――― 前号よりの続き。以下の覚え(メモ)はすべて下記からの引用(または参照)であり、私自身がフランクリン・ルーズベルト(Franklin
Delano Roosevelt、以後の記述では「F.D.R.」とします)を知るためのメモであることをお断りしておきます。―――
「ルーズベルト、ニューディールと第二次世界大戦」(新川健三郎著、清水新書)
「パクス・アメリカーナの光と影」(上杉 忍著、講談社現代新書)
「ルート66、アメリカ・マザーロードの歴史と旅」(東 理夫著、丸善ライブラリー)
「フランクリン・ルーズベルト」(T.V.番組、知ってるつもり)、その他、インターネットからの情報 |
〔Z〕ニューディール政策(1)
(1)大統領就任時の危機的状況
1933年3月4日、F.D.R.はアメリカ合衆国第32代大統領に就任した。この日、首都ワシントンD.C.は、どんよりとした鉛色の雲がたれ込め、重苦しい気分が立ちこめていたが、まさに同じように、アメリカの社会はもとより、国際情勢も不穏な空気に包まれていた。
アメリカ経済はこの時、文字通り最悪の状態に陥っていた。失業者数は
1,300万人近くに達し、農村では農産物価格の低落や農地の抵当流れで不満は高まり、暴動寸前の状態だった。景気指数はほとんどすべてアメリカ経済がどん底にあることを示していた。しかも、
大統領就任式直前の1933年2月にデトロイト諸銀行の倒産に始まった金融危機は、またたくまにアメリカ全土に広がり、F.D.R.の大統領就任当日の朝には、事実上すべての銀行が業務を停止し、ここにアメリカ経済機構は完全にマヒ状態になっていた。
一方、この時、国際情勢もアメリカ経済に劣らず不安の度を強めていた。アジアでは、
1931年満州事変を契機に、日本が国際世論の反対にもかかわらず、翌1932年3月には満州国の建国を宣言し、大陸へ進攻の姿勢を一段と強めていた。
ヨーロッパのドイツでは 1932年、総選挙でナチス党が第一党になり、F.D.R.の大統領就任の2カ月前の
1933年1月にヒットラーがドイツ首相に就任している。
(2)大統領就任第一声
内外の危機的に困難な状況の中で大統領となったF.D.R.は、必ずしも明確な解決策は持ち合わせていなかった。彼は一貫した政策構想やイデオロギーなどは初めから殆どなかったようだ。
しかしながら、政権についたF.D.R.の大統領就任演説第一声は、おそらくいかなる具体的な政策案よりも国民に希望と自信を与え、気持ちを奮い立たせるような響きを持っていた。(下記演説原文抜粋参照)
彼は就任演説で、「何よりも先ず、私の信念を述べさせていただきたい。すなわち、われわれが今、恐れなければならないのは“恐怖心を持つこと、そのものである”(
nothing to fear but fear
itself)」と述べて、国民の精神的支柱ともなるべき信念を示し、「国民は行動を求めている。しかも今ただちに実行に移らなければならない」と指摘し、そして、「緊急事態に対処するために、外敵の侵入時に与えられる権限と同等の強力かつ広範な行政権を大統領に与えるよう要求する」と決意を表明した。
これはある意味では行動すること自体を目的とした宣言に過ぎず、またこの宣言は独裁政治をうみだすおそれもあるものだった。だが、こうした楽観的とも言える自信にあふれた態度こそ、F.D.R.の成功の鍵であり、国民の不安と動揺を静める効果をもっていた。
次の週に彼は国民から45万通の手紙を受け取ったほどであった。そして大統領就任に続く100日間に、彼は素晴らしい指導力を発揮し、その成果はともかく、国民の期待に充分こたえたのである。
そしてF.D.R.政府は、発足後直ちに行動を開始した。3月9日に招集された
100日間の特別議会の会期中に次々と法案を打ち出し、議会は行政府の意向に沿って、それらを制定していった。それは、まさに、F.D.R.が就任演説で述べた、外敵の侵入に対して立ち向かっているような敏速さであった。
(3)銀行危機の救済
F.D.R.が最初に直面した課題は、アメリカ全土の銀行をマヒさせた金融危機に対処することであった。そしてF.D.R.政府がその時、採用した政策は、ある意味でニューディール全体の基本的な性格を示唆するものといえた。
事実上機能を停止していた銀行機関に対し、政府の取るべき方策は次の三通りが考えられる。即ち、
政府は放任主義の立場から、それを放置し、崩壊するに任せる。
逆に国有化政策を断行し、社会主義の方向に向かって第一歩を踏み出す。
それとも、政府の統制力の拡大、資金面での援助など、あらゆる政策を動員し、国家権力のてこ入れでもって資本主義経済機構を再建する。
これらのうちで、F.D.R.が採用したのは、政府の援助による銀行の救済という三番目の方策だった。ニューディールは、そのスタートにおいて、自由放任主義は放棄しながらも、社会主義への道は拒否し、いわば、政府と資本との結び付きによって、体制の立て直しを図ろうとしていることを明らかにしたのである。それは一言で言えば、「国家独占資本主義」を形成する道であった。
大統領に就任した翌日、F.D.R.は、法的根拠はきわめて疑わしかったが、政令をもって、金の取引を停止し、全国の銀行の休業を宣言した。これはこれまでの非常事態をそのまま凍結したのにすぎなかったが、その間に国民の緊張感を解き、本格的な立法を制定する時間稼ぎとなった。
(4)100日特別議会の開会と緊急銀行法案の提出
1933年3月9日、特別議会が戦時危機の雰囲気の中で開会、F.D.R.は緊急銀行法案を議会に提案した。議会開会の冒頭、新人議員達などは自分の議席を探してうろうろしている間に大統領は法案(銀行教書)を読み上げ、法案の写しも配布されることもなく、
38分後には採決に応じなければならない有り様だった。下院で採決された法案はただちに上院に送られ、下院議員達は上院の議場に殺到し、その説明をもう一度聞いたほどだったという。但し、法案は就任演説で示されたような激しい銀行家攻撃はすっかり影をひそめ、銀行を再開するために政府の援助の手を差しのべようという保守的な性格のものだった。
だが、同時に大統領が既にとった措置を合法化し、金の移動に関して大統領に完全な管理権を与え、金の退蔵を禁止し、あわせて政府の監督の下に銀行の再開や再組織を行うことを決めるなど、政府の権限の大幅な拡大が認められた。
(参考:F.D.R.大統領就任演説原文抜粋)
Franklin D. Roosevelt, "First Inaugural Address," 4 March 1933
(前略) I am certain that my fellow Americans expect that on my
induction into the Presidency I will address them with a candor and
a decision which the present situation of our Nation impels.
This is preeminently the time to speak the truth, the whole truth,
frankly and boldly. Nor need we shrink from honestly facing
conditions in our country today. This great Nation will endure as it
has endured, will revive and will prosper. So, first of all, let me
assert my firm belief that the only thing we have to fear is fear
itself - nameless, unreasoning, unjustified terror which paralyzes
needed efforts to convert retreat into advance. In every dark hour
of our national life a leadership of frankness and vigor has met
with that understanding and support of the people themselves which
is essential to victory. I am convinced that you will again give
that support to leadership in these critical days.(以下略)
――― 以下次号に続く ――― 河合将介(skawai@earthlink.net) |