龍翁余話(104)「東京時代祭り」
九州や関西、あるいは外国から友人が訪ねてくると、翁は(相手の希望を確かめてから)東京や横浜の名所を案内するのが習慣になっている。今回も故郷の友人を浅草に案内した。
その日は東京に木枯らし1号が吹きこの秋一番の寒さを記録した文化の日。雷門をくぐって大勢の観光客でごった返す仲見世通りをやっとの思いで抜け、改装中の浅草寺を遠くから拝み、伝法院通りから六区へ。浅草六区と言えば明治、大正、昭和を通じて興業.映画で賑わい東京屈指の娯楽街として発展した。六区通りには、ここで育ったエノケン、古川ロッパ、坊屋三郎、田谷力三、浅香光代、シミキン、伴淳三郎、デンスケ、コロンビアトップ、森川信、水の江滝子、渥美清、三波伸介、由利徹、内海桂子・好江、萩本欽一ら33名の芸能人の写真が飾られている。今はロック・ブロードウエイという洒落た名称が付けられているが、浅草演芸場(寄席の劇場)と数軒の映画館を残すだけで、昔の面影は消えてしまった。
老舗の大衆食堂Jで食べた天ぷら蕎麦のまずさにムカつきながら再び雷門通りに出ると、両側の歩道に人垣が出来つつあるので近くの人に訊ねたら、2時頃から『東京時代祭り』のパレードがある、とのこと。以前、テレビ ニュースか何かで見たことはあるが、実物はまだ見たことがない。友人の意向をうかがったら「是非、見たい」ということで、早速、カメラ・ポジション探しをした。行列は、1時半に花川戸公園を出発して馬道通りから雷門通りを練り歩く。雷門辺りに到着するのは2時過ぎになる、という話を小耳にはさんだので、翁たちは馬道通りの松屋前に陣取った。それでも30分近く待っただろうか、ようやく先頭がやって来た。
推古天皇の御世(628年)、ある日、兄弟漁師が隅田川下流で投網をしていたところ、一体の金色の観音像が網にかかった。その話をきいた土地の豪族某がこれを聖観世音菩薩の尊像であることを知り、彼は自宅を寺にしてこの3人は礼拝に生涯を捧げる。これが浅草寺の起源であると言われ、後世、この3人は浅草の開拓者として“三社大権現”の尊称を与えられて三社祭へと発展することになる。この秘仏(観音像)は浅草寺本堂に奉安されている、などが資料に書かれている。 また、観音像が祀られた数日後、天から金鱗の龍が舞い降りたという。金龍山浅草寺の山号はその伝説にちなんだものだそうだ。行列はまず『金龍の舞』に始まる。祭りは30のテーマからなり、30チーム(1600人)によって演じられる。平安時代の在原業平(平安時代の貴族・三十六歌仙の一人、『伊勢物語』の主人公)、源頼朝(鎌倉幕府開府・征夷大将軍)、北条政子(頼朝の
妻・頼朝亡き後、尼将軍と呼ばれ鎌倉幕府に君臨)、太田道灌
(室町時代の武将・武蔵野国守護職、江戸城築城)と続き、白鷺の舞では、沿道から一段と大きな拍手が沸く。白鷺と浅草寺の関わりについては知らないが、春秋の年2回、白鷺の衣装をつけた踊り子たちが浅草寺境内を一巡するそうだ。
行列は江戸時代に入る。徳川家康(江戸入府、江戸城を修築、浅草寺を祈願寺と定める)、徳川秀忠(2代将軍、浅草寺二天門建立)、徳川家光(3代将軍、三社権現社=浅草神社建立)、大奥御殿女中(将軍家夫人の居所、職制を整えたのが家光を支えた春日局)、参勤交代大名行列(家光は諸大名に1年ごとの江戸入りを義務付けた。格式を整えての長い旅路に大名たちは多額の出費を強いられた。諸大名の経済力を削ぎ幕府への反逆を抑える意図があった)。この行列は、会津藩奴隊が友情出演、赤面奴の迫力ある演技に観客は沸いた。赤穂義士(本所松坂町の吉良邸討ち入りの後、隅田川の永代橋を渡って高輪・泉岳寺に向かう四十七士)、江戸町火消し(8代将軍吉宗によって江戸南町奉行に任命された大岡越前守忠相は、有名な“大岡裁き”のほか目安箱の設置、新田開発に尽力、特に“火事と喧嘩は江戸の華“と言われるほど火事の多かった江戸に『いろは48組の町火消し』を組織した功績は大きいとされている。
いつの間にか4時を回った。このあとパレードは黒船来航、最後の将軍(15代慶喜)、戊辰戦争、明治維新と続く。幕末史好きな翁、本当はもう少し粘りたかったのだが、寒さと(立ちっ放しの)疲労で体力が限界に来た。友人も(術後の)翁を気遣って「そろそろ引き揚げましょうか」と言ってくれた。
実は、この日、翁たちは浅草に行く前、高輪の泉岳寺を参詣した。この寺(曹洞宗)は1612年に徳川家康が(現在の虎ノ門付近に)建立、寛永の大火で消失、3代将軍・家光は毛利家や浅野家に高輪移転・復興を命じた。泉岳寺と浅野家との関わりはここに始まる。四十七士墓所にお参りし、赤穂義士記念館、四十七士木像館を見学して浅草に向かったのだが『時代祭り』で再び赤穂義士に出会った。「奇遇を感じます。今後、忠臣蔵(映画)を観るのが楽しみ」とは友人の感想。12月13日、14日は義士祭。いずれ“四十七士、切腹までの50日間”を書いてみたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
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