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NO.674                Ryo Onishi              4/12/2009  

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雑貨屋のひとり言

家庭で不要になった衣類を店頭で引き取り、集まった衣類をリサイクル(固形燃料に)して、二酸化炭素削減につなげるというキャンペーンをやっているので、キャンペーンをしている店に着古したコートとブレザーを持って行ってきました。要らなくなった洋服を店頭に持参するとその店で使える割引券がもらえます。衣服って捨てにくいですし、古着屋に持っていっても二束三文ですから割引券をもらえるならうれしいですよね。これも販売促進策のひとつで最近いろんなところでやられていて売り上げが上っているらしいです。なかなか面白い考えだと思います。
≪R.O≫

国際感覚について − ある大学生との文通

継続は力なり(若尾さん帰国)』 
企業の終身雇用制度が崩壊しつつある現状に加え、昨今の厳しい経済・雇用環境のもとでは、一つの企業に長期間勤務を約束されることは難しくなっています。私が社会人になった四十数年前の日本は、戦後の高度成長期の中にあり、終身雇用や年功序列が当然でした。非正規社員とか細切れ雇用などというものとは縁のない時代でした。たとえワーキング・プア(働く貧困層)であっても諸外国に比べ格差の少ない社会国家といわれた日本であり、意欲さえあれば誰でも終身雇用された時代でした。

そんな時に社会人になった私にとって、一つの会社に一生を託し、それを全うすることが出来たことは、ふり返って貴重な宝となっています。その間、営々と積み重ねてきた人脈、経験、ノウハウが今も力となって役に立っているからです。なみ外れた特殊な才能に恵まれた一部の人間は例外でしょうが、私のような凡人にとって、力をたくわえ発揮出来るのは愚直なまでに一つのことを永く続けることが最善の方法のようです。安易な近道はなさそうです。まさに「継続が力」になるのだと経験が実感させてくれます。

平凡なことでも継続させることにより予想外の実がみのり、結果を生み出すのはビジネスばかりではありません。趣味やボランティアでもおなじです。

この「雑貨屋ウイークリー」も店主大西良衛さんの並外れた精神力と実行力で一度の休刊もなく13年間も継続して現在に至っています。発刊当初は「たかがメルマガ」だったものが連続して674回も発行されれば反響も含めて対外的な影響力まで発揮しています。私の「L.A.観光スポット案内」も含め、これまでに受信した問い合わせや反応も多数あり、その殆どが私とは面識のない人々からのものでした。

このたび、私たちの仲間である若尾龍彦さんが長い滞米生活を終え、日本へ帰国されることになりました。若尾さん今年のはじめまで二年間にわたり、南カリフォルニア日本商工会議所会頭の重責を全うされ米国の日系社会の発展のみならず、米国内の他コミュニティとの関係強化のために貢献されました。

その若尾さんが1987年から22年間続けてきた私的勉強会「JACAL」も今月(4月)の定例会をもって最終回を迎えることになりました。この勉強会は「今の世の中が変わったらどのような社会が出現するか?それを日米の比較から考えよう」というコンセプトで始められ、私はほぼ最初から参加させてもらってきました。

これまで二百数十回も続いた会では政治経済、文化や芸術、宗教など多岐にわたるテーマについて活発な論議の場を繰り広げました。毎年初にはその年の年間予測をし合い時代の変化の速さを実感させられたりしました。これらの議論は参加したメンバーの自己研鑽に役立ち、また日米社会へ発信されてきました。これも二十年以上にわたって続けてきた会であったからこその力だと思っています。

私たち、ひとりひとりの人間にとって「継続」の究極は「長寿の達成」に尽きるといえましょう。無事に古希を超えることが出来た私ですが、これまで生きることが出来た感謝の念を抱きつつも、まだまだはるかに長寿の諸先輩に較べれば若輩者である自分です。人生のさらなる継続をめざし、「継続は力なり」をわが身で実践すべく、自らに鞭打ち、さらに一層燃えあがるよう努力しよう。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

今週はお休みです。

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 風刺画に今日も総理の顎のエラ

起承転 その後が描けぬ4コマ目

踏み絵踏む足に因果を含ませて

定年の絵筆ベレーもさまになる

人生を言う実篤の茄子 南瓜

( ニュースやぶにらみ )

「後継者問題」
日本の首相のことだな −金正日

「横浜、開幕6連敗」
そのうち相手がこけてくれるよ −麻生首相

「打ち上げ成功」
海中探査衛星 −北朝鮮

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺ぶらり散歩(21)
*藪下の道 B -太田の原
汐見小学校の先右にある石段を上り切る切ると、今度は左に下る石段があります。人がどうにかすれ違える程度の狭さで、両側は民家の塀、途中から「千駄木ふれあいの杜」の木々が覆い被さっていて、地元の人は「お化けだんだん」と呼んでるようです。元に戻って、汐見小学校の先からは、鴎外の『青年』にある、‘つま先上がりの坂’ほどでもありませんが下り坂で、その間、右側は石垣、その上に木々が繁り、昔の藪下らしい面影を一番残している場所です。団子坂も別名潮見坂といいますが、この坂にも汐見坂の古い石碑があります。まわりの草木や石垣に同化していて、私もこの道を歩いて3回目にやとこの石碑を見つけました。坂を下りきって右突き当りが、先程の「千駄木ふれあいの杜」の入り口です。区の記念プレートより 「江戸時代、ここは太田道灌の子孫である太田摂津守の下屋敷で(略)広大な敷地でした。明治に入ると。屋敷は縮小していきます。かつての屋敷跡は「太田の原」と呼ばれ、そこは太田ヶ池がありました。(略) 時代の変遷とともに、屋敷内に連なっていた崖地の緑もここを残すのみとなりました〜」 森於莵『鴎外の母』より 「学校は午前八時に始まり、歩いて20分位の行程であるのに性急な曾祖母が七時前から私を追いたてた。学校へ行っても未だ門が開かぬので、よく私は近所の友達と太田の原で遊んだ(略)そのうち、あとから馬で役所へ行く父が見つけて『今朝おれが三十分もあとで行くと、太田の原の藪の中からうちの小僧が高安小僧と一緒に這い出して来た。あんな早く出してはいかん』と祖母に言ってくれたので…」

森田さんから

もう二十センチ
               森田のりえ
 友人が「君は飛び跳ね五尺だからぁ」と笑った。そう、私はチビなのである。
 若いころ、広島で電車通勤をしていた。いつも掴み手のある入口付近にしがみついているのだが、ラッシュ時ともなればそうもゆかず、引き剥がされるように中へ中へと押しやられて吊革のお世話になる。やっと手が届く吊革にぶら下がる格好での二十分はきつい。つい手を離す。その日も揺れにまかせて立っていた。と、カーブで大きく揺れ前の座席につんのめった。その拍子に車内の壁に取り付けてあった警報機を押してしまったのである。突然、けたたましいサイレンが唸りはじめた。
一瞬、緊張した空気がはりつめた。
誤作動だと分った後の周囲の冷たい視線を一身に浴びながら、身の縮む思いをした。不可抗力だから仕方がないけれど、もう十センチでも背丈があれば悠々と吊革を握っておれたのに、叶わぬ願いが胸をよぎる。
人間の気持ちはおそろしい。山椒は小粒でもと強がりをいってみるが、所詮、負け惜しみである。人は見下ろす側の方が心地よいに決まっている。見上げて話すと、威勢も迫力もない。言葉遣いもへりくだり、いじけて小心者になったような感じがする。高いことはいいのである。私は、デザインよりヒールの高さ重視で靴を買っていた。
若いころムリをして高い靴を履いていた後遺症がずっと後になって出てきた。足の親指の付け根が出っ張る外反母趾になってしまったのだ。たまたまお鮨屋で知り合ったアフリカ系アメリカ人の医者が「手術すれば大丈夫」というので、飛び出た骨を削ったのである。麻酔が取れた後の痛かったこと。ところが、ところが、それ以後ペタンコの靴しか履けなくなってしまった。
アメリカではナース・シューズと呼ばれる長時間歩いても疲れない靴があった。普段はこの靴にお世話になっているのだが、たまにはお洒落したい時もある。靴の修理屋で少しヒールのある靴に一センチのゴム底を張ってもらった。気は心である。
今年、友人宅の新年会で「もし神様が願いを一つだけ叶える」といったら何が欲しいかという話題になった。「若さ」「健康」「お金」なかには「自動車」という現実的な話もあったが、私は、もちろん背丈二十センチである。
「あら、女の小さいのはかわいいわ」
慰めのつもりらしいが、すらりとした女性に言われると、人の気も知らないでと反発したくもなる。
「あのね、大きな声ではいいたくないけれど」と、前置きして、その人はいった。
「ニューヨークでお得意先を集めてダンス・パーティをした時、主人とペアになったアメリカ女性が特別大きな人でサ、主人の頭が彼女の豊かな胸のあたりなのよ。だから、女は小さくても問題ないの」
 むしろ徳する方が多いくらいだという。
以前、アメリカ人のダンス教室へ二、三度誘われていったことがあるけれど、私の二倍もありそうな男性とペアになり閉口した。巨木に蝉が張り付いているようでいただけない。そのことがあってダンスは止めてしまったが、釣り合う方がいればダンスは楽しい。
 背丈が問題なのはダンスだけではない。
 アメリカはキッチン・カウンターが高い。洗い物をするにも調理するにも、肘を上げるから肩が凝ってしかたがない。その姿を見るにみかねた夫が結婚してすぐ十センチ高さの台を作ってくれた。これだけは友人が来ても羨ましがられる代物だ。引越し毎に持ち歩きいまでも調法している。
 数年前、友人宅でいいものを見つけた。
キッチン用のツッカケが十センチも上げ底になっているのがあった。こりゃいい。試しに履くと、軽くて、流しの洗い物をするにも楽である。コーリャン・マーケットで買ったというので、気をつけて見ていたがない。諦めかけていたころ、偶然、婦人服売り場に出ていた。サイズも合う。しかし、有頂天になったのは束の間だった。最初は敷物の僅かの段差に引っかかって転んでしまった。幸い捻挫はしなかった。次ぎは、お客様にお茶を入れようとして、台の上に足が半分だけのっかかってバランスを崩した。急須を持ったままひっくりかえったのである。腰は痛めなかったけれど、買ったばかりの急須の口が壊れた。
三度目の正直ということがある。もう、履くまい。こんど転んだらタダではすまない。と、思ったが、高いと景色が違う。気分がいい。チビであることは不幸ではない。あるがままでいいのだと何百篇自分に言い聞かせても、やはり上背があると格好がいい。実は洋服を買うにも苦労が絶えない。もう、二十センチあれば・・・。
              おわり

龍翁余話

龍翁余話(76)「桜花雑感」

例年より早い開花宣言であったのに、寒気の影響で結局は平年並みの花見シーズンとなった東京の桜花は、早くも街路や川面に舞い散る。そんな情景を見ていると、つい、翁の好きな鶴田浩二の歌――♪散る桜 残る桜も 散る桜 いつか散り行く この身じゃないか 男心に咲く花は 今をさかりに 咲けよ 咲け――が口をつく。もともと、この『散る桜 残る桜も 散る桜』は良寛(江戸時代の曹洞宗の僧侶、歌人)の辞世の句と言われているが、何とも哀しい響きを持つ歌ではある。西条八十の詩で『同期の桜』という軍歌がある。♪貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう――これも哀しい歌だ。翁、たびたび靖国神社を訪れるが、桜の時期の参拝は、いちばん心が痛む。

万葉集の中に『桜花 時は過ぎねど見る人の 恋ふる盛りと 今し散るらむ』という歌がある(詠み人知らず)。桜の花は、まだ散る時期ではないのに愛でてくれる人がいるうちに散ろうとしているのでは、という意味だろうか、まさに今がその時期。満開の桜花は間違いなく絢爛そのものだが、“わび(侘)・さび(寂)”を好む日本人の美意識が散り行く桜花に愛惜の情を寄せ、人の運命(さだめ)と重ね合わせて詠まれるのかもしれない。

若い頃、テレビ番組取材でたびたび訪米していた時期があった。ある4月の初め、首都ワシントンD.C.に行った時、“桜まつり”パレードに出逢った。場所は市内の中心部を流れるポトマック河畔の桜並木。路の左右で歓声をあげる大勢の観光客の間を縫って、真っ赤なコンバーチブル(オープンカー)がゆっくり動く。後部座席の3人の美女が精一杯の笑顔で観衆に手を振る。銀色に輝く王冠を戴いた真ん中の美女が(その年の)“桜の女王”だ。カメラマンに特別の演出指示を与える必要はない、どこから撮影しても絵になるシーンだ。

ところで、このワシントン桜、今から97年前(1912年)、当時、東京市長だった尾崎行雄(のちに憲政の神様、議会政治の父と言われた政治家)が、ウイリアム・タフト大統領(第27代大統領)夫人に贈ったもの、と伝えられている。その苗木は東京・荒川堤の五色桜を穂木にして台木は伊丹市の北部萩野小学校校区、(植木の産地)東野村で育てられたそうだから、ワシントン桜のルーツは伊丹である、と言えるのかもしれない。この桜が、日米親善友好の懸け橋であったはずなのに、何故、日米開戦(大東亜戦争)が起きたか・・・まあ、その話は置くとしよう。

4月11日は、親友・Sさんの祥月命日、今年はちょうど13回忌にあたる。Sさんは翁より3歳上だったが、翁の会社の取引先の社長で、仕事の付き合いは勿論のこと、ゴルフ仲間、そしてマージャン仲間として長い間、親交が続いた。肺ガンに侵され約2ヵ年、入退院・通院を繰り返していた。その間、病院行き以外の日はほとんど毎日出勤、週1回のゴルフも欠かさなかった。マージャンも回数こそ減らしたが 止めることはしなかった。さすがに酒やタバコは止めた。亡くなる年の3月下旬、まさに桜花繚乱の時、容態が急変、住まいに近い(横浜市金沢区内の)病院に運ばれた。Sさんの会社の役員I君(現社長)や幹部社員が入れ替わり病院に行き、その都度、翁に病状を報告してくれた。“小康”の知らせを受けたのが4月8日、そこで翁「11日にお見舞いに行く」旨をI君とS夫人に告げた。ところが当日の早朝、I君から電話「今朝方、亡くなりました」・・・

病院脇の桜吹雪の舞いが悲しかった。手の届く垂れ下がった小枝の“残り花”をちぎってSさんの枕元に置いた。静かな寝顔だった。毎年のことだが桜のこの時期、Sさんのことが懐かしく思い出されて仕方ない。昨日(11日の土曜日)、I君たちとゴルフに行った。翁たちのメンバー・コース、勿論、Sさんもメンバーだった千葉・成田のHカントリークラブだ。13回忌のこの日、プレー開始の前に合掌してSさんのご冥福を祈った。

余談だが、翁は、競輪、競馬、ボート、パチンコなどは一切やらない。ただ一つ、マージャンだけは長年の趣味だった。かなりの腕自慢だった。だが、Sさんの死後、そのマージャンをきっぱり止めた。家庭マージャンならまだしも、タバコの煙が濛々とたちこめる雀荘で、チャーハンをぱくつき、ラーメンをすすりながら、緊張の連続の数時間は、体にいいはずがない。Sさんのマージャン回数は異常だった。Sさんはそれで命を縮めた、と翁は思った。だから彼の死後、マージャンを絶った。右指数本に出来ていたカチカチのマージャンだこは、今はもう、きれいに消え失せた。

先日の夕方、会社の帰りに車で目黒・碑文谷(サレジオ教会付近)に行き、桜のトンネルをデジカメで撮影した。静かな住宅地だし宴会禁止の地域だから、ゆっくりと桜を愛でるには絶好の場所。更に車を走らせて行くと、ある小さな公園の見事なソメイヨシノが目にとまる。ここは初めてだ。公園の脇に駐車して、ベンチに腰を下ろし、跳びまわる子どもたちの元気な姿と満開の桜を撮る。翁の隣のベンチで仲睦まじく(ペットボトルの)お茶を飲んでいる老夫婦がいた。そのご夫婦と翁、どちらからともなく会釈を交わす。しばらくして奥さんが「よろしかったら、どうぞ」とクッキーを差し出した。翁、喜んで頂戴した。美味かった。空腹のせいばかりではない、聞いたら、奥さんの手作りだそうな。30分ほど3人の会話が弾んだ。別れ際、ご夫婦が「楽しかったです。ありがとうございました」と頭を下げた。むろん、翁も感謝を述べた。桜が取り持つ束の間の出会いに、翁、ほのぼのとしたぬくもりを感じた。夕陽を浴びるソメイヨシノが、また一段と美しかった。
“人の世の 喜びもまた悲しみも 一輪(ひとわ)に映す 桜花(さくらばな)かな”・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

私の携帯オーディオのメモリーには友人から入手したポップスでいっぱいになっています。あんなにたくさん入っていたジャズがいつの間にか追い出されてしまいました。
今週はデンマーク出身の18歳、Natasha Thomasです。友人はこの美貌のジャケットだけで買ったのではなく透き通った歌声、乗りのいい音楽が良いのだと思います。
わたしは観たことはありませんが "It's Over Now"はLACOSTEのCMソングです。

Natasha Thomas / Save Your Kisses

1. Introducing Natasha / Loving You Is Not Easy (Uh La La)
2. Let Me Show You (The Way)
3. Young Hearts (Album Version)
4. Why (Does Your Love Hurt So Much) (Album Version)
5. More And More (Album Version)
6. Sunshine After Rain (Album Version)
7. It's Over Now (Single Mix)
8. Suddenly (Album Version)
9. Save Your Kisses For Me (Single Version)
10. Hold Me Closer (Album Version)
11. Young And Carefree (Album Version)
12. Can't Turn Back Time (Album Version)
13. Rollercoaster Ride (Album Version)
14. More Than Friends (Album Version)
下記URLで試聴できます。
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/NatashaThomas/
《R.O.》

編集後記

携帯の故障でメール送信ができなくなり、携帯ショップに持っていったら、チェックしているうちに本当に壊れてしまいました。代替機を借りていますがちょっと不便です。携帯がすっかり生活の一部になってきていると感じます。
雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.674

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com