龍翁余話(125)「神宮外苑散策」
知らないことが多過ぎる。永く生きていて「こんな所に、こんな歴史があったのか」の場面に出くわすことが多過ぎる。それも、何回か来た所、何回も車で通った所で、けっこう知っている、と思っていたはずなのに、それは上っ面ばかりで、本当のことや詳しいことは何も知らなかった(ことが多過ぎる)・・・いかに関心度、注意力が希薄であったかを情けなく思う。しかし、遅ればせながらでも「ここに、こんな歴史があった」を知った時の感動・感激は、また、格別だ。知識(情報)を得て少しは賢くなった気分になる、ということは、多分、こんなことの繰り返しなのかも知れない。
昨年8月と今年1月の2回、東京・信濃町にある慶応義塾大学病院で厄介なガン手術を受けて以来、毎週火曜日が翁の通院日(検診と免疫治療)となっていたのだが、先日の火曜日(4月6日)、主治医(K博士)から突然「今日の治療は中止して検査しましょう。すでにガン退治は完了しているはずです」と言われ、早速、内視鏡検査を受けた。結果は嬉しいことに主治医の診たて通りだった。「よく頑張りましたね、もう大丈夫です。念のため今月○日にCT検査を受けて下さい。5月○日にまたお会いしましょう」・・・この時の翁の気持ち、どう表現したらいいだろうか、ガン再発防止とは言え、かなり苦痛だった免疫治療からやっと開放される喜びが、翁の心を弾ませた。暖かな春陽はまだ高い。浮き浮き気分の足が病院近くの神宮外苑へ向く。名残り桜を見物しながらの外周散歩のつもりだったが、さてさて随所に「ここに、こんな歴史があったのか」に出会うことになる。 
外苑のシンボルは何と言っても明治天皇と昭憲皇太后のご遺徳を後世に永く伝えるために大正15年(1926年)
建造された『聖徳記念絵画館』。建物の規模は東西の長さ112m、南北の長さ34m、地上(中央ドーム頂点)の高さ32m、威風堂々たる構えだ。館内展示場は、延べ250mの壁面に畳3枚分ほどの大きな絵画80点が、明治天皇、昭憲皇太后の事績を伝えている。明治天皇ご降誕、王政復古、伏見鳥羽戦、五箇条ご誓文、江戸開城談判、即位礼、皇后冊立(天皇がご結婚されて皇后を正式に定める)、岩倉大使欧米派遣、西南の役、憲法発布式、陸海軍演習御統監、日清戦争(平壌戦、黄海戦)、靖国神社行幸、日露戦争(旅順開城、日本海開戦)など幕末・明治の歴史(近代日本のあけぼの)を時系列で見ることが出来る。(館内は撮影禁止)
約30万平方メートルの庭園内に、この絵画館のほか国立競技場(1964年東京オリンピックのメイン・スタジアム)、神宮球場、プール、テニスコートなどがあることはよく知られ
ており、特に、国道246号(青山通り)から白亜の絵画館を望む4並列街路樹146本のイチョウ並木はあまりにも有名。絵画館のチケット売り場で貰った『史跡でたどる明治――散策しながら過ぎし時代に想いを馳せて見ませんか』のパンフレットを手に、イチョウ並木が外苑中央広場の円周道路に至る右側『御観兵榎』へ(初めて)足を踏み入れる。
1887年(明治20年)、ここに青山練兵場が出来て以来、明治23年、明治天皇がこの榎の場所で憲法発布観兵式をご覧になったそうだ(写真左)。このエリアは静かで落ち着いた小さな植物園といった感じ、翁、大いに気に入った。そこから円周道路へ出て信濃町駅方面へ歩くと(その時期の)目まぐるしい寒暖の変化に耐えて懸命に頑張っている枝垂桜を見る。思わず「おう!(美しい!)」と感嘆の声を発し、シャッターを切る(写真中)。絵画館の正面に向かって右側の角に『名木・ひとつばたご』というのがある(写真右)。モクセイ科の落葉高木で、幕末からこの付近にあった珍しい樹木、これを見た人たちが「これはいったい何の木じゃ?」と問答していたところから別名“なんじゃもんじゃ”と言われているそうだ(が、本当だろうか?)。初夏には、あたかも雪が降り積もったかのような白い花が、周囲の新緑に映える、と資料に書かれている。
絵画館の裏手に回ると、そこには『葬場殿址』(明治天皇ご葬儀の際、御霊柩車が安置された場所)(写真左)があり、更に回ると『樺太日露国境天測標石』(明治38年、日露講和条約締結により樺太の北緯50度以南が日本領となった、その境界を標示する標石)(写真中)、そして絵画館の左(国立競技場側)からの入り口にある『御鷹の松』(徳川3代将軍・家光ゆかりの松)(写真右)の史跡を知る。恥ずかしながら、どれもこれもが新しい発見であった。
主治医から“安全宣言”されたことに気をよくしての神宮外苑散策で「ここに、こんな歴史があったのか」に出会えた。若い頃、関心度希薄、注意力散漫だったことの反省を、これからは少しずつでも感動・感激に替える行動力を高めたい。健康第一に「歩く・観る・聴く・語る・書く」を続けたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |