龍翁余話(141)「被爆ピアノコンサート」
『アヴェ・マリア』(グノー)の調べが信州・黒姫山の麓、黒姫童話館(童話の森ホール)を荘厳な聖堂に変える。オペラ歌手・熊坂牧子さんの、清らかで美しいソプラノは、いつもと変わりないが、きょうの『アヴェ・マリア』は“天使祝詞”(聖母マリアへの祈祷)のほかに、翁の耳には“未来への平和の祈り”にも聞こえる。その理由(わけ)は?きょうのコンサートのタイトルが『被爆ピアノコンサート』。伴奏するピアニストの市川美穂さんが弾くピアノが、その“被爆ピアノ”である。この“被爆ピアノ”の、もともとの持ち主は広島在住のミサコさん(仮名、1927年生まれ)―――
「ミサコが4歳の時、父にピアノを買って貰った。
ミサコは毎日ピアノの練習に励んだ。担任から音楽学校進学を勧められたが、この時代はもう、ピアノどころではなかった。男たちは戦場へ、女たちも銃後の護り。17歳になったミサコは、女子挺身隊員として広島市内の兵器工場に勤務。昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、突然、あの忌まわしい“ピカドン”。大地がうねり、凄まじい爆音、激しい爆風。街中真っ赤な火だるま、ガラスの破片や瓦などが空を舞う。ミサコの自宅は爆心から1.8キロ。ミサコは工場の瓦礫の山を必死で脱出、我が家へ走る。あちこちに黒焦げの死体、水を求める被爆者の断末魔の叫び、それはまさに地獄絵図。モルタル造りのミサコの家は残っていたが、ドアは吹っ飛び、天井は剥がれ惨憺たる有様、その中に、何とミサコのピアノは立っていた、無数のガラスの破片が突き刺さった姿で。これは奇跡というほかはない。ミサコは泣いた、そして弾いた“トセリのセレナーデ”・・・それは深い悲しみの小夜曲だった・・・
それから長い年月が経った。ミサコは結婚し子どもを産み、歳をとった。その間、被爆ピアノはいつもミサコのそばにあった。ある日、
彼女は地元新聞で、市内の調律師が古いピアノを再生し施設に寄贈している、という記事を読んだ。もう私にはこのピアノを守って行く力はない、この方にお願いしよう」・・・(松谷みよ子著『ミサコの被爆ピアノ』より抜粋)
この方、調律師・矢川光則さん(58歳)と被爆ピアノ(写真)が出会ったのは2005年、矢川さん自身も被爆2世、だから「この“被爆ピアノ”の数奇な運命を出来るだけ多くの人に知ってもらい、戦争の恐ろしさ、悲しさ、平和の尊さを考えてもらえれば」(矢川さん談)ということで(85鍵盤のうち)約半数が動かなかったピアノを見事に蘇らせ、『被爆ピアノコンサート』を企画した。今では全国各地からコンサートの要望があり、その都度、彼は自分のトラックで“被爆ピアノ”を運ぶ。きょうの黒姫童話館コンサートは2007年に次いで2回目だそうだ。
今回、オペラ歌手の熊坂牧子さんが構成・演出・出演の依頼を受けたのは、昨年6月、信濃町のある集いで牧子さんの歌を聴いた松木(信濃町)町長の要請によるもの。しかも信濃町と流山市は姉妹都市関係にあり、今回担当の山縣さんも交流事業を通して旧知の間柄、したがって主催者(信濃町)は当然、牧子さんの音楽活動実績(流山市音楽家協会初代会長=22年間、東洋学園大学講師、流山市ゆうゆう大学講師、音楽4団体指導者、単独またはファミリーでの定期的コンサート活動など)を熟知しており白羽の矢を立てたものらしい。
コンサートはオープニングの『アヴェ・マリア』に続き、ソプラノ・ソロ(牧子さん)の『さとうきび畑』(寺島尚彦)、『花』(喜納昌吉)、ピアノ・ソロ(市川美穂さん)の『ノクターン』(ショパン)、『愛の夢』(リスト)、地元合唱団“コールファンタジー”(宮川君男さん指揮、清水正子さん伴奏)(写真)による『バラが咲いた』(浜口庫之助)、『百万本のバラ』(R・パウルス)、『アオギリ』(藤田真)などが演奏された。
ところで、この“被爆ピアノ”、今年9月にニューヨークへ行く。「アメリカに原爆投下の責任を問うのではない、被爆の恨みを言うのでもない。ただ、この“被爆ピアノ”が奏でる平和への祈りを聞いてもらいたい。それと“9.11無差別テロ”で亡くなった消防士の方々の鎮魂のチャリティ・コンサートにしたい」(矢川さん談)。何故なら、あの日被爆した矢川さんのお父さんも消防士だった。だから彼にとってニューヨーク公演は、父親への鎮魂コンサートでもある。収益金は全てニューヨーク消防局へ寄付するとのこと。
今回の公演をプロデュースした熊坂牧子さんのメッセージ「今、私たちは、被爆してなお逞しく生き抜いたミサコさんのピアノと共に歌う時、争いにも負けない音楽の力と争いのない未来を信じることが出来るのです」この言葉は重い。
♪川は流れてどこどこ行くの 人も流れてどこどこ行くの そんな流れが着く頃には 花として花として 咲かせてあげたい・・・今年もまた8月6日(65年目の)原爆の日がやって来た。ミサコの被爆ピアノが、いつの日か必ずや“平和の花”を咲かせるであろう、そう願わずにはいられないコンサートであった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |