふたりが、ひとつの同じ方向を見つめること』を想い出した。まさに私たちはこれだ、っと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 カルチャーで竜頭蛇尾を彫っている

折り返しまではトップの息の切れ

ホップステップそしてジャンプにあった壁

実力の差を知らされて四コマ目

抜擢のはずがトカゲの尾で終わり


( ニュースやぶにらみ )

「院内感染」
カネウイルス −国会

「食欲の秋に」
冷や飯だけは食いたくない −菅派、小沢派

「夕立が」
ツクズクホシイ ツクズクホシイ −東京のセミ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(146)「民主党代表選〜これでいいのか日本?!」

先日、数人の読者(友人)から「民主党代表選について、龍翁さんのご意見を伺いたい」とのお問い合わせ(メール)を頂戴した。長年、マスコミの世界に身を置いた人間(翁)の発する言葉ではないが、翁は昔から、傲慢男・小沢一郎は生理的に嫌いだし山岡や輿石ら小沢の取り巻きにも理屈抜きで嫌悪感を抱いている。いや、彼らに対する嫌悪感は龍翁なりに理屈=根拠がある。翁は以前『余話』で「外国人参政権や日教組復活を唱える山岡や輿石は日本国の獅子身中の虫である」と断じた。それに正直なところ(これは単なる好き嫌い論であるが)品位のかけらもない小沢・山岡・輿石のほかに、国民の顔を見ようとしないで虎(小沢)の威を借りてハシャギ回る小沢一派の顔を見るだけでも虫唾が走る。俗に言う“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”の類だろう。更には、まだ、ろくに政治を知らないくせに、バッジをつけただけでいっぱしの知ったかぶりを吐き“政治家風”を気取るクソ生意気な若造や小娘たちも気に食わない。これも大いなる(感情的)偏見だが、よ〜く考えてもらいたい。国を滅ぼしかねない危険人物たち、民生も外交も(政治のイロハも)知らない未熟者の新米議員たちが首相を選ぶのだから、日本の首相の権威が危ぶまれる。これでいいのか日本?!――まだある。後述するが、民主党の規約が党員とサポーターの資格を“在日外国人を含む”と定めている。つまりそれら在日外国人までもが日本国の総理大臣を選ぼうとしているのだから、こんな恐ろしいことはない。これでいいのか日本?!

そういう悲観的、否定的な思いしか持てない龍翁が、民主党代表選について何を語るか、積極的な執筆意欲が湧くはずもなく、このまま感情的独断・偏見で筆を進めたところで、“まともな論評“は期待できない、と躊躇したが、せっかくの(複数読者の)お問い合わせに対して礼を尽くしたく、このバカ騒ぎが始まって以後の新聞各紙の論調を参考にしながら、出来るだけ私情を抑え”客観的論評“(?)をこころみる。この際、龍翁独特の“上から目線論法“に(更に)徹することにする。

「小沢氏出馬――あいた口がふさがらない」朝日の社説が吼えた(8月28日)「どうしてここまで民意とかけ離れたことが出来るのか、多くの国民が唖然としているに違いない。政治とカネの問題で“責任を痛感して”幹事長をやめたはずの彼、まだ3ヶ月しか経っていないのに」・・・その通りだ。翁流に言えば「倫理感も責任感も持てない無神経で非常識な小沢が、党の代表選(今回は内閣総理大臣選び)に出ようというのだから厚顔無恥も甚だしい。また、当初、菅支持を打ち出していた鳩山が、何を血迷ったか、あっちこっちと伝書鳩を演じた。鳩山は、小沢が言い出した“挙党一致”即ち“トロイカ+1(プラス・ワン=菅・鳩山・小沢+輿石体制)工作を仕掛けた。これが成功すれば小沢は立候補を取り下げる、そうすれば党の分裂も避けられる(と鳩山は踏んだ)。鳩山・小沢が言う“挙党一致“の内容とは、政策・カネ・人事に至る党運営全ての実権を握る最高幹部会議のことだが、具体的には小沢は幹事長の復職を求め、鳩山、輿石にしかるべき処遇(たとえば鳩山を党の最高顧問、輿石を党の副代表)を、更に小沢派と鳩山派の有力議員に官房長官ほか4つの主要閣僚ポストを要求したようだ(翁と比較的親しい某民主党古参議員からの裏情報)。だが菅は、この提案を拒絶した。当然だろう、小沢派、鳩山派に要職を押さえられれば、たとえ無投票で党代表(首相)になっても、それは単なるお飾り首相、いわゆる傀儡(かいらい)政権でしかなくなる。菅はそれを拒否した。菅が骨のあるところを見せた、と、翁、少しは菅を評価する。

菅に拒絶された鳩山・小沢は大いなる屈辱感を味わった。特に“仲介役”を買って出た鳩山は、31日夕、周辺に「ボクはいったい、何だったんでしょうね」とぼやき、うなだれた。3ヶ月前、小沢の幹事長辞任と同時に(内政・外交で迷走を重ね)首相の座を退いたばかりの鳩山は本来、謹慎の身であるはず。その彼の“飛び跳ねた”行動が混乱を増幅させた面は否めないし、傍から見ていて滑稽そのもの。しかも鳩山は、初めは菅首相の続投を支持しながら、途中から小沢支持に変わった。首相辞任の際「クリーンな政党を」と言い残しながら“政治とカネ”の疑惑を抱えたままの小沢を推す神経が不可解(9月1日読売)。その上「自分が民主党を結成し、政権交代で自分が首相になれたのは小沢氏のおかげ。今度は私が小沢氏を支援するのが大義」とほざいた。これにも翁、ほとほと呆れた。そして怒鳴った「いやしくも日本国の首相選びに、そんな私情を“大義”と言うか?このバカタレ!政治家の大義とは“国家国民への忠誠と奉公”それしかないのだ。そんなことも分からないお前のような空洞人間が首相になったことだけで日本がどれだけ世界から嘲笑され信用を失ったことか。頼むから、もう出しゃばるな」ある民主党の中堅議員が「宇宙語しか話せないあの人は、所詮、伝書鳩にもなれませんね」と切り捨てたそうだ(9月1日読売)。

“挙党一致”(トロイカ+1)を(菅に)拒否された小沢が開き直った。「国家国民のために最後のご奉公のつもりで立候補した」と言う。笑わせるな、それほどの気概と覚悟があるなら何故、トロイカ案を持ち出したのか?「首相に相応しい人物70%(菅)対17%(小沢)の世論にビビッて、本当は、党内の実権を握ることで落ち着こうと企んだ。それを菅に拒否されたので引っ込みがつかなくなった(某古参議員談)。そして持ち前の威張りが始まった。あのいかつい顔で断固とした口調に圧倒されると、左右決しかねている国民は何となく納得させられる迫力はあるが、実は小沢という男、昔から“権力潮流”に乗ることに長け、その時々の実力者(田中角栄や金丸信)に“カネとハッタリこそが政治家の資質、それを正義化して他を圧せよ”と教わった。その虚像を国民もマスコミも見抜けず偶像化した。しかし、田中角栄と根本的に異なる点は、田中には“カネとハッタリ”の向こうに国家国民があった。悲しいかな小沢には、それがない。あるのは“権力欲”だけだ。

「菅内閣は官僚主導だ」と批判した。消費税議論も攻撃した。それはまあいい、改めて小沢っていう男は“口先が、コロコロ変わる奴“だと翁を呆れさせたのが記者会見(9月1日)での普天間基地問題。小沢は「自分なら沖縄県民と米国との間で充分な話し合いが出来る。具体的な腹案は自分の頭にあるが、今、それを言う訳にはいかない」。そんな“腹案”があるのなら、何故、鳩山内閣時代に進言しなかったのか(9月2日毎日)。翌日の合同記者会見で菅が「その腹案とやらを是非、教えていただきたい」と言ったら「そんな腹案を持っているなんて言った覚えはないし、持ってもいない」と(堂々と)うそぶいた。その1件だけで翁、小沢という政治屋に対する不信感(不信頼度)200%を確認した。9月5日の毎日(社説)もまた「(小沢の)首相の資質」に言及している。

小沢自身の“政治とカネ“問題は少しもクリアになっていない。9月2日の産経(主張)がその1件を的確に論じている。「1年有余の強制捜査の結果、不正はなかった、と東京地検特捜部が不起訴処分を下したことを挙げて、改めて潔白を主張したが、東京第5検察審査会から”起訴相当“議決を受け、再び同じ議決が出れば強制起訴される立場にある。元秘書ら3人が逮捕・起訴された(小沢氏の)政治的・道義的責任は大きい。なのに、小沢氏の無罪発言は全くの開き直りであり、何の説明にもなっていない」。

