龍翁余話(90)「根岸界隈ぶらり旅」<その2>
やはり、ぶらり旅はいい。新しい発見がある。感動にも出逢う。根岸界隈をぶらつくにあたって、同行のKさんが日暮里駅や(途中で立ち寄った)2,3の店から仕入れてくれた“散歩マップ”を眺めていたら『夕焼け小焼けの碑』(第二、第三日暮里小学校)が目にとまった。翁、驚いた。つい先日、作詩者・中村雨紅の生誕地・八王子市上恩方の『夕焼け小焼けの里』を訪ねたばかりだ(龍翁余話(87)「古きを訪ねて」<その2>)。
何という巡り合わせだろう。それにしても、何故、この地に碑が?・・・もう一度、雨紅(1897年―1972年)の資料を読み直した。1916年に東京府 立青山師範学校(後の東京学芸大学)を卒業して、その年に第二日暮里小学校へ奉職、その後、第三日暮里小学校へ転勤、とある。それで納得。せめて写真だけでもと思い、尾竹橋通りを歩いて第二日暮里小学校へ。近年、部外者は勝手に学校内には入れない。あらかじめ許可を得ようと学校に電話した。副校長先生が応対してくれた。「碑は正門の横にありますから、道路からご自由に撮れます」そしてこうも言った「雨紅先生のご遺徳を顕彰するために、生徒と一緒に守り続けています」と。確かにその碑は、きれいに磨かれていた。雨紅の生誕の地・宮尾神社の境内に、文字も見えないまま放置されている碑とは大違い。 学校や生徒たちの中村雨紅先生に寄せる熱い思いが感じられて嬉しかった。思いがけなくもKさんのおかげで『夕焼け小焼け』に再会することが出来た。感謝である。
尾竹橋通りを戻って言問通りに出る。鶯谷駅の近くに、天照大神の兄神・大山祇命(おおやまづみのみこと)を祀る元三島神社がある。700年以上も前に創建された由緒ある鎮守様なので是非、参拝したいとやって来たのだが、拝殿は小山の頂上。(目算で)50段の石段を登らなければならない。かなり歩き廻ったあとなので足が重い。Kさんと顔を見合わせ、暗黙の合意で鳥居から拝むことにした。石段の下、境内(小山のおなか)をえぐった洞窟状の店舗(飲み屋など)が数3,4軒、奇妙な様相だ。戦時中の名残りだろうか?
徳川9代将軍家重、10代将軍家治の時代(田沼時代)、大田南畝(おおたなんぼ)と言う狂歌師がいた。蜀山人(しょくさんじん)とも言う。狂歌とは、世相風刺、皮肉、滑稽などを5・7・5・7・7の短歌(和歌)構成でパロディ化したもの。南畝の狂歌に“恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺”というのがある。“恐れ入谷”は多分“恐れ入る”の地口(駄洒落の言葉遊び)だろう。それで有名になった(か、どうか定かではないが)鬼子母神(日蓮宗真源寺=1659年創建)に参拝した。門札の解説には“鬼子母神はインド仏教上の女神の一人。性質凶暴で、子供を奪い取っては食べてしまう悪神であった。釈迦はこの鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させて改心させたという。以後、小児の神、児女を守る善神、安産の守護神として信仰されるようになった。入谷鬼子母神では、子育ての善神になったという由来から、ツノのない『鬼』の字を使っている”と書かれている。 (註:翁のパソコンには、その字が無いので”鬼子母神“と表記した。)
Kさんと翁が参詣した後に、恒例の夏の風物詩・朝顔祭りが催された。7月6、7、8の3日間、鬼子母神前の通りには100を超える露店が見事な朝顔の鉢を並べたそうだ。そして、ここにも正岡子規がいる。境内に歌碑がある。
『入谷から 出る朝顔の 車かな』・・・
ご記憶だろうか?『龍翁余話』(86)「古きを訪ねて」<その1>で小金井公園の“江戸東京建物園”を紹介した中に、1856年(安政3年)創業の江戸居酒屋文化の真髄・鍵屋(大正元年築)”のことを1行だけ書いた。その“居酒屋の今“を知りたくて「根岸界隈ぶらり旅」の終着駅を居酒屋・鍵屋と決めていた。暖簾をくぐるには、まだ早すぎるので、もう少し周辺の下町情緒を味わうことにした。鬼子母神から言問通りを、鶯谷駅方面へ戻る途中の反対側に“うぐいす通り商店街”がある。明治・大正・昭和初期の建物や老舗がレトロな雰囲気を醸し出している。入り組んだ路地は迷い道、だが、そこにも新鮮な発見があったりして楽しい。ふと、お化け屋敷のような古い洋館に出くわした。見回したが標札は見当たらない。手持ちのマップによると“陸奥宗光(明治25年、第2次伊藤内閣の外務大臣)居住跡、明治38年頃の建築”とある。ならば当然、文化財としての価値はある、と思って東京都有形文化財一覧を調べたが指定されていなかった。

さて、居酒屋・鍵屋入り口の置灯篭に灯りがともった。店内は、古びたポスターや道具類など、小金井で見た大正・昭和初期の雰囲気と同じ。すでに馴染み客が数人。下戸の翁はウーロン茶、いける口のKさんは、主人(6代目・清水さん=写真)お薦めの日本酒(翁、銘柄を知らない)。鰻の串焼き、焼き鳥、煮奴(湯豆腐)などをパクつきながら、主人・清水さんの話を聞く。「6歳の頃、お会いした永井荷風や谷崎潤一郎をはじめ、多くの作家先生が来られたことが自慢です」。
古くは江戸時代から多くの文人墨客、粋人に愛された街・根岸。とりわけ正岡子規、及び子規との交流が深かった文豪、俳人、書画家たちのゆかりの場所が諸処に見られて楽しかった。思えば、音楽家・Kさんに上野の美術館に誘われて、の流れで「根岸界隈ぶらり旅」が実現した。この界隈、まだ見たい所は沢山ある。「いつかまた2人で“下町ぶらり旅”を」のKさんのお申し出に感謝して・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |