龍翁余話(69)「北方領土問題」
「北方領土問題」は、3年前まで書いていたもう一つのエッセー『龍翁の独り言』(39)でも取り上げたことがある―――40年前に総理府(現内閣府)の仕事で根室に行き、歯舞(ハボマイ)、色丹(シコタン)、国後(クナシリ)、択捉(エトロフ)の旧島民の悲劇や、操業中にソ連(当時)の軍船に拿捕(だほ)された漁民家族の悲痛な叫びを取材した。ノサップ岬から遠くにかすんで見える4島を望遠カメラに収めながら「露助(ろすけ=ロシア人への蔑称)の盗人野郎ども、そこは日本の領土だ、早く立ち去れ!」と怒りをぶちまけたものだ。その日から、翁、機会あるごとに「北方領土問題」を論じてきた。その集大成とも言うべき作業が2004年夏から2005年春にかけて研究開発した『北方領土問題キャンペーン・国家的プログラム』(内閣府へ提案する企画案=電通主導のプロジェクト)だった。“最強のプログラム”と自負したのだが残念ながら、未だ陽の目を見ていない。
政府(歴代内閣)の弱腰外交はもはや“伝統的”となり、北方4島返還は“夢のまた夢”か、と諦めかかっていたら、渦中の麻生首相が去る18日、サハリン(旧樺太)でロシアのメドベージェフ大統領と会談し「北方領土問題を、独創的で型にはまらないアプローチで合意した」と胸を張った。久しぶりに日本のトップが「北方領土問題」に意欲を見せたことは評価するが、“独創的で型にはまらないアプローチ”って何のこと?また彼らの巧妙な言葉遊びに騙される?・・・そう、これまで日本はさんざん空言葉に翻弄されて来た。
1991年(平成3年)4月、日ソ首脳会談(海部・ゴルバチョフ)で、北方4島が明記され、
両国間の懸案事項として確認されたが具体的な内容に至らなかった。1993年(平成5年)
10月の首脳会談(橋本・エリツイン)で旧ソ連との条約有効を確認し、まず、歯舞・色丹2島返還の有効を確認した。しかし、日本が主張する4島一括返還は俎上にもあがっていない。そして今回の麻生・メドベージェフ会談も、訳の判らない“ロシア式外交術”にはめられたか?その危惧を裏付ける材料がある。ロシア議会(上院)は「今回の日ロ首脳会談は、日本が協力した巨大資源開発事業“サハリン2”の液化天然ガス輸出開始の記念式典に麻生首相を招待したのが目的で、北方領土問題は主要議題ではないし、北方4島がロシアに帰属する立場に何ら変更はない」と牽制している(インタファックス通信)。そのことは麻生首相も承知の上で、それでも北方領土問題を投げかけ、5月に予定されているプーチン首相来日時に、更に突っ込んだ具体的話し合いが実現できれば、男・麻生太郎の株が上がる、と翁、微かな期待を寄せているのだが・・・
さて翁、改めて声を大にして言う「北方領土は、日本固有の領土である」と。その歴史的根拠は、1855年(安政元年)2月7日に『日露通好条約』(下田条約)が調印された後、1875年(明治8年)『樺太・千島交換条約』が締結され、北方領土は日露2国間だけでなく国際的にも“日本固有の領土”として確認された。大東亜戦争が終わるまでは、北方4島には約17,000人が住み、豊富な海の資源に恵まれた平和な暮らしをしていた。ところがソ連(当時)は1941年(昭和16年)に交わされた『日ソ中立(不可侵)条約』を一方的に破り、日本が敗戦を宣言した1945年(昭和20年)8月15日を過ぎてなお(国際法を無視して)千島列島と北方領土を攻め、占領した。すでに武装解除していた日本軍を尻目に強盗したのだ。島民は強制的に追い出され、また、どれだけの日本人が殺されたものか・・・現在に至ってなお、海域では日本漁船の拿捕、保釈金の巻き上げ、銃撃などの海賊行為が続いている。だから翁、未だに(ロシア為政者に対する)ムカつき以上の怒りが治まらない。
とは言え、現在、4島にはロシア人20,000人(推定)が住み着いている。最初の入植者たちは歴史に翻弄された流浪の民であったかも知れない。時は経ち、今や2世3世の時代、彼らにとって北方領土は、もはや“故郷”である。そのことに配慮した日本政府は人道支援の目的で文化・人的交流事業を行ない、平成3年から食料品、日用品、医療用具などの物資を贈っている。ところがロシア連邦保安庁は昨年12月「日本人のビザなし上陸は認めない。支援物資輸送も出入国カードの提出が必要」と言い出した。それに従えば、日本が北方領土を“ロシア領土”と認めることになる。これは断じて容認することは出来ない。だから、今年に入っての支援物資はストップしている。当然だ、日本の領土に行くのに、何でビザが必要か!いつまでも日本を甘く見るな!
ところでロシア政府は、かねてから「北方領土問題は日本政府や元島民の一部がガタガタ言っているだけで、国民の声はいっこうに聞こえて来ないではないか」とうそぶいている。確かに世論の盛り上がりは今ひとつ。昨年の11月に内閣府が実施した『北方領土問題意識調査』によると、「北方領土問題の内容は知っている」の回答79%、それに対して「返還運動には参加したくない」もほぼ同数の75.5%。不参加の理由は「活動内容がわからない」、「効果が期待できない」などであった。残念ながら一般的には「北方領土問題」は依然“他人事”なのかも知れない。だからこそ、翁たちが開発した“最強のプログラム”『北方領土問題キャンペーン・国家的プログラム』が必要なのだが、さてさてその企画書、いったい今どこで埃を被っているのやら・・・
政府は、1855年(安政元年)『日露通好条約』締結の2月7日を『北方領土の日』と定め、2月を『北方領土返還運動推進月間』としている。「領土とは、物理的な土地だけを指すのではなく国家の自己主張を形に示すもの。領土とは、そこに住む人間の生命・財産・人権を含めた主権そのもの。その主権を守るのが国家の存在証明である」(京都大学・中西輝政教授)。北方領土のほかに“日本人が行けない日本”は、まだある。竹島、魚釣島、南鳥島、沖の鳥島・・・日本政府の弱腰外交が続けば、これらの日本領土は、いつの間にか(竹島のように)他国に盗み取られてしまいかねない。この機会に“領土”の持つ意味と、その大切さを、じっくり考え直してみたい、っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
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