龍翁余話(75)「鉄道博物館」
“汽車“が大好きな4歳くらいの男の子がいた。その男の子は、小さな駅の改札口を潜り抜け、プラットホームの先端に座り込んで”怪物“を待つ。やがて、モクモクと煙を噴き上げながら黒光りの怪物が迫って来る。男の子はドキドキしながら“負けるものか“と、歯を食いしばってその大きな怪物と対峙する。乗り降りの少ない乗降客を見届けてから、怪物は、いきがっている男の子を無視して「ポー」の一声を発し、ひときわ大きな煙と蒸気を吐きながら、ゆっくりとホームを離れる。その時、男の子は、怪物を追い払った、という勝利感と同時に、なぜか、離れがたい寂しい思いをする。プラットホームには怪物を見送った駅長と男の子だけ。駅長が男の子に優しく声をかける「坊や、また、おいで」・・・そして10年後、少年となった男の子は家族に見送られ、その小さなプラットホームから怪物に乗って旅立った。単身、神戸遊学の旅である。かつて、男の子をドキドキさせた怪物は、その後は、故郷を去った少年と1年に一度の家族との絆を結ぶ親縁の友となった。
先日、山手線五反田駅から品川駅で京浜東北線に乗り換え大宮までの50分間、そんな子どもの頃の思い出に耽りながら翁は「鉄道博物館」(埼玉県さいたま市大宮)に向かった。大宮駅でニューシャトル(埼玉新都市交通伊奈線)に乗り換える。このシャトルは大宮と内宿(伊奈町)間の12.7キロを走る通勤、通学、買い物客など、地域住民の足として昭和53年に開業した新交通システムの電車だ。6輌編成の車輌は小型軽量でゴムタイヤのため騒音・振動は少なく、なかなかの乗り心地。車窓から見る大宮の大都市化に驚いている間に(5分で)鉄道博物館駅に着く。駅はもう館内の一部のようなもの。
「鉄道博物館」がオープンしたのは2007年10月14日、その日は“鉄道の日“。1872年(明治5年)10月14日に新橋駅(旧汐留貨物駅)と横浜駅(根岸線桜木町駅)を結んだ日本初の鉄道(現在の東海道線の一部)が開業した。そして1921年(大正10年)10月14日に鉄道開業50周年を記念して東京駅の丸の内北口に鉄道博物館が開設された。そこで鉄道省(当時)は10月14日を”鉄道記念日“に制定した、と資料にある。東京駅の鉄道博物館は1936年(昭和11年)に神田(万世橋)に交通博物館という名称で移転、それが現在の鉄道博物館に引き継がれたのだから、博物館として88年の歴史を有する。
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(明治5年の第1号機関車) |
昔の教師仲間であり、翁のハム(アマチュア無線)の師匠格でもあるSさん(無線工学)とTさん(電子工学)3人で入館、大宮在住のSさんに諸事お世話をいただき“にわか鉄道マニア”の気分で早速見学開始。館内は、歴史・展示・体験・学習・模型鉄道ジオラマの5つのゾーンがある。
まず、全長75mに及ぶ日本の鉄道歴史年表コーナーをざっと見て、黎明期から現代までの実物の機関車展示場に入る。137年前、新橋―横浜間を走った第1号機関車、明治後期から大正時代に全国に鉄道網が延ばされた時代の機関車、ローカル線の合理化を目指した気動車、都市部の通勤輸送に活躍した電車、昭和(戦前戦中)に誕生した特急列車、路線電化進展
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(D51のシミュレータ運転席・・資料写真) |
に伴う電車群、新幹線の誕生、御料車(天皇・皇后両陛下をはじめ皇族のご巡幸に使用された専用列車)などが勢揃い。翁は展示機関車のデザイン、利便性などに注目したが、SさんとTさんはそれぞれの構造(仕組み)を観察していた。さすが、工学系の視点は違う、と感心させられる。
日本最大の模型鉄道ジオラマもよかったが、人気の的は“運転シミュレータ”。山手線や京浜東北線の電車、SL、新幹線などの、スクリーンに映る景色を追いながら模擬運転が出来るコーナーだ。その中で、何と言っても翁を喜ばせたのは“D51シミュレータ”。Sさんが運転席に着く。係員の指導でD51がゆっくり動き出す。Tさんが警笛を鳴らす。スピードは徐々に上がって時速60キロ、音も振動も実物そのもの。小窓から見える前方スクリーンの岩手・釜石線花巻〜新花巻間の景色が、いつの間にか懐かしい翁の故郷の景色に変わる。感動の15分間だった。
800円の駅弁を買って、3人は(動かない)“ランチ・トレイン”に乗る。春休みで家族連れが多い中、幸いに4人席の1箇所が空いていた。50mほどの向こうに本物の川越線、湘南―新宿ライン、高崎線が走る。ちょっとした“汽車旅行”気分だ。SさんもTさんも楽しそうに弁当をほおばる。が、一番、童心に戻っていたのは翁だったかもしれない。
人々の思い出をつくり、過ぎし日を呼び起こさせてくれる汽車(電車)、悲喜こもごもの人生を運ぶ鉄道・・・普段、何気なく乗っている山手線や新幹線は、単に人や物を運搬する交通機関というだけでなく、実は、人間の“運命のレール”でもあることを思い知らされた鉄道博物館めぐりだった。有意義な機会をつくってくれたSさん、Tさんに感謝・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |