今回も国語辞典をめくりながら、漢字について書くことにします。今回は『粋(いき)』という文字をとり上げました。私はこの『粋』という字が大好きです。『粋(いき)』とい文字を見、また発音を聞くと、なぜかほのぼのとした気分に浸れるのですが、それは私だけでしょうか。そこには日本人の、特に江戸っ子の真髄にふれる気がして、懐かしくもなるから不思議です。
そもそも『粋(いき)』とはなんなのでしょうか。私の感覚としては、この言葉には文字では表現できない感情的・主観的な要素が多く含まれるので、国語辞典でその意味をしらべる行為そのものが『粋(いき)』の本質から離れていそうですが、でも先ずは手もとの辞典(岩波書店、広辞苑第二版)で調べてみました。
★ いき【粋】:(「意気」から転じた語)
@ 気持や身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること。すい。
A 人間の表裏に通じ、とくに遊里・遊興に関して精通していること。また、遊里・遊興のこと。⇔ 野暮。 |
私は数年前、この欄に『ユーモアを楽しもう』というタイトルでジョークやしゃれについて書いたことがあります。ユーモアやジョークは面白いこと、笑いを誘うことはもちろん必要です。でも面白ければよい、聞き手が笑ってくれればよい、というものでもないでしょう。そこには「センスのよさ」が必要条件としてあると思います。
「センスのよさ」とはなんでしょうか。テレビのお笑い番組で、相手や他人の欠点や弱点を笑いのタネにする芸人を見ることがありますが、これもその芸人のウリネタですので非難するつもりはありませんが、少なくとも私には「センスがよい」とは思えません。私の主観を述べさせてもらえば、「センスのよさ」とは「健康的で明るいこと」、そして「粋(いき)であること」ではないかと思っています。
この場合の「粋(いき)であること」とは、(本来、感情的・主観的であるべき内容を文字として表現するのは適切ではありませんが)上記広辞苑の解釈を参考に、私は次のように定義することにしたいと思います。
(1)さっぱりして、あかぬけていること、(2)色気のあること、(3)人情のうらおもてに通じていること。そして(2)でいう「色気」についての私見は、以前私が当欄に書いた『ユーモアを楽しもう』から以下転載(再掲)させていただきます。
上記(2)で言う「色気」 とは
本来、上品な言葉で、決して「エロ気」でもなければ、「色きちがい」や「露出狂」を示す言葉でもありません。「セクシー」
ではあっても、その根底にきちんとした教養、マナーがあり、立ち居振る舞い、話し方など、基本作法を完成させた上ではじめて出てくるものだと思っています。例えて言うなら、男性・女性に関係なく、すべてにわたって完璧で奥ゆかしい人が、どこか
一ヶ所(例えば髪とか、襟足とか、裾とかが)ほんの少しだけ乱れると、何ともいえぬ上品な色気を感じるものです。ここでいう「色気」とはそんな意味と理解しています。
ジョークや洒落には、ウイットに富んだおかしさも重要な要件なので、状況に応じては、多少色気の品位面で妥協の必要もありますが。仮に妥協したとしても、根底の所では常に一線を画する必要があると思っています。(この「一線」の基準は、「主観」の問題ですが) 河合将介(skawai@earthlink.net) |