さて、冒頭に述べた“代表選の投票権を外国人に認める危険”について、読売社説(9月5日)を引用しよう。
「民主党代表選は日本の政党の党首選びである。在日外国人にまで投票権を認めるのは、明らかに行き過ぎだ。(中略)憲法は公務員選定・罷免の権利を、公職選挙法は選挙権を“日本国民”にのみ認めている。政治資金規正法は、政党や政治団体が外国人や外国法人から寄付を受けることを禁じている。いずれも、日本の政治や選挙が外国からの干渉を受けるのを防ぐための規定だ。この趣旨に照らせば、政権党であれ、野党であれ、党首選の投票権を外国人に認めることは、きわめて疑問である。(中略)政党は、国民の税金である政党交付金を受ける公的な存在だ。憲法や法律から逸脱することは無論、その趣旨を歪めてはならない。民主党は早期に是正措置を講じるべきだ」(以下省略)ここでまた小沢・山岡・輿石らの顔が浮かんでくる。翁が彼らをかねてより「日本を滅ぼす獅子身中の虫」と危険視した根拠は、この辺にもあるのだ。

「民主党代表選について」の龍翁意見は、結局、小沢(及び周辺)攻撃に終始した。断っておくが、だからと言って“菅首相”を歓迎している訳ではない。確たる信念(国家の指針・当面する現実的内政・外交の具体施策など)が見えない菅にも“首相としての資質を疑う”余地は多くある。両者に対してまだまだ言いたいことは山ほどある。今日9月5日現在、どちらが代表(首相)になるか分からないし政局がどう変わるか不明だが、どうであれ、しばらくは「これでいいのか日本?!」を吼え続けなければなるまい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

せめてアルバムだけでも夏の終わりにちなんだものにしようと見つけたのがこのアルバムです。日本語訳は「過ぎし夏の想い出」です。
やさしい音色のピアノジャズで、スローテンポな曲が多いです。このタイプのジャズは夜、静かに聴くのがいいと思います。

"The Things We Did Last Summer"
New York Trio


1. いそしぎ
The Shadow Of Your Smile 《 J. Mandel 》( 4 : 49 )
2. 過ぎし夏の想い出
The Things We Did Last Summer《 J. Styne 》( 6 : 33 )
3. いつの頃から
How Long Has This Been Going On ?《 G. Gershwin 》( 7 : 31 )
4. ハウ・ハイ・ザ・ムーン
How High The Moon《 M. Lewis 》( 7 : 45 )
5. モナリザ
Mona Lisa《 J. Livingston 》( 3 : 35 )
6. 帰ってくれたらうれしいわ
You'd Be So Nice To Come Home To《 C. Porter 》( 9 : 08 )
7. ペーパー・ムーン
It's Only A Paper Moon《 H. Arlen 》( 5 : 57 )
8. 恋去りし時
When Your Lover Has Gone《 Einar A. Swan 》( 8 : 03 )
9. 時のたつまま
As Time Goes By《 H. Hupfield 》( 5 : 44 )


ビル・チャーラップ Bill Charlap - piano
ジェイ・レオンハート Jay Leonhart - bass
ビル・スチュワート Bill Stewart - drums

録音:2002年4月2、3日 ニューヨーク
雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

先週の日曜日、携帯が無いことに気づきました。金曜日の夕方から携帯を使った記憶が無かったので、ちょっと不安になりました。ドコモのサービスセンターに事情を説明し、まず携帯とアドレス機能をロックしてもらい、GPSで携帯の居場所をチェックしてもらいました。チェックの結果、飲みに行った三宮の住所が検出され、最後に行ったバーだとわかりました。ちょっとヒヤリとしましたが、便利な機能のお陰で携帯が見つかりました。

≪iPad使用記≫
iPadではソフトウェアをインストールする代わりにiPad専用のアプリを入れます。
このアプリはすべてiTuneから購入します。無料のものもたくさんあります。
アプリは14万種類あります。どんなことができるのかワクワクします。
今週は指でメモを書けるアプリを紹介します。
≪Penultimate ≫
普通のメモならテキストをキーボードで入力していくのですが、iPadを紙のメモ代わりに指で文字や絵を書くことができます。イメージで書けるのでとても使いやすいです。書いたメモをメールで送ることもできます。(PDF変換してくれます。)

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.747

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com