龍翁余話(126)「歌舞伎座さよなら公演」
今年2月21日に配信した『龍翁余話』(118)「歌舞伎座」以来、すっかり歌舞伎づいてしまった。先日、翁の愛弟子(我が社の演出家)関根 清が監督したシネマ歌舞伎2本、『蜘蛛の拍子舞(くものひょうしまい)』と『身替座禅(みがわりざぜん)』の試写会に行った。『蜘蛛の・・・』は、源頼光(みなもとのらいこう=尾上菊之助)とその家臣・渡辺 綱(わたなべのつな=尾上松緑)、坂田金時(さかたのきんとき=坂東三津五郎)、碓井貞光(うすいさだみつ=中村萬太郎)、卜部季武(うらべのすえたけ=尾上右近)ら、いわゆる四天王による土蜘蛛退治の物語。坂東玉三郎演じる女郎蜘蛛(妻菊)の美しくも妖気漂う変化(へんげ)に息を呑む。歌舞伎の醍醐味を充分に堪能出来る古風でスケールの大きい舞踊劇。“拍子舞”とは拍子に乗って歌うように台詞を言いながら踊る技法。
『身替・・・』は、恐妻と浮気夫のだまし合いのユーモア溢れる狂言(舞踊劇)。大名の山蔭右京(やまかげうきょう=中村勘三郎)は、恋人の花子に逢いに行きたいが、奥方・玉の井(たまのい=坂東三津五郎)の外出許可が出ない。そこで屋敷内にある持仏道(じぶつどう)に籠もり座禅の行(ぎょう)をすると嘘をつき玉の井を納得させる。右京は太郎冠者(たろうかじゃ=市川染五郎)を呼び身替りとして衾(ふすま=現代の掛け布団)を被せ「誰が来ても、この衾をとるな、声を出すな」と言い聞かせ、急いで花子のもとへ向かう。が、結局はバレル。怒った玉の井は太郎冠者に代わり衾を被って右京の帰りを待つ。
夜も更けて何も知らずに千鳥足で帰ってきた右京は、衾の中の太郎冠者(実は玉の井)に、花子との逢瀬の一部始終を語る。衾の中で怒りに震える玉の井とほろ酔い加減に舞う右京の浮かれぶりとの対比が実に面白い。勘三郎の“目の演技“に”芸術“を見た。(このシネマ歌舞伎は5月15日から全国一斉公開、製作・配給は松竹)。
映像だと、手・足・目の動きがアップで撮られ、それぞれの役者の演技力(芸の真髄)を見ることが出来てそれなりに楽しめるが、芝居やコンサートなどは、やはりナマがいい。あの独特の雰囲気(舞台と客席の一体的空間)に身を置くこと自体、浮き浮き気分だ。
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見納め歌舞伎座(前景) |
「さよなら公演」4月演目 |
名優たちのブロンズ群(2F) |
つい先日、福岡の親友Mさんと『歌舞伎座さよなら公演』(第2部)を観に行った。『寺子屋(てらこや)』、『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』、『藤娘』が演目。
『寺子屋』は、重厚な義太夫狂言の名場面。時は醍醐天皇の御世(平安時代)、藤原時平(左大臣)は、天皇に讒言(ざんげん=ありもしない事柄をデッチあげ)して政敵・菅原道真(右大臣)を九州・大宰府へ左遷させる。寺子屋を営む道真の旧臣・武部源蔵(片岡仁左衛門)は道真の子・秀才(しゅうさい)を匿っていたが、そのことが時平に露見、秀才の首が打たれることになる。源蔵は妻・戸浪(中村勘三郎)と図って寺子の中から身替りをたてようとするが、みな山家育ちの子どもばかりで秀才ほどの器量、才気を備えた子どもはいない。しかも首実験を行なうのは、かつて源蔵と共に道真に仕えた松王丸(松本幸四郎)だから、当然、秀才の顔を知っている。源蔵夫婦が困り果てていたところへ、突然、小太郎という気品に満ちた子どもが入門してくる。源蔵夫婦は泣き泣き小太郎を秀才の身替りにしてその首を松王丸に差し出す。松王丸もその首を秀才と認める。やがて小太郎の母・千代(坂東玉三郎)が息子を迎えに来る。源蔵は千代に斬りかかるが千代は「わが子・小太郎が身替りの役にたちましたか」と尋ねる。驚く源蔵夫婦。そこへ松王丸が再来、実は身替りの小太郎は松王丸・千代の息子であったことが明かされる。涙を誘う名場面に目頭を押さえる観客があちこちに・・・
