龍翁余話(82)「“天地人”ゆかりの地・六日町」<その2>
先日、『天地人』ゆかりの地・六日町(新潟県南魚沼市)を訪ねた時、直江兼続(なおえ
かねつぐ)の生家を模して建てられた『直江兼続公伝世館』を参観した後、地元のMさん
と出会ったところで前号は終わった。今号は、そのMさん(元・高校教師)のご親切なガイドで、坂戸城跡や上杉景勝(うえすぎ かげかつ=上杉謙信の甥で養子、第2代上杉家当主、初代米沢藩主)と家老・兼続主従が幼少の頃、共に学んだ雲洞庵(うんとうあん)を訪ねる。
『坂戸城』は戦国時代、上田庄(うえだのしょう=南魚沼市)を見渡す越後有数の山城であった。坂戸山山頂(標高634m)に本丸、麓に平時の城主の館、その周辺に家臣屋敷が密集していた。Mさんのご案内でその史跡(国指定文化財)へ向かう。ゆっくり、田んぼ道を歩くと池が数箇所。「魚野川が自然の外堀、それだけでも防御性は高いのですが、更にここ(城の入り口)に内堀(埋田堀)を造り強固な守りとしました。自然の要塞・坂戸山に築かれた坂戸城は、勇猛果敢な上田長尾軍団と地の利によって一度も落城したことがない名城だったのです」とMさんは、やや自慢げに語る。入り口から100mほど登った所の左右に家臣屋敷跡(写真:左)。「御館(城主の館)を囲んで、推定800戸くらいの家臣屋敷があったのではないか」とMさんは言う。家臣屋敷跡一帯はカタクリの群生地。例年4月下旬の雪解け時期に可憐な花を咲かせるそうだが、今はもう時期はずれ。更に50m上がった所に御館跡がある(写真:右)。
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上杉謙信の姉・仙桃院がここの城主・長尾政景に嫁ぎ2男2女をもうける。長男(義景)は10歳で他界、次男・景勝が世継ぎとなるも、間もなく謙信の養子として春日山城に迎えられる。入城の際、上田衆(家臣)の中から精鋭騎馬隊『上田五十騎』を編成、これがのちに上杉軍最強軍団として怖れられ、数々の軍功を立てる(写真:右「坂戸城跡」の碑の脇にある小さな碑)。謙信病没後、もう1人の養子・景虎(北条氏からの人質)と家督争い(御館の乱=上越市)で勝利、第2代上杉家当主(春日山城主)となり、坂戸城は春日山城の支城に。なお、景虎に嫁いだ景勝の妹・華姫は、御館の乱で敗れた後、鮫ケ尾城(妙高市)で夫と共に自決する・・・と、Mさんの歴史談義は流暢。「この直ぐ上に『天地人』の撮影場所があります」と言うので行って見た。ドラマの最初の頃、与六(のちの兼続=妻夫木聡)と親友の又五郎(のちの泉沢久秀=東幹久)が山中をうろついている時、武田軍に遭遇、弓矢を放たれ、逃げ回るシーンが撮影された場所・・・なるほど、(監督は)いいロケ地を選んだものだ。静まり返った杉林の中から、今にも与六、又五郎が飛び出して来そう・・・
タクシーを呼んでMさんと一緒に『雲洞庵(うんとうあん)』へ。赤門(正門)(写真:左)をくぐっただけで、禅寺(曹洞宗)の荘厳さと1300有余年の歴史の重みを感じる。
仙桃院は、わずか5歳の与六(兼続)の非凡なる資質を見抜いて、10歳の我が子・喜平次(景勝)の小姓の一人に抜擢、一緒にこの寺で学ばせた。座禅堂(写真:中)、学びの部屋(写真:右)などは当時のまま。13世住職・通天存達(つうてんそんたつ)禅師の教え“国の成り立ちは民の成り立ちによる”が、2少年に“民への慈愛”を育ませ、謙信の教え“義の精神”とともに後年、景勝・兼続主従の政治理念の基本となる。Mさんの説によると、兼続の兜の前立てに掲げた『愛』は、民を愛する心を表す意味だそうだ。今、“義と愛”を掲げられる政治家はいるか?残念ながら見当たらない。
再びタクシーを呼んで六日町駅近くの『愛・天地人博』会場へ。翁、いつまでもMさんのご親切に甘える訳にもいかず、お宅前までお送りしようとしたのだが「私も楽しいのです。ご一緒に」ということで、とうとう会場まで付き合わせてしまった。正直、ここは大河ドラマ『天地人』の宣伝場所、見るべきもの無し。早々に会場を出た。駅近くの喫茶店で電車の出発時間までMさんと談笑した。それが楽しかった。「ところで、兼続生誕の樋口家はどこにあるんですか?」の翁の問いに、Mさん「隣駅の塩沢に樋口姓が沢山あり、末裔がいると思うのですが、お恥ずかしい。さっそく調べておきます」と頭をかいた。何とも清々しいお人だ。今後の交友を約束してくれたのが嬉しかった。
北の大地に稀有の智将あり、と秀吉や家康を怖れさせた上杉家の家老・直江兼続は60年の生涯をかけて“義と愛”を貫いた。大河ドラマ『天地人』がこのあと、彼の生きざまを、どう描写していくかが見ものだ。いつかまた景勝・兼続主従の生誕の地・六日町を訪ねたい(Mさんとの再会も楽しみに)。そして、山形県米沢市にある上杉歴代藩主の墓・上杉御廟所や兼続と妻・お船、景勝の母・仙桃院、景勝の妻・菊姫が眠る林泉寺をも再訪したい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |