龍翁余話(123)「靖国の桜」
気象庁(東京管区気象台)が今年の、東京の桜の開花を宣言したのが3月22日、昨年より1日遅く、平年より6日早い開花発表だったそうだ。その開花を見定める標本木が靖国神社にある。靖国神社は黒船来航以後の、戊辰戦争に至る幕末期において「国家のために一命を捧げた人々の霊を慰め、彼らの遺徳を長く後世に伝えよ」との明治天皇の思し召しによって明治2年(1869年)、『東京招魂社』として創建された。創建に最も尽力したのが明治天皇の信望の厚かった木戸孝允や大村益次郎(いずれも長州藩)。大村は建立地を現在地(九段)に求め、木戸は翌年(明治3年)、神苑に染井吉野を植え“靖国桜”の源を造る。現在、靖国神社の境内には、染井吉野をはじめ山桜、寒桜、富士桜、緋寒桜、枝垂桜など約600本の桜が毎年、東京の春を彩っている。なお『東京招魂社』は明治12年(1879年)、「国家の安泰と平和を願う」明治天皇の大御心(おおみこころ)によって『靖国神社』と改称された。それより2年前(明治10年)、日本最後の国内戦争『西南の役』(2月15日〜9月24日)の最中、木戸孝允は盟友・西郷隆盛の命運と明治新政府の行く末を案じながら44歳の若さでこの世を去った。ご承知の読者も多かろうが、木戸孝允(桂小五郎)は吉田松陰の愛弟子、坂本龍馬らの仲介で薩摩の西郷隆盛や小松帯刀と手を結び“薩長連合”から倒幕へと導く。明治新政府にあっては参議、文部卿などを兼務しながら五箇条御誓文、版籍奉還・廃藩置県、四民平等、憲法制定と三権分立及び二院制の確立、教育の充実などを提言し明治政府(新生日本)の基礎を固めた人物の一人。
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能楽堂横の“標本木” |
神門前のソメイヨシノ |
さて、昨日(27日)の土曜日、心地いい春日和に誘われて靖国の桜見物に出かけた。朝早く、親友のJさんに電話してお付き合いをお願いしたら快諾、Jさんは靖国神社擁護派の翁の良き理解者であり、7年前に翁が制作(編集)した戦争記録映画『私たちは忘れない』(現在も遊就館=戦史資料館の第2映像ホールで毎日上映中)の大ファンでもある。そのJさんと昼、遊就館の喫茶ルームで待ち合わせ、“海軍カレー”を食べたあと境内を歩く。“開花宣言”から5日も経っているので、そろそろ見ごろになっているのではと期待したのだが、残念ながらまだ3〜4分咲き。それでも見物客の多いこと、外苑から内苑に到る参道や境内名所の各所は大勢の観光客でごった返していた。その名所の1つが『神池庭園』。ここの枝垂桜は必見の価値がある。その隣に『相撲場』がある。明治2年の鎮座祭で大相撲が奉納されて以来、現在に到るまで毎年の“春の例大祭”には横綱以下全力士による奉納大相撲が行なわれている。それとこの場所は(あまり知られていないが)例大祭に際して本格的な競馬興行(明治31年まで続く)やフランス・スリエのサーカス興行が催された場所というから、一般的な靖国のイメージとはほど遠い、のどかな歴史もあったのだ。
更に翁、この機会に是非クローズアップしておきたいのが『鎮霊社』。戦争で亡くなられ、靖国神社本殿に祀られていない国内及び諸外国全ての人々の霊を慰める社で昭和40年(1965年)拝殿・本殿脇の『元宮』(靖国神社の前身)の隣に建立された。この存在を日本国民や諸外国(特に中国や朝鮮半島の人たち)は、どの程度知っているだろうか?いや、殆どの人が知らない。それは、本殿と同じように朝夕の慰霊詞奉納を欠かさない『鎮霊社』の存在を広く知らしめなかった靖国神社の不必要な謙虚さ、つまり広報ベタ、怠慢の結果である。古来、日本には人が亡くなった時には敵も味方もない、みな同じ仏様として冥福を祈るという美風がある。だから諸外国に対して「あなたの国の戦没者の祭礼も行なっていますよ」と、ことさら言いふらす必要もなく、神社として当然の祭儀であるとするのが日本的神道文化であるという解釈もあるのだが、『鎮霊社』の存在と靖国の精神(日本の美風)を知ることによって“アンチ靖国”の人たちの靖国神社に対する心の在りようが少しは変わるのでは、と思うのだが、どうだろうか?
「靖国の桜」と言えば、どうしても英霊たちに思いが往く。軍歌『同期の桜』(西条八十作詞、大村能章作曲)の5番に“貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう”という雄々しくも哀しい歌詞がある。(27日現在)まだ4分咲きではあるが、靖国の桜の花びらの1枚1枚に英霊たちの魂が宿り、やがて寄り添い(満開となり)、今日の日本の平和と繁栄を見届けて(来春まで)また静かな眠りにつく。
春風が運ぶ『同期の桜』のメロディが翁の胸を衝き、英霊たちへの純粋な感謝と慰霊の心を強める。おそらくJさんも同じ心情だったろう。しかしJさんも翁も、その心情は戦争讃美とは全く関係ない。それどころか、2度とこのような英霊施設が作られない平和な世の中を構築、継続させることが靖国に眠る英霊たちへの最大の供養であり恩返しであることをJさんも翁も充分に知っているから・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |