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NO.742               Ryo Onishi              8/1/2010  

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雑貨屋のひとり言

猛暑日が続きます。そして8月になりました。朝からセミの声がやかましいです。近くのショッピングセンタ内に植樹された木を観察すると、細い木にたくさんのクマゼミが止まって鳴いています。セミ密度が高い ですね。これらのセミが一斉に鳴いているわけですからうるさいわけです。ところでクマゼミはもともと南の地域に生息していたセミですが、最近はこの種のセミが異常に多くなっています。私たちが昆虫採集をしていたころはアブラゼミばかりでクマゼミは珍しかったのですが、今は逆にアブラゼミが珍しい時代になってしまいました。これも温暖化の影響なのでしょうか?≪R.O≫

構成吟『明治維新』(2)

――― 前号から続く ―――
〔U〕安政の大獄
 さて、江戸では。大老井伊掃部頭(かもんのかみ)直?(なおすけ)は、水戸の斉昭公と二つの点で意見が対立していた。ひとつは、徳川将軍家のあとつぎ問題。井伊は、現将軍、十三代家定公と血筋の近い紀州の慶福(よしとみ)がよいと言い、斉昭公は、このむずかしい時局を切りぬけるには英明な一橋慶喜(よしのぶ)でなければ、と言う。そして、もうひとつ、開国か攘夷かという大問題。井伊は「開国やむを得ず」、斉昭公は徹底して「尊皇攘夷」です。

 水戸藩では、藩をあげて「大日本史」の編さんに取り組んでおりますうちに独特の「水戸学」というのができた。「理想の国家とは、国学、史学、神道をもとにして天皇を中心にしたものである」という勤皇思想です。水戸の英才が忠臣愛国の気概を格調高く歌いあげます。

★ 和文天祥正気歌(ぶんてんしょうのせいきのうたにわす)
  藤田東湖作
    天地正大気(てんちせいだいのき)
  粋然鍾神州(すいぜんとして しんしゅうにあつまる)
  秀為不二嶽(ひいでては ふじのがくとなり)
  巍巍聳千秋(ぎぎとして せんしゅうにそびゆ)
  注為大瀛水(そそいでは たいえいのみずとなり)
    洋洋環八洲(ようようとして はっしゅうをめぐる)
  發為萬朶櫻(はっしては ばんだのさくらとなり)
  衆芳難與儔(しゅうほう ともにたぐいがたし)
  凝為百錬鐵(こっては ひゃくれんのてつとなり)
  鋭利可断?(えいり かぶとをたつべし)
  盡臣皆熊羆(じんしん みなゆうひ)
  武夫盡好仇(ぶふ ことごとくこうきゅう)
  (後六二句略)

 水戸は、尊皇攘夷の志士たちのメッカとなります。尊皇攘夷の為には一身を投げうつ覚悟をするも、貧困の中に愛する家族を残してゆかねばならぬ者もおります。

★訣  別(けつべつ)  梅田雲浜作
  妻臥病床児泣飢(つまは びょうしょうにふし じはうえになく)
   此心誓欲払戎夷(このこころ ちかってじゅういをはらわんとほっす)
    今朝死別兼生別(こんちょう しべつとせいべつをかぬ)
    唯有皇天后土知(ただ こうてんこうどのしるあり)       
  
 井伊は、大老の権限をもって、まずは自分の推す紀州の慶福を将軍後継者とする。タイミングよく、と申しますか、すぐに十三代家定が亡くなりましたので、十三才の慶福、名を家茂(いえもち)と改めまして十四代将軍になります。

 もうひとつの大問題も、早急になんとかせねばなりません。開国か、攘夷か。「ウーム、アメリカの駐日総領事、タウンゼント・ハリスが貿易をしようと言ってきておる。断って戦いになったら、我国に勝ち目はない。国が亡びては元も子もないではないか」
ついに六月、井伊は独断で日米修好通商条約に調印。勅許なし。しかも、国辱的な不平等条約でした。井伊は自分にたてつく者を片っぱしから弾圧する。世に言う「安政の大獄」です。
   水戸藩主:徳川斉昭   永蟄居
        梅田雲浜   獄 死
        橋本左内・頼三樹三郎・吉田松陰  処 刑。

★ 辞世並和歌(じせい ならびにわか) 吉田松陰作
  吾今爲國死(われいま くにのためにしす)
     死不負君親(しして くんしんにそむかず)
     悠悠天地事(ゆうゆうたり てんちのこと)
     鑑照在明~(かんしょうは みょうじんにあり)
  (和歌)身はたとへ 武蔵の野辺にくちぬとも
    とどめおかまし大和魂

★ 和歌一首
   親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何と聞くらん 

 あたら俊傑がムザムザと殺されてゆく。「もはや井伊を生かしてはおけぬ」 水戸藩士一七名と薩摩藩士一名が脱藩して決起する。

★ 出郷の作(しゅっきょうのさく)  佐野竹之助
  決然去国向天涯(けつぜん くにをさって てんがいにむかう)
  生別又兼死別時(せいべつ またかぬ しべつのとき)
  弟妹不知阿兄志(ていまいはしらず あけいのこころざし)
  慇懃牽袖問歸期(いんぎんにそでをひいて ききをとう)

 雪の霏々(ひひ)と降る三月三日の朝、桜田門外。いつも通り登城する井伊大老のかごが鮮血に染まった。

★ 井伊大老(いいたいろう) 網谷一才作( )
  欽仰締盟先見明(きんぎょうす ていめいせんけんのめい)
  予期満起糾弾声(よきせり みちおこる きゅうだんのこえ)
  剣光一閃墜巨星(けんこういっせん きょせいおつ)
  毅魄凝成万朶桜(きはく こってなる ばんだのさくら)
    ――― 次号へ続く ―――
【注】:この構成吟を含む「南カリフォルニア詩吟連盟主催の吟詠大会」は8月29日(日)午前9時からベニス日系人会館(12448 Braddock Dr., Los Angeles, CA 90066)にて開催されます。入場無料。 
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「終(つい)の住まい」その6

<くじけないで>

通院、入退院、在宅医療、介護、施設入所やその他、時間軸にそって、私の体験を少しずつシェアしているこの数回、ここで、ちょっと一息ついてみようか・・・その名も『くじけないで』。先日、看病、介護、家屋管理、に追われていた私たち夫婦が、たまたま観た“おはよう日本”(2010年7月25日 HNK放送)で紹介された、詩集『くじけないで』。その夜、主人が早速、ネットで超特急注文してくれたらしく、翌日、宅配便で届けられたその『くじけないで』を夫に手渡され、驚いて、喜んで、夫に感謝して、一気に読み込み、一気に呑み込み、そして、一気にはじけた、追われたここ数カ月の生活に心が貧しくなっていたなと気づかされ、「あ〜あ、私のいくじなし!」と呟いたさくら・・・
                
5月28日のフジテレビ朝の番組『特ダネ』でも紹介され、大反響を呼んだというこの詩集「くじけないで」は、著者柴田トヨさんが詩を書き始めた平成15年から平成22年2月までの作品から42点を集めた処女詩集で、今年春に出版された。この柴田トヨさんは、1911(明治44)年6月26日栃木市の裕福な家庭に生まれたが、怠けものの父親のせいで生活が傾き、10代で奉公へ出ることなる。後に結婚、離婚、そして再婚を重ね、一児の母となり、今は100歳。一人息子の勧めで、90歳から書き始めたという詩は、ベッドで横になっている時やテレビを見ている時など、夜に生まれるのだそうだ。思い浮かんだ(閃いた)テーマにそって鉛筆でメモ書きをしておき、毎週土曜日にご機嫌見舞いに来る息子さんに見せ、朗読しながら何度も書き直して完成する詩、一作品の製作日数は1週間以上にも及ぶという。毎朝ベッドから起き上がるのが大変で、辛いそうだ。朝食をとると、その日に来てくれるヘルパーさんへの“お願いリスト”や家計簿、スケジュール管理などを行ない、頭を使い考えることを続けているという。そして「人生、いつだってこれから。生きている限り、誰にも朝は必ずやってくる。しっかり生きよ!」と自身を奮起させているという。

「くじけないで・・・柴田トヨ(飛鳥新社)」の作品から、幾つかを紹介してみよう。
『2時間あれば』
世間には まだ解決されていない 沢山の事件がある 
刑事コロンボ 古畑任三郎警部 二人が協力してくれたら 
犯人をきっと捕まえてくれる筈 2時間あれば
『生きる力』
九十を超えた今 一日一日が とてもいとおしい
頬をなでる風 友からの電話 訪れてくれる人たち
それぞれが 私に 生きる力を 与えてくれている
『朝はくる』
一人で生きていくと 決めた時から 強い女性になったの
でも 大勢の人が 手を差し伸べてくれた
素直に甘えることも 勇気だとわかったわ
(私は不幸せ・・・)ため息をついているあなた 朝は必ずやってくる
朝陽も 射してくる筈よ
『忘れる』
歳をとるたびに いろいろなものを わすれていくような 気がする
人の名前 幾つもの文字 想い出の数々
それを寂しいと 思わなくなったのは どうしてだろう
忘れてゆくことの幸福 忘れてゆくことへの あきらめ
ひぐらしの声が 聞こえる
『貯金』
私ね 人からやさしさを貰ったら 心に貯金をしておくの
さびしくなった時は それを引き出して 元気になる
あなたも今から 積んでおきなさい 年金より いいわよ

永く、心も身体も元気で健康で生き続けられることの証が集約されているような作品集である。100歳のトヨさんの半分を、やっと生きたところの私たち夫婦にとって、これらの詩の短い行間に埋められたトヨさんの時の長さが重みとなり、詩(うた)を深く彩っているように感じる。8月4日に94歳の誕生日を迎える義母へ、私たち夫婦からの誕生日プレゼントとして、この詩集を贈った。おまけとして「声に出して読んでみること、読んだ日付を詩集に記してみること、自分の好きな作品や作品から閃いたことをそのページにメモしてみること」と、主人は義母にリクエストした。老人ホームに入居して二ヶ月半が経ち、義母の時の重さも深まってきた。色々なことを忘れる年齢になり、忘れることが幸福に思えたり、諦めたりしながら生きている。詩集のいたるところに、義母の生きざまが響くかもしれないと思う。そして同時に、「くじけないで」と、私自身にも、そっと呟く、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

一筋の道という我が迷い道

確かこの辺と記憶が行き止まる

情報の海で行方を見失う

七坂を越えて迷路がまだ続く

ドラマには遠い私の放浪記


( ニュースやぶにらみ )

「111歳、実は32年前に死亡」
あやしくなってきた −平均寿命世界一

「辻元議員離党」
新党はよしなよ −与謝野馨、舛添要一

「口蹄疫の非常事態宣言解除」
牛乳で乾杯をした −東国原知事 

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

森田さんから

今週はお休みです。

龍翁余話

龍翁余話(141)「被爆ピアノコンサート」
                           
『アヴェ・マリア』(グノー)の調べが信州・黒姫山の麓、黒姫童話館(童話の森ホール)を荘厳な聖堂に変える。オペラ歌手・熊坂牧子さんの、清らかで美しいソプラノは、いつもと変わりないが、きょうの『アヴェ・マリア』は“天使祝詞”(聖母マリアへの祈祷)のほかに、翁の耳には“未来への平和の祈り”にも聞こえる。その理由(わけ)は?きょうのコンサートのタイトルが『被爆ピアノコンサート』。伴奏するピアニストの市川美穂さんが弾くピアノが、その“被爆ピアノ”である。この“被爆ピアノ”の、もともとの持ち主は広島在住のミサコさん(仮名、1927年生まれ)―――
「ミサコが4歳の時、父にピアノを買って貰った。

ミサコは毎日ピアノの練習に励んだ。担任から音楽学校進学を勧められたが、この時代はもう、ピアノどころではなかった。男たちは戦場へ、女たちも銃後の護り。17歳になったミサコは、女子挺身隊員として広島市内の兵器工場に勤務。昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、突然、あの忌まわしい“ピカドン”。大地がうねり、凄まじい爆音、激しい爆風。街中真っ赤な火だるま、ガラスの破片や瓦などが空を舞う。ミサコの自宅は爆心から1.8キロ。ミサコは工場の瓦礫の山を必死で脱出、我が家へ走る。あちこちに黒焦げの死体、水を求める被爆者の断末魔の叫び、それはまさに地獄絵図。モルタル造りのミサコの家は残っていたが、ドアは吹っ飛び、天井は剥がれ惨憺たる有様、その中に、何とミサコのピアノは立っていた、無数のガラスの破片が突き刺さった姿で。これは奇跡というほかはない。ミサコは泣いた、そして弾いた“トセリのセレナーデ”・・・それは深い悲しみの小夜曲だった・・・

それから長い年月が経った。ミサコは結婚し子どもを産み、歳をとった。その間、被爆ピアノはいつもミサコのそばにあった。ある日、

彼女は地元新聞で、市内の調律師が古いピアノを再生し施設に寄贈している、という記事を読んだ。もう私にはこのピアノを守って行く力はない、この方にお願いしよう」・・・(松谷みよ子著『ミサコの被爆ピアノ』より抜粋)
この方、調律師・矢川光則さん(58歳)と被爆ピアノ(写真)が出会ったのは2005年、矢川さん自身も被爆2世、だから「この“被爆ピアノ”の数奇な運命を出来るだけ多くの人に知ってもらい、戦争の恐ろしさ、悲しさ、平和の尊さを考えてもらえれば」(矢川さん談)ということで(85鍵盤のうち)約半数が動かなかったピアノを見事に蘇らせ、『被爆ピアノコンサート』を企画した。今では全国各地からコンサートの要望があり、その都度、彼は自分のトラックで“被爆ピアノ”を運ぶ。きょうの黒姫童話館コンサートは2007年に次いで2回目だそうだ。


今回、オペラ歌手の熊坂牧子さんが構成・演出・出演の依頼を受けたのは、昨年6月、信濃町のある集いで牧子さんの歌を聴いた松木(信濃町)町長の要請によるもの。しかも信濃町と流山市は姉妹都市関係にあり、今回担当の山縣さんも交流事業を通して旧知の間柄、したがって主催者(信濃町)は当然、牧子さんの音楽活動実績(流山市音楽家協会初代会長=22年間、東洋学園大学講師、流山市ゆうゆう大学講師、音楽4団体指導者、単独またはファミリーでの定期的コンサート活動など)を熟知しており白羽の矢を立てたものらしい。

コンサートはオープニングの『アヴェ・マリア』に続き、ソプラノ・ソロ(牧子さん)の『さとうきび畑』(寺島尚彦)、『花』(喜納昌吉)、ピアノ・ソロ(市川美穂さん)の『ノクターン』(ショパン)、『愛の夢』(リスト)、地元合唱団“コールファンタジー”(宮川君男さん指揮、清水正子さん伴奏)(写真)による『バラが咲いた』(浜口庫之助)、『百万本のバラ』(R・パウルス)、『アオギリ』(藤田真)などが演奏された。

ところで、この“被爆ピアノ”、今年9月にニューヨークへ行く。「アメリカに原爆投下の責任を問うのではない、被爆の恨みを言うのでもない。ただ、この“被爆ピアノ”が奏でる平和への祈りを聞いてもらいたい。それと“9.11無差別テロ”で亡くなった消防士の方々の鎮魂のチャリティ・コンサートにしたい」(矢川さん談)。何故なら、あの日被爆した矢川さんのお父さんも消防士だった。だから彼にとってニューヨーク公演は、父親への鎮魂コンサートでもある。収益金は全てニューヨーク消防局へ寄付するとのこと。

今回の公演をプロデュースした熊坂牧子さんのメッセージ「今、私たちは、被爆してなお逞しく生き抜いたミサコさんのピアノと共に歌う時、争いにも負けない音楽の力と争いのない未来を信じることが出来るのです」この言葉は重い。
♪川は流れてどこどこ行くの 人も流れてどこどこ行くの そんな流れが着く頃には 花として花として 咲かせてあげたい・・・今年もまた8月6日(65年目の)原爆の日がやって来た。ミサコの被爆ピアノが、いつの日か必ずや“平和の花”を咲かせるであろう、そう願わずにはいられないコンサートであった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

 

このコーナーでジャズをご紹介させていただいているお陰で(皆さんにはあまり役に立っているとは思いませんが)、私自身のジャズを聴く愉しみ方が広がっています。音楽ソフトには入れたもののこれまでほとんど聴いたことのないアーティストのジャズをあらためて聴いて新しい発見をしたり、まだ聴いたことのないアーティストのジャズに出会える愉しみがあります。これからもずっと続けて愉しめるなあと思っています。TSUTAYAからの半額セールのメールが届くとワクワクしながら新しいジャズ探しに行きます。
今週は最近見つけたアルバム、女性ヴォーカルのHilary Koleをご紹介します。
これぞジャズって感じの素晴らしい歌声で、聴き惚れてしまうアルバムです。
伝説的なピアニストであったオスカーピーターソンが最後に一緒にレコーディングしたアーティストとしても知られています。彼女は歌声の素晴らしさだけでなく、スタイルも良いし、かなりの美人でもあります。

Haunted Heart  Hilary Kole

1. It's Love
2. There's a Small Hotel
3. 'Deed I Do
4. I Didn't Know About You
5. Better Than Anything
6. Like a Lover
7. Blackberry Winter
8. The Snake
9. Old Boyfriends
10. How Am I to Know
11. What'll I Do
12. You for Me
13. Haunted Heart
14. Windmills Of Your Mind

雑貨屋ウィークリー537号から紹介をはじめたジャズのアルバムをリストにしました。
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

もうすぐお盆休みです。家にいても暑いので山にでも行こうかと思っています。山といっても六甲山や、近場の山です。今日も神戸の好日山荘にリュックサックや靴を見に行ってその気になっています。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.742

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com