メキシコ・アメリカをはじめ、世界各地で突如発生した新型インフルエンザに対し、日本の空港、港などで当該ウイルスが国内に持込まれないよう水際作戦が展開されています。特に感染による発病者のいる地域からの日本入国者へは当然ながら厳重な検疫検査が実施されており、その様子はテレビ・ニュースなどを通じて報道されています。
WHO(世界保健機関)がこの新型インフルエンザに対する警戒レベルを「フェーズ4」から、世界的大流行(パンデミック)の一段階手前の「フェーズ5」に引き上げを発表した4月29日(日本時間4月30日)、私はロサンゼルスから成田空港へ向かうことになりました。
今回の日本への一時帰国は私の実姉(東京・八王子在住)の急逝にともなうものであり、こればかりは帰国日を延ばすことも出来ず、急遽日本行き航空券を手配し、とるものもとりあえず駆けつけたかたちとなったのです。
私の搭乗していた国際便が成田に近づくと、先ず機内全員に質問票が配られました。発熱・咳・薬の投与の有無、数日間にわたり接触した人の症状、日本到着後10日間の滞在・連絡先など数項目にわたるものでした。
さて、搭乗機が成田空港に着陸し、所定のゲートに停止しても、私たち乗客は全員そのまま座席に留められること十数分、やがて5,6名の検疫官が乗り込んできました。そしてそれからがたいへんです。一人の検疫官が大きめのカメラ状のサーモグラフィー(体温測定器)で乗客ひとりひとりの体温を調べます。そこで基準を超える体温の乗客には個別に体温計(脇の下に入れて測る)で正確に測定するのです。
これと平行して他の検疫官たちが乗客全員に健康状況を聞きながら質問票を回収、さらに空港検疫所発行の注意書、マスクの配布など大忙しの様子でした。
なにしろ日本はゴールデン・ウイークというタイミングでもあり、国際線の大型航空機はほゞ満席の状況で、その上検疫官、乗客ともお互い不慣れなことでもあり、時間ばかりが無為に過ぎる感じもしないではありませんでした。乗客の中には今後の滞在先、連絡先といわれてもその住所や電話番号を書けない人も結構いたようで、質問票の回収だけでも必要以上の時間を要していました。
私と周囲の座席の人たちが最終的に問題なしと判定され、ようやく席を立つことが出来たのは機が停止してからほゞ2時間後のことでした。航空機の後方寄りの座席から私が出口のドアに向かう途中、機の中ほどの席を占めていた数十人の乗客はまだ着席のままでした。その集団の中に感染を疑われ、次の段階の検査が必要な乗客がいたからでしょう。その後のニュースで私の搭乗した便で陽性反応者が見つかったという報道がなかったので、これらの乗客もその後無事開放されたのでしょうが、きっと彼らはさらに数時間にわたって機内に留め置かれたことと思います。
機外へ出た私は先ず洗面所へ急ぎ、いつもより数倍の時間をかけて丁寧に手を洗っていました。
さて、予定より2時間遅れで日本へ入国したものゝ、姉の通夜には間に合わず、私は都心に向かう電車の中から手をあわせて冥福を祈るほかなく心残りでした。しかし、こればかりは誰を恨むことも出来ないことであり、私が新型インフルエンザの陽性反応もなく、すこぶる健康でよかったと思うほかありません。
私の搭乗した機内でもこれだけの時間をかけた検疫作業でしたが、乗客側からの目立ったトラブルもなく、皆さん冷静に対処していたのが印象的でした。
このような状況下では個人の不便はある程度やむをえないことであり、私の場合も通夜に遅れても姉は許してくれたことと思っています。通夜には間に合いませんでしたが、翌日の告別式には参列でき、姉とは最後の別れが出来たのがせめてものことでした。
私の日本滞在は5日間でした。滞在先の浅草のホテルに台東区保健所から、私が入国前の機内で提出した検疫質問票にもとづき、入国後の健康状態についての追跡問い合わせの電話を受けました。
日本では国を挙げて今回の新型インフルエンザ・ウイルスの国内侵入を阻止するため、これほどまでの水際作戦を展開していたことを私自身、身をもって体験した次第です。
感染後の潜伏期間中にウイルスが日本国内に侵入する危惧もあり、完璧に防ぐ手段はないといわれていますが、出来うる限りの対策を講ずる必要はあるわけで、そのためには入国時に行われるこのような水際作戦に私たち乗客側もある程度の忍耐と寛容が求められるのはやむを得ないことです。
ところで、5日間の日本滞在を終え、私は5月5日の便でロサンゼルスへ戻ってきましたが、ロサンゼルス空港へ着陸の直前に飛行機の機内放送で「新型インフルエンザが蔓延しています、皆さんは各自、ご自分の責任で気をつけてください」とアナウンスがあっただけで、機内、到着後の空港ともに何の検疫検査もありませんでした。これも感染者発生国(アメリカ)と未発生国(日本)との差といってしまえばそれまでですが、こんなところにも日米の文化の差を感じました。 河合将介(skawai@earthlink.net) |