『三人吉三・・・』お嬢吉三(尾上菊五郎)は夜鷹・おとせ(中村梅枝)の懐から百両を奪い取った挙句、大川へ突き落とす。それを見ていたお坊吉三(中村吉右衛門)がお嬢から百両を巻き上げようとして二人は争う。そこへ通りかかった和尚吉三(市川團十郎)が仲裁に入る。互いに名乗り合ったら偶然にも三人とも“吉三”。そこで義兄弟の契りを交わす。七五調の台詞でお馴染みの黙阿弥(幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者)の名作だ。『藤娘』(藤の精)を演じる坂田藤十郎は、さすが人間国宝だけあって年齢(79歳)を感じさせない艶やかさ、五変化(衣装の早替わり)も見事。
ところで翁、今回の観劇で特に関心を強め注目したのが舞台の左右で演じる浄瑠璃と歌舞伎音楽囃子。浄瑠璃は三味線を伴奏楽器として太夫(浄瑠璃を語る人)が詞章(ししょう)を語る音曲で、それは単なる歌ではなく劇中人物の台詞やその仕草、状況の描写をも含むところから“語り物”と言われている。さらに歌舞伎音楽囃子も歌舞伎には欠かせない。三味線、能管(笛)、大小の鼓(つづみ)、摺鉦(すりがね)、太鼓などがそれぞれの場面(情景や人物の心理・感情)を盛り上げる。
盛り上げる、といえばもう1つ“大向こう”がある。劇場の3階辺りから舞台に向かって「成田屋(市川團十郎)」、「音羽屋(尾上菊五郎)」、「中村屋(中村勘三郎)」、「高麗屋(松本幸四郎)」、「松嶋屋(片岡仁左衛門)」、「山城屋(坂田藤十郎)」、「大和屋(坂東玉三郎、坂東三津五郎)」など屋号で声を発する。その掛け声を自分の演技(演出)にうまく活用する役者もいるそうだ。しかし、その掛け声、むやみに発しては舞台(劇)を台無しにする危険性もある。有名役者が舞台に登場した時、見得を切る時、引っ込む時、語りや鳴り物がない時などが一般的である。原則としては男性なら誰でも声を掛けていいのだが、歌舞伎座の場合は“掛け声の会”というのがあって、簡単な審査(歌舞伎の歴史、俳優の屋号、掛け声の実技など)が行なわれ、その会に所属することを条件に“木戸御免”(無料入場)制度があるそうだ。但し、殆どの場合、3階席。そもそも“大向こう”とは、安い料金の席(3階席)を買って、しょっちゅう劇場に足を運んでくれる歌舞伎ファンのこと。彼らはかなりの歌舞伎通(かぶきつう)で、役者たちの演技が彼らから喝采を得られれば“大向こうをうならせた”ということになる。
歌舞伎の、あの独特の音曲やセリフ回しは、正直なところ翁は(国語的理解力としては)半分くらいしか聞き分けることが出来ないが、拍手を送りたい箇所、掛け声を発したい所では自然と反応する。プロの掛け声、拍手とタイミングが合った時は、それなりに嬉しいものだ。声は出さないけれど拍手は送る。その時、舞台との一体感を実感する。
さて、明治22年(1889年)にその第一歩を踏み出した歌舞伎座は、大正13年(1924年)に現在の建物の原型である奈良朝桃山様式の大殿堂が落成、戦時中の空襲で消失したが、昭和26年(1951年)に現在の歌舞伎座が復興。しかし老朽化が進みこの4月末日をもって解体、建て替え工事に入る。新しい歌舞伎座がお目見えするのは2年後の2013年春の予定だ。あのカビ臭い古びた場内には半世紀を超える歴史の匂いがあって、翁はその雰囲気が大好きなのだが、“危険”とあっては建て替えも仕方あるまい。風雪に耐え抜いた場内の柱や床、天井に名残を惜しみながら「さよなら」を告げた。親友Mさんも“最後の歌舞伎座”を存分に堪能した様子だった。「行く春に 歌舞伎囃子の 音(ね)も寂し」・・